友釣clubたか

酒匂川で・・・!鮎と戯れ~
伊豆の磯ではブダイと遊ぶ

何の渋滞?

2012年05月21日 | 鮎友釣
昨日昼に狩野川を上がり136号から1号線に乗り箱根越えで帰る途中136号から1号に乗るチョコットと1号に乗ってから東名・中央道の分岐までは何時も道理ちんたらでしたが分岐を過ぎて順調に走るようになったかな~、もつかの間何やら状態気味に…、こんな所でちんたら走ったのは初めて、この先でいったい何が…、真っ先に思った事は事故、無論抜け道など有ろうはずも無く流れるまま行くと何と中山城でお祭りがなされて居たんだ、初めて中山城祭りに出くわした、それにしても人が多かったな、シャトルバスまで運行されていた、私は前を通過することはたびたびだが止まって城跡を見たことが無いんだがあそこの城は有名だ、山城としては貴重な資料だと聞いている、後北条は氏直の時に着城されたと聞いている、それも甲斐は武田との合戦に備えてと東海道が城の中を通っていて関所としての役目もかねていた様だ、だが実際に合戦になったのは豊臣による小田原攻めの時、豊臣勢7万に対し北条方の守りは4千、多勢に無勢、いくら作りの良い山城でもわずか1日で落城したようだ、山城の作りは北条はたけていたようで当時画期的な城作りだったみたいだ、石垣は一切使わず土を巧に使いこなし障子堀などは有名な所、賛否両論は有る物の私は守りにはたけていると思うのだが、それだけに豊臣は後に城作りのさい障子堀を真似て作りに取り入れたと聞いたこともある、だが北条方もよく当時あれだけ大きな勢力に立ち向かった物だ、色々な事情はあったんだろうけど大した物だと感心させられる、城跡の通り端にも掲げてあったが「北条五代を大河ドラマに」私もせつに願っている。