たいぴろのきままDiary

四兄弟と家事と仕事と趣味と...たいぴろ家は今日もてんやわんやです。

正法寺古墳と塩の里

2021年02月07日 | 旅行
先週の新聞に市内の古墳が紹介されて、御朱印ならぬ「御墳印」を発行するとの記事がありました。(発行初日は並んだ人がいたとか、その中の1人にインタビューした記事が載りましたが、なんと私の友人でした。)
昨日たまたまフォローしている方が古墳の話題を書いてみえたので、私も今朝ウォーキングを兼ねて行ってみました。

「正法寺古墳」、我が家から車で10分、横の道は何度も通った事がありますが、古墳に登ったのは初めて。
全長94mの前方後円墳、古墳時代中期の西三河最大の古墳だとか。
今は落ち葉に囲まれた丘ですが。



誰もいなかったので1番高い所まで登ってみました。落ち葉に足を取られます。



私の住む吉良町にはここ以外にも古墳が沢山あることを27年も住んでいるのに今まで知りませんでした。
それが分かったのは「御墳印」をいただける市の施設に行ったから。

正法寺古墳から700m、「吉良饗庭塩の里」に行きました。



岩谷山古墳(我が家からでも歩いて行ける距離だった)から移築した横穴式石室がありました。この古墳は今はありません。道路工事で破却されたとか。



施設の展示室には市内の古墳から出土された品物がありました。





正法寺古墳の全景。



古墳から出土した大きな棺。



古墳時代の人のイヤリング、割と綺麗。しかし重そう〜。



考古学にはさほど興味はないですが、それでもこういう出土品を見ると古代人の生活が垣間見れて面白いですね。



我が町吉良町は昔、塩の生産業が盛んだったので、塩田の歴史や製法を紹介する展示がありました。



江戸時代から昭和40年代まで塩田を使う製塩業が盛んだったそう。



今はほぼ塩田で塩を作る場所は無くなりましたね。石川県の能登くらいじゃないかな?
体験塩田はあります。10人以上での予約制らしい。



昔、この看板見たなぁ。



昭和30年代に盛んだった流下式塩田というのは塩水を濾過するのに竹の穂(枝条架)を使っていたので、ひょっとすると我が家のご先祖様はその竹穂を卸していたのかななんて思いました。

古墳と塩の展示を見て、受付で御墳印をいただきました。



良いですね、御墳印。御朱印と同じく集めようかしら?

市内にはまだまだ私の知らない施設があるという事でした。
しかし・・新聞記事にもなったのに、どこの場所も私1人だけ。
まあ、こんなご時世ですから仕方ないかな。

塩の里に隣接したグランドゴルフ場にはお年寄りがうじゃうじゃいましたけど・・笑。


コメント (22)
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