69年前の夏の記憶 ⑤
1945年夏 8月5日の空爆
5日夜半から6日未明まで続いた、県都・前橋市街中心部への空爆は、B29爆撃機92機の大編隊で、さらに凄惨なものでした。投下されたM69焼夷弾の量は729トン。2万9000戸のうち、1万1000戸以上が焼失、市街の80%が焼失し壊滅しました。
死者532人。負傷者600人。
木と紙でできた日本家屋を標的にするには、M69焼夷弾は、どのような爆弾より効果的でしょう。
6日の朝になると、前橋の被災者が、なかには焼け焦げた衣服の男性が、手に荒縄で縛った釜の木の蓋をぶら下げて前橋から10数キロを、放心状態で歩いてきました。
そしてこの日、テニアン島基地を飛び立ったB29爆撃機は、広島に原爆を投下しました。
大本営発表は「敵は広島に新型爆弾を投下した模様・・・」と真空管ラジオで聞きました。この時ばかりは、さすがに「わが方の損害は軽微なり」とは言いませんでした。
8月7日朝の青い空を、爆撃効果を確認するかのように、1機の爆撃機が悠々と偵察飛行をしていました。
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