北タイの片隅で・・・

タイ北部の田舎町に住んで16年、引篭爺の生活日記

北タイ 亡父の呪い?

2022年06月09日 | 日記
先日の診断でも何か分からないが、肺に影が存在する。再検査でCT検査もする。
悪い結果が出ている訳でないが、いつか来るとは思っていたから、なる様になると思うだけ。明日、金曜日癌内科の診察があるが、要観察かな。

この事のあり、そろそろ妥当な年に近づきつつあるのでエンディングノート的なモノも当ブログに記しておこうと思う。

先回(2019年)日本に帰国した際、母が老人ホーム施設に入るのを手伝った。
併せて、誰も手をつけてない母の生前整理を行い始めた。
まず「お墓」の扱い
当時はまだ姉が健在であり、姉は、母は亡くなった後は散骨でと2人で話し合って決めているといつも言っていた。
爺は直接、母に聞いた。姉が言う通り散骨でも良いが、墓はどうする?仏壇は?と。
当時、墓は2基。亡父が建てたモノが隣り合わせであった。1基は爺の姓(家のもの)、1基は母の旧姓のモノ(母は一人娘)
 母は「ウ〜ン」と言ったきり黙り込んでしまった。
爺が「2基要らないのでは?1基にまとめて良いのでは?」管理費が2年毎に発生しているし、墓標を〇〇家を止めて一文字で、どの家でも入れ様にと、極めて適当な言い方を。
母は、「うん。良い様にして」と
我が家の霊園は、墓誌に戒名、姓は刻まない。下の名と没日と年齢だけ。宗教も関係ない。従って誰でも入る事できる。
我が家墓には父一人。母方には4人入っていた。どう合葬するか?爺は考えた。
お骨を移動するには役所への届出が必要と管理会社から聞いていたし、その事務手数料、移動費が1柱5,000円と。 簡単ですね。 父に引っ越してもらった。
家名がどこにもないのは寂しいので、付属の花入れにそれぞれの家名を入れた。
ついでに、母にお願いして墓敷地をモルタル仕様にして雑草防止をした。
父にとては、義実家の中に入れらてさぞ居心地が悪いのであろうなと思うが…
そして、2019年爺が日本滞在最終日(11月)に、父のお骨の引越し納骨を少人数で行った。
その際爺は、父に「ごめんなさい。仲良くしてね。」…

その後、母の納骨前(2021年5月) 息子に墓を見に行ってもらった。
すると…

「まる」と読む。
墓標〇〇家とあったモノを、表面を削り取り、文字を消して新たに彫ってもらった。
お金のかからない、一番安い方法で…

しかし、ね!   明らかに、亡父の涙、怨みの涙だな。爺は見た途端感じた。
しかし、父を鎮める法要などしない、怨みあるなら、私一人に。気にしないから…

すぐ、管理事務所に連絡して、クレーム扱い?で消してもらいました。

その後、コロナ禍も収まりかけた頃、母の納骨を行った。
コレで父の霊も落ち着くかな? 1対5で更に居心地悪いかな?
爺の知るところでない…

この一連の手続き中(2019年) 墓の名義を母から爺に変更(生前贈与らしい)したが、
更にまた、次回帰ったら、名義は息子に変更しようと思う。
更に、後数年も経てば、刻んである名前見ても「誰?」となるのは見えている。
実際に、墓誌にきざんである母方の姉妹、祖母の名前を息子は知らない…
後30年(息子の代)このまま維持できれば良いかなと思っている。いずれ墓仕舞いかな。
既に、30年分の管理費は息子に預けた。

ホントは墓なんて不要と思う。  爺は、タイで死に、即火葬、散骨(メコン川)、一部を日本に持ち帰り墓へと息子へお願いしている。

爺の骨壷

小さい、納骨可能かどうかわからないが、ほんの少しの骨を入れて日本へと。

次は仏壇の話を。


今日の献立

ピザ🍕トーストセット



塩焼きそば


夕食

鰆ハラミフライ チキンナゲット マカロニサラダ







コメント
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