タカ長の山ときどきタカ見

「タカ長のタカの渡り観察」の別室です。八十路の坂を登りながら更新してゆくつもりです。

間もなく「三人展」

2024-06-30 07:36:00 | 日々雑感

    

 

    

 

先日案内させて頂いた「三人展」が7月2日から始まります。ご多忙中と存じますが、お出かけ下さるようお願い申し上げます。

 

時間は11時から17時までです。

 

       

 

陽子ちゃんの切り絵ですが、シッカリしたギャラリーで見るのは今回が初めてです。

 

タカ長たちは何かと多忙なので、7月2日のオープンに合わせて行くつもりです。裏山歩きはキャンセルです。

 

    

 

幸せな子ども時代の陽子ちゃん、45歳で逝くとは思ってもみませんでした。

 

無念の思いをもって逝ったであろう陽子ちゃんを追悼する意味もあって、裏山歩きも休み、いの一番に駆けつけるつもりです。

 

陽子ちゃん、安らかにお休みください。合掌。

 

 

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とにもかくにも

2024-06-29 15:50:09 | 山歩きから

    

 

独りで裏山を歩きました。明日が雨予報なので、今月最後の山歩きになります。

 

それならチョットだけロング、大杉山に向かってスタート。いつものように自然歩道コースを歩いて荒谷林道に出ました。

 

    

 

荒谷林道には特段の変化はありません。先日の倒木はそのままになっています。と言うことは車も通らないと言うことでしょうか。

 

    

 

展望地からは合歓の花が見えます。少しズームして撮りましたが、天気が良くないので思うような写真にはなりません。

 

荒谷林道を上って大杉山に向かうのですが、今日は大杉峠まで行かないで、道なき道を登って大杉山に向かう尾根に出ることにしました。これが幸いしたようです。と言う意味は後ほど。

 

道なき道は歩けるのですが、倒木が多くて難儀しました。

 

    

 

やっとのことで尾根に出ましたが、ご覧のようなキリ模様です。すぐ近くにある大杉山も見えません。

 

大杉山に登ることは出来るのですが、このあたりには登山道や踏み跡が錯綜していて、藪こぎのようなことをしないで通過する方法が見つかりそうで見つからないのです。

 

今日のあちこち歩いてみましたが、気に入ったルートが見つかりませんでした。

 

    

 

と言うことで今日の探索は終了。このキリを見ながらひと休みして、帰りは様子の分かったルートを通って大杉峠に下りました。

 

狭い範囲の探索ですが、でも、一人では難しいようですね。次回は出雲の守様か誰かに相手をしてもらい、声をかけ合いながら探索するつもりです。

 

    

 

このような天気の日にこのようなことをするのは良くなかったようですね。

 

でも、一応様子の分かった山ですから、迷って方向を見失うことはありません。

 

       

 

さて、今日の記録です。先日も軌跡が切れたので、様子の分かった山でもスマホを出して見ました。道なき道に入るための確認の意味もあったのですが、これが正解でした。ご覧のように今日も切れていました。そこで「終了」と「再スタート」しました。

 

いつもの駐車場に帰るまで見なかったら半分の軌跡しか取れないところでした。

 

      

 

そのため登りと下りを分けたような形になりましたが、まぁまぁ、大きなロスもなく記録を取ることが出来ました。

 

これでYAMAPに記録された今月の獲得標高は6,398メートルになりました。とにもかくにも今月もノルマ達成です。7月からは酷暑の時期になるので、一応のノルマは5,000メートルと言うことにします。

 

 

    

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青春の山

2024-06-28 09:06:49 | 山歩きから

    

 

想定したより弱い雨ですが、今日の裏山歩きは休みました。明日はまた独りで歩くつもりです。

 

昨日の裏山歩きですが、曇り空で山の中が暗かったからか、ひょこッと初めて山を登った日のことが頭に浮かび、青春のころの山を思い出しながら歩いていました。

 

ブログで話したことがあるかも分かりませんが、タカ長が初めて山に登ったのはこの山、極楽寺山です。社会に出た年の12月でした。

 

「今度の日曜日に山に行かないか」と職場の上司に誘われ、「何をしに山に行くのですか?」と本気で聞きかえしたことをハッキリと記憶しています。それまでのタカ長には、山は薪などを取りに行くところであって、単に山を歩くだけの世界があることなど知りませんでした。

 

タカ長の山人生は先輩のそのひと言から始まっています。

 

   

 

その少し前に「マナスルに立つ」と言う、日本人が初めて8000メートル峰に登頂した記録映画が公開され、タカ長も見た記憶があります。それを機に登山ブームが到来、先輩に誘われたのもその流れだったのかも分かりません。

 

ほどなくタカ長の職場にも山岳部が誕生、山の経験者だったその先輩や、広島高等師範学校(現広島大学教育学部)山岳部OBなど多くの人から山を教わることになりました。

 

    

 

    

 

でも、昨日思い出したのは、飯盒炊飯しようと言って山に遊びに行った日のことばかりでした。ここに写っているのは職場の山岳部員で、もちろん彼らと山を歩きましたが、面白く思い出されるのはこのような時間でした。

 

    

 

昼飯の後はタカ長を中心に(?)山の歌の大合唱。昨日は独りで歩きながら、あの頃歌っていた歌を怒鳴りましたが、多くの歌を忘れていました。昨日も人に会わない山歩きでしたから、いくら怒鳴っても問題ナシです。

 

同じころ伯耆大山で、時には身を危険にさらすような厳しい登山をしていたことがウソのように思われます。それがタカ長の青春だったのですね。

 

    

 

その山岳部がそれなりの活動が出来るようになった頃、学生だった女房殿らを連れて大峰山に行った時の写真です。タカ長は写っていませんが、女房殿は写っています。今でも交流がある仲間もいますが、消息が分からない人もいます。60年も前のことですから、それも仕方ありませんね。

 

    

 

ひょんなことから青春のころの山を思い出すことになりましたが、たまにはそのような裏山歩きもいいでしょう。

 

あの頃の仲間と「同期会」みたいなことをすると面白そうですが、あの日山に誘ってくれた先輩は鬼籍に入っていますし、消息の分からない人も元気かどうか分からないので、この同期会は実現不可能でしょうね。

 

 

 

 

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雨後の裏山

2024-06-27 16:26:52 | 山歩きから

    

 

独りで裏山を歩きました。先日の雨のあと、初めての椿尾根ルートです。わが裏山はひと雨降ると倒木が起きる状態ですから、今日は椿尾根ルートの状態をチェックしたい思いもありました。

 

    

 

その結論ですが、椿尾根ルートには新しい倒木はありませんでした。落ち葉が雨に流されて歩きやすくなったところが出来て、その面では今回の雨は恵みの雨だったようです。

 

    

 

    

 

第一休憩所の手前はいつものように登山道が小川の状態、これは想定内です。

 

そこから牛池までは、いま話したように歩きやすくなったところがありました。おっかなびっくりで厚い落ち葉を踏むところが少なくなったので、これは大歓迎です。

 

    

 

牛池のまわりも変化なしです。その手前の林道に水があふれていると言うこともありません。

 

    

 

    

 

牛池には風が無くて、湖面はご覧の通りです。ここで睡蓮を見ながら立ち休憩。

 

このままひき返しては面白くないので、ここから主稜線に登り、さくらの里⇒51番鉄塔⇒椿乗越と歩いて下りることにしました。

 

さくらの里までには大小さまざまな倒木がありました。

 

    

 

    

 

    

 

    

 

こんな感じですが、大きな倒木も迂回出来るので、今回はわが工兵隊に出動要請する必要はなさそうです。

 

先日の雨による特段の被害は無いので、先ずはひと安心ですね。

 

     

 

今日の記録です。今日は蒸し暑くて風はナシ、という状況だったのでピッチが上がりませんでした。

 

気になる今月の獲得標高ですが、アプリのトラブルがあったため、記録に残っているのは5,858メートルになっています。と言うことはあと1回行かないといけません。

 

明日は雨予報ですが、週末には歩けそうなので、今月も何とかノルマを達成出来そうです。

 

 

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読書は楽しい

2024-06-26 16:06:16 | 日々雑感

     

 

司馬遼太郎は好きな作家です。今はこの本を手元においています。ご存知のように司馬遼太郎は膨大な作品を残した作家ですから、タカ長など司馬遼太郎を読んだとも言えないファンだと思います。

 

司馬遼太郎は難しいことも簡単なたとえで説明してくれるので、タカ長には「虎の巻」を読んでいるような快感があるのです。今日はその「虎の巻」を借用しての更新です。

 

    

 

タカ長の母校にもあった二宮尊徳の銅像です。この本には、二宮尊徳は泥棒であると言う論文を投稿した学者がいると紹介されています。貧乏な二宮尊徳がどこかの山から薪を取って来るのは盗んだに違いない、と言う論法です。

 

この学者は「入会山」をご存知ないようです。プロパンガスが普及するまでは山で燃料を取って来るのは普通のことでした。タカ長も子どものころ近くの山で燃料を取っていました。でも、警察に追われることはありませんでした。

 

    

 

それより面白く思ったのは次のようなことです。

 

カトリック教会は貴族から人民までの精神と習慣の面倒をみていて、すみずみまで拘束していました。「よらしむべし、知らしむべからず」と言う体質を持っていました。「信徒は羊であり、司祭は牧者」であると言うこと、つまり信徒は考えなくて良かった。

 

プロテスタントはだれもが「聖書」をもち、だれもがそれを読み、極端に言えばそれでいい、というものでした。

 

    

 

プロテスタントの国であった、当時は小国だったイギリスがスペインの無敵艦隊を壊滅させる(1588年)という奇跡をおこしました。スペイン側は物量で圧倒しようとする単純な頭だけ。対して、イギリス側の各船長は、「自分はいま何をすべきか」と考え、判断し、実行する能力をもっていたと言うことです。

 

その差が運命を分けました。

 

    

 

そのことに興味を持ったのは、今の日本人の多くが、メディアという名前のカトリックに心を奪われているように思えるからです。その一例はコロナ対策としてのマスクです。

 

太平洋上で釣りをする人や登山をする人など、あらゆるところでマスクをしている人をテレビで見せられた人は、マスク着用は善と考え、人もいない所でもマスク着用する人が急増しました。その流れは今も続いている感じです。

 

でも、それで良いのでしょう?何も考えないでいたら、チコちゃんに叱られる、、、、、、くらいならいいのですが、スペインの無敵艦隊の二の舞を踏むことになるのではないかと危惧しているのです。

 

 

 

 

    

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