保育の現場で信じられないようなことが起きたと報道されて、ぶち切れ状態のタカ長。
誤解のないようお願いしますが、タカ長の怒りは当該保育士だけに向かっているわけではありません。そのようなことになった世の中に向かっている、と言うことです。先日買ったこの本にも触れられていますが、要するにスマホが生活の中に入って来て、モノを考える人が少なくなった、と言うか、、、、、、、いなくなったと言うか、、、、、、、。
あと何年も生きないタカ長が怒っても仕方ないのですが、このような状況では日本の未来が無くなりそうで、怒りたくなるのです。上記の本で数学者の藤原正彦氏が発言されています。
「政治家は考える能力がまったくない。自民党は駄目だし、野党はもっと駄目でした。民主主義に限界がきているのかもしれません。民主主義が機能する前提は「国民が成熟した判断を下せること」です。しかし、これは世界のどの国でも永遠に満たされません。
世界のどの国でも出来ないことですから、タカ長が心配しても本当に仕方ないのですが、でも、このような状態が続けば、日本はますます沈んで行くのでは、、、、、、、。
そのようなこととは関係ないのですが、タカ長の子育てで昨日触れなかったことです。
その頃、男親とは割の合わないものだと思いながら子育てしていました。自分で考えたことではなくて、著者も書名も忘れた本に書かれていたことに賛同した、と言うことです。
男親とは割の合わないものだ。子どもの成長のためには踏み台にならないといけない。子どもが高く、遠くまで飛ぶためには、踏み台は高くないといけない。それが男親の役割。
女親は何歳になっても「お母さん、お母さん」と言ってもらえるが、踏み台に声をかけてくれる子はいない。しかし、それをやるのが男親。男親とは割の合わないものだ。
その本にはそのようなことが書かれていたように記憶しています。
子育ては誰もが初めての経験で、誰もがわが子を懸命に育てています。タカ長だけが考えているわけではありません。だから、偉そうなことは言えないのですが、このような本を読んで、とにかく目先の点数かせぎみたいなことはしないように注意していました。
タカ長たち夫婦の子育てが何ぼうのものか分かりませんが、子どもたちはすくすくと育ってくれました。もちろん、親だけで出来ることではありません。
保母さんにも恵まれました。子ども会と言う地域の活動でも、献身的な努力をされている人にも恵まれました。そのような地域社会で子育てが出来た幸せを感じています。
タカ長は子どもたちの踏み台になった自覚はあります。それも相当高い踏み台になったと思っています。
しかし、その踏み台を使って高く羽ばたいてくれたのかどうか、それは分かりません。でも、死の直前に「自分の人生に悔いはない」と言っていたことに救われる思いがしています。
割の合わないことを黙って引き受けるのが、男親の子育てかも分かりませんね。