このところ毎日のように、NHKBS4Kの「クラシック倶楽部」を見ています。
朝6時からの放送、一日の始まりがクラシック音楽から、と言うことです。女房殿が聞き始めたのか、タカ長が先だったのかよく分かりませんが、朝のニュースを見ても面白くないのは同じ思いです。
ニュースとは刺したとか殺したとか、視聴者の心が暗くなることを伝えることだと思っていませんか、と関係者に文句を言いたくなります。
それにしても演歌人間だったタカ長がベートーヴェンとか、、、、
ショパンとかを口にするなんて、本当にどうなったのでしょうか?
もちろん、いくら演歌人間だと言っても、この歳になって初めてクラシックを聴くわけではありません。N響の番組を見たことはありますし、広響の生演奏を見に行ったこともあります。
辻井伸行さんのピアノはど素人のタカ長でも素晴らしいと思います。
それにしても一日のスタートがクラシック音楽、タカ長も変わったものですね。
蕎麦打ちの見学に来ました。
皆さんのウデが上がったので、最初の頃よりかなり早く出来あがります。
そのためでしようか味も良くなりました。
その蕎麦と皆さんが持ちよったご馳走で忘年会。
タカ長はノンアルコールで盛り上がっています。
タカ長の財布にはほとんど現金が入っていません。そもそも現金買いすることが少ないし、最近はpaypayも利用するようになったので、多くの現金を持って歩く必要がないのです。
そのようなタカ長がマイカーの車検。古い車なので、今回は通常より多くの費用がかかります。今までのようにカード払いにすると「限度額」の問題もあります。そのために金策、その一部を現金払いすることにしました。
ATMでおろすと造幣局から直送してもらったような、渋沢栄一の新札が出てきました。二つ折りにするのもはばかられる感じで、、、、、、、、
むかし使っていた長財布を持ち出すことになりました。この長財布に万札を2~3枚持って歩くと、何故かしらリッチになったような気がします。
タカ長には事業経営の経験はありませんが、急に資金繰りが良くなったような感じです。これって何でしょうか?
平素、現金など持ち歩くことがほとんどないからでしょうか?
手にしている紙幣が初めて人の手に触れるような新札だからでしょうか?
年金が増えたわけでもありませんし、宝くじが当たったわけでもありません。銀行口座の数字が少しだけ少なくなり、その分がタカ長の長財布に移動しただけですが、、、、、、、、
それなのにこの「リッチ感」。何だか分かりませんが、ビンボーなタカ長としては、年末年始くらい「リッチ感」を楽しみたいと思います。
これって完全なる錯覚だとは思いますが、、、、、、、。
昨日、原爆体験のことを記事にする気になったのはこの本を読んだからです。この中には生々しい被爆体験が紹介されていますが、あえて引用しないことにします。
そもそもクリスマスの季節に原爆のことを話題にするのはもの凄い違和感があります。季節がまったく違う感じがします。しかし、ノーベル平和賞の授賞式は12月に行われたのですから、今回だけは仕方ありません。
そのノーベル平和賞の授賞式はノルウェーで行われました。
11月のクラス会のとき、同級生の一人が「12月にノルウェーに行く準備が忙しいので欠席する」とメールしてきました。この一言でノーベル平和賞の授賞式のことだと分かりましたが、お互いそれ以上のことは話していません。
彼はノーベル平和賞の授賞式のとき、登壇するほどの活動はしていないようですが、関係者の一人なのです。そのためテレビでは報道されないことも見ているはずで、今度機会があったら土産話をしてくれと頼んでいますが、具体的なことは何も話していません。
昨日も話しましたが、原爆のことはあまり触れたくない、と言うのが正直な気持ちなのです。
あの一発の原爆を体験して、タカ長は幻覚を見るようになり、一人でトイレに行けなくなりました。怖い夢にうなされるようになりました。
しかし、親族で直接被爆死した人はいません。叔父の一人が背中に大やけどし、その上をウジ虫が動いているのを記憶しているくらいです。考えてみれば、広島人としては幸せな家族だったようです。
タカ長にとって最大の悲劇は、優しかった隣のお姉さんが忽然と姿を消したことです。お姉さんのことは親からも、隣のご両親からも聞いていません。ひょっとしたら遺骨も分らなかったのかも分かりません。
原爆は「人間として死ぬことも、生きることも許さない」と、この本に書かれています。
喧嘩にもルールがあるように、戦争にもルールがあるはず、そのようなものが何もないのが原爆です。
三度目の核戦争はあってはなりません。素直にそう思います。