タカ長の山ときどきタカ見

「タカ長のタカの渡り観察」の別室です。八十路の坂を登りながら更新してゆくつもりです。

記念碑的な山

2024-02-29 08:24:14 | 山歩きから
    

    

2月27日も登った大野権現山は、ふもとにある「おおの自然観察の森」の駐車場がスタート・ゴール地点になります。

このおおの自然観察の森の開園とタカ長たちがバードウォッチングを始めたのがほぼ重なるので、開園時はよく行ったものです。その頃は日本野鳥の会から派遣されたレンジャーが常駐しており、その人たちに鳥を教えて頂きました。初代のTさん、その次は若い人でY君と君で呼んでいました。そしてSさん、このあたりまでは足しげく通ったものです。

その後、事情があって野鳥の会のレンジャーが常駐しなくなり、それにともなってタカ長たちが行く回数が減って行きました。

    

おおの自然観察の森に行けば野鳥を追うだけではなくて、そばにある山も歩いてきました。しかし、最近はご無沙汰が続いており、先日は久しぶりの大野権現山になったわけです。

まんさく湖の湖畔の道からおむすび岩に向けて登り始めます。

    

最初は森の中のなだらかな道ですが、登るにしたがってその道があやしくなってきます。

    

人工的な階段ですが、登山道の表土が流されてご覧の通りに。歩きやすくするために作ったはずですが、もう何年も前から障害物に変っています。

    

ひどいところはこのように。だからと言って撤去される様子は見えません。

このような道を登っておむすび岩に着きました。

    

    

風はありましたがここでは小休止。

向こうに見えている安芸の宮島には「廿日市20名山」を目指している仲間たちが登っていますが、彼らと携帯でおしゃべりするには寒すぎました。

早々にスタートです。

    

ここから大野権現山までは風があってカメラも封印状態でした。しばらくぶりのコースなので、小さなことは忘れてしまったのか、思った以上にアップダウンがあるように感じました。それもこれも脚力が落ちているからでしょうね。

    

「記念碑的な山」と言うタイトルにしたのはもう一つの理由があります。

30年前タカ長が初めて町内会の副会長を拝命したとき、会長から町内会の懇親会を企画するよう頼まれました。

「私に頼まれても山に行くくらいしか思いつきませんが、、、、、、」と言ったら、「それでも良いから企画してくれ」と言うことになり、おおの自然観察の森に行くことにしたのです。

元気な人はおむすび岩に登り、脚力のない人はまんさく湖のそばで遊ぶ。これが案外好評で、車椅子で参加された人もいました。

その日のタカ長の格好を見て、貴男は登山をしているのでしょう、町内にハイキング同好会を作りたいのでその世話をしてくれ、、、、、、

と言うようなことになり、今の同好会が誕生したわけです。と言うことは、あの時タカ長が町内会の懇親会をプランしなかったら、ハイキング同好会が誕生していなかったと言うこと???????

そのような訳で、この山はタカ長たち山グループの誕生にかかわる記念碑的な山になるのです。

    

    

想定より少し遅れて山頂に着きました。風もありました。

山頂にあった権現様の祠はカメラを向けるのが憚られるくらい痛んでいました。

山頂部は風があるので、タカ長たちは一段低い登山道のそばでランチタイムとしました。出雲の守様は上でビールを飲んでいたようですが、このような日でも冷たいビールかよぉ。

ビールを熱燗にして飲んだ方が良いのでは???(笑)

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独りでリベンジ

2024-02-28 13:43:12 | 山歩きから
    

朝から快晴、季節風の吹き出しもない好天です。明日の雨予報を考えると当然今日も山歩きです。

気持的には昨日のリベンジのつもり、寒風に疲れた昨日の山歩きのリベンジのつもりでした。それならば少しでも展望のあるコースを歩きたいですね。そこで今日は46番鉄塔から彩が丘団地に下りるつもりで歩き始めました。これが正解でした。

    

    

涸沢の先から右折して46番鉄塔に向かいました。ここまでは見慣れた風景です。でも、その先が違いました。

46番鉄塔を過ぎてしばらく行くと、、、、、、

    

何、何、何、、、、、、、。前方の木が伐られています。急いでゆくと、、、、、、

    

東側の展望が開けました。広い範囲ではありませんが、登山道のまわりが伐られています。誰が何の目的で伐られたのか理解できませんが、とにかく展望地が出現していました。

    

    

    

そこで数枚の写真を撮ってから彩が丘団地に向かいました。

何のために伐られたか理解できないのですが、同じ伐るのならもう一つ南側の尾根を伐ってくれたら良いのに、と思いました。もう一つ南側の尾根を伐ってもらうと海を見ながら歩くことが出来る、と言うタカ長の単なるわがままですが、でも、一つでも展望地が出現したことは嬉しいですね。

    

彩が丘団地からいつものルートを自然歩道に向けて登り返しです。この登りは落ち葉が多くて難儀します。でも、、、、

    

途中に満開の馬酔木があり嬉しく思いました。

そう言えばどこからか小鳥のさえずも聞こえていました。何だかんだと言っても春間近なのですね。

    

途中で窓ヶ山方面の展望を見ながら69番鉄塔に登りました。ここまで登ったのはもちろん、獲得標高をかせぐためです。

ですから、69番鉄塔には長居無用、すぐに下りて天空カフェでのんびりしました。

    

天気は快晴で風はナシ。これで昨日のリベンジが出来たようです。

    

    

今日の記録です。これでYAMAPに記録された今月の獲得標高が6,183メートルになりました。自分では軽めに、「5,000メートルがノルマ」と言っていますが、本当は6,000メートル超を目指しているのです。

単なる数字のお遊びですが、それがあるから頑張れるといこともあります。これから気候も良くなるので、連チャンを厭わないで数字をかせぎたいですね。


    
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美味しい料理を食べたような

2024-02-27 19:19:53 | 日々雑感
    

出雲の守様、女房殿と3名で大野権現山を歩いてきました。尾根に登ると強い風、その風を右から受けながら頂上に向かいました。

青春のころ、季節風の強い尾根を歩いたことが思い出されました。右頬は強い風でキンキンに冷やされ、風下の左頬は汗が出る感じ、この温度差を利用して発電できないか、と言うようなバカなことを考えてことが思い出されました。

若いころはそのような尾根歩きも問題ありませんが、この歳では体にこたえるのでしょうか、数字以上に疲れを感じました。と言うことで大野権現山の話題は後日にします。

      

先日紹介したこの本を読了しました。ひと言で言えばいい本です。何がどういいのか問いかえされると言葉につまりますが、とにかくいい本です。

美味しい料理を食べて満足するのと同じような気持ち、と答えれば良いのでしょうか?

最近のタカ長は古本もドンドン買っています。その中にも面白いものがあります。

    

この本は中野幸次の本に紹介されているのを見てワンクリックしたものです。

著者の高村光雲は高村光太郎の父君、ペリーが来航した翌年に生まれた人です。その人が自分の目で見聞きしたことが書かれているのです。と 言うことですから、文字通りの「幕末維新懐古談」になるわけです。

文庫本とは言え450ページの本ですから、読了するまでには時間がかかりそうですが、チョッと読んだ感じでは面白い本です。幕末維新と言えばタカ長には「歴史上」のことですが、その頃のことを「自分事」としている人が書いているので面白そうです。

読了したとき、どのような料理を食べた味がするのでしょうか。チョッと楽しみですね。


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色々そろえて

2024-02-26 13:25:33 | 山歩きから
    

急に思い立って独りで裏山を歩いてきました。

それは良いのですが、いざ出発しようとしたら、、、、、、アッ、スマホが無い。他の忘れ物なら許せるでしょうが、YAMAPに記録される数字が多くなることを楽しみに歩いているので、スマホの忘れ物は許せません。

と言うことで、スマホを取りに帰って再スタート。

    

いつものように中国自然歩道コースを歩て荒谷林道に。そして前回のように荒谷林道を快調に歩いて大杉方面に向かいしました。

    

    

林道出合いから大杉峠まで車1台通りません。鳥の声もありません。花も見えません。

と言うことで、自然にピッチが上がりました。陽射しあって、風も適当にあって快調な登りでした。

大杉峠から71番鉄塔に登り、今日は久しぶりに野鳥尾根を下りることにしていました。

    

    

    

71番鉄塔は晴れていて適当な風。ここでゆっくりと立ち休憩。

間もなくこの空をタカが渡って行くはずですが、今日はその気配もありません。

      

窓ヶ山方面の展望はますます悪くなってきた感じです。大杉峠からこのあたりまでは鉄塔の管理道なので、道の方は問題ありませんが、電力会社も山の上からの展望までは管理していませんね。当たり前のことですが、、、、、、、。

小畑山から先の下りは落ち葉が積もって要注意の道になります。野鳥尾根は通る人もほとんどいないので荒れています。そのうえ急な下り、だからカメラは封印しました。

    

やっとのことで安全な道に下りました。もちろん、転倒ナシです。ここからは鉄塔の管理道ですから問題ありません。

ここに下りたとき小さな雨が降ってきました。でも、山の中なので実害ナシです。途中でヒラタケを見つけましたが、女房殿はあまり喜ばないので、採らないでスルー。

    

いつもの駐車場に帰った時は青空、しかし、アスファルト道はシッカリと濡れていました。

スタートする前は晴れていましたが、その晴も雲が出たり快晴状態になったり、いろいろでした。

    

    

今日の記録です。ご覧の通り軌跡には赤色や青色があります。コースの状態もダラダラ登りやら急な下り道もあります。

この面でもいろいろ取り揃えた山歩きになりました。

忘れたスマホを取りに帰ったので、記録された獲得標高は5,000メートルを超えました。

明日も明後日も山歩きするつもりなので、今月も獲得標高が6,000メートルを超えるはずです。がんばるぞぉ、、、、、、、。



    
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小善は悪に似たり

2024-02-25 07:53:43 | 日々雑感
    

先日のことです。近くのスーパーを歩いていると目の前で小さな子どもが転び大泣き。近くにいた父親がすぐに抱き上げましたが、幼児は泣いたままタカ長とすれ違いました。

どこにでもある普通の風景ですが、タカ長は愕然としました。その子の人生が見えたような気がしました。

今どきの子は、と言って良いのかどうか分かりませんが、タカ長が目を疑ったのは、転んだその子が立ち上がるような動きを1ミリも見せなかったことです。転んだまま泣いていれば親が抱き起してくれる、ということがその子の頭にすりこまれているのでしょう。

      

その光景を見て自分の子育てを思い出したり、子どもを厳しくしつけていることが書かれているこの本のことを思い出していました。

幼児の躾けではありませんが、その一部を引用します。

小学校の六年の時、恒例の書き初めにどうしたわけか、母は改めてお稽古をしなさいと言い出した。書き初めは半紙三枚を縦長にしたくらいの大きさになるから畳に紙を置いて左手を支えにして習う。勢い重心が前へかかり腰が浮く。筆を下ろそうとした時、いきなり後ろから蹴とばされた。体が飛んでおでこが畳にこすれ、そこいらじゅう墨だらけになった。
 うつむいて座り直した私に、
「わかった」
 と母は切り込んで来た。何か言わなければならない、あの、あの、とあとがつづかない。
「ごめんなさい、わかりません」
「腰が決まらないで字は書けないと、あれ程いったのに、後ろから蹴とばしたくなるような格好で習字が出来るわけがない。物を習う気構えが出来ていない、あんたという人は―」
 あとは年末大棚ざらえの小言の山、夜店のたたきバナナである。
「ひっぱたかれて痛いとあんたは泣くけど、母さんの手も痛いのよ」
 痛いも痛かったがこれは利いた。


    

この母は文豪幸田露伴の娘の幸田文。躾けられているのは孫の幸田玉。

今このような躾け方をすると何とかハラスメントと言われそうですが、昭和の初期から戦争ころには特別な風景ではなかったようです。

子どもが転んだらすぐに抱き上げてやる、一見いい親に見えますが、それはあくまで「小善」だとタカ長は思います。「大善」をもって子育てするのが親の姿だと思いますが、今の世の中にはこのような言葉は無いのでしょうか?

小善は悪に似たり 大善は非情ににたり

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