
このところのタカ長は本の虫、と言うのは大ウソですが、、、、、、、、
長時間パソコンに向き合うのが苦になり、これまでのパソコン時間が本の時間になっているのは間違いありません。
その本ですが、、、、、、

えんぴつでなぞり書きをしながら、そこに書かれていることに惹かれています。
世は定めなきこそいみじけれ。(第七段) この世は不定であるからこそすばらしいのだ。
徒然草の底に流れているのは現生への無常観、と言って間違いないと思います。高齢者と言われるこの歳まで生きてきて徒然草を読むと、吉田兼好が言っていることが妙にしっくりと心に落ちるような気がするのです。
「えんぴつで徒然草」には50段しか紹介されていません。そのため本箱を探して、むかし買った全243段が読めるものを探し出して、最初から最後まで読む気になっています。
なぞり書きは半分終わったところですが、徒然草が終わると、、、、、

次は方丈記のなぞり書きをするつもりです。
徒然草をなぞり書きしながら思うのは、吉田兼好の時代は人々が死と言うものを身近に感じていたと言うことです。もちろん兼好も例外ではありません。
それに比べると今の私たちは死と言うものを感じていないのではないか?死亡率ゼロ点何パーセントかのコロナに右往左往しながら、死亡率100パーセントの自分の死を忘れているのでは?
自分の死を感じながら生きることで自分の生か輝いてくるのでは?今日を生かされていることに感謝することが出来るのではないか?

方丈記のなぞり書きをする前にこの古本を注文しました。時間はかかっても方丈記も全編読むつもりです。
タカ長ブログで日本の古典のことを話題にするとは思いもしなかったことですが、それなりに人生経験を積んでから古典を読むと、若いころには見えなかったものが見えてきて、とても面白く感じるのです。
タカ長が言っても仕方ないことですが、この歳になってからの古典の通読はお勧めです。