和尚の大和路

和尚が撮った大和路写真を中心に、
旅で見つけた写真なども・・・

伊勢本街道1

2011-05-14 08:02:53 | カメラ
伊勢参宮本街道行程図(玉造稲荷神社発行)があります。
それによると、大阪(なにわ)からお伊勢参りをするのに、
玉造稲荷神社出発で暗越奈良街道、奈良上街道、初瀬街道(伊勢表街道)から
伊勢本街道に入り、参宮街道に合流して神宮に到着です。
堺からは竹内街道、横大路を通って初瀬街道(伊勢表街道)に入ります。

伊勢本街道というのは榛原から神宮への最短距離を歩くもので、
高低差もあり難所とされてきました。
そのため主流は初瀬街道(伊勢表街道)になりましたが、
この伊勢本街道は倭姫命が通ったとされ、
“神の御心にかなう道”として、
江戸時代には盛んに利用されて来ました。

伊勢本街道は榛原のあぶらやの前から
初瀬街道(伊勢表街道)と分かれ、
ほぼ国道369号に沿って松阪市飯南の国道166号まで、
国道166号からは櫛田川に沿って多気、玉城を通って神宮まで。

和尚は竹内街道・横大路の大和高田市大中公園をスタートにします。

5月8日 10時に歩き始めました。
荷物の重量は約20Kg(山間部では25Kg)
テント一式、自炊道具一式、シュラフ(夏用)
着替え、買えズボン、雨具、食料、水など。
山間部では水を4ℓ追加。


大和高田あたりでは竹内街道・横大路は国道166号に沿っています。
片塩からは一本北の道になります。

『すぐ大坂さかい』とありますが、
すぐというのは近くではなくて、
“真っすぐ”のすぐです。

旅人たちは灯明を目印に往来したのでしょう。


JR和歌山線

これだけでも旅を感じます。

和尚は曽我町から今井町に少しだけ南下しました。
今井町は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
奈良県では大宇陀の松山地区、そして今年に指定された五條市の新町地区の3ヶ所だけです。

入口の大えのき。






畝傍駅の前を東へと歩きます。
このあたりから足の様子がおかしくなります。
足が笑っている訳ではありません。
痛くなってきたのです。

どうも靴を間違えたようです。
桜井の児童公園で
足裏の水豆が破れないようにテープで保護しましたが、
気安めだけで、一向によくなりません。

そんな時、伊勢内宮まで100.5kの案内。

奈良上街道と合流するあたりです。
長谷寺までは街道と国道が交互になります。

国道に入ってすぐに一台のスーパーカブが停まりました。
一瞬、自身の幻かと思いましたが、
停まったのは写真撮影でよく一緒になる撮造さんでした。
小回りがきき、燃費のいいカブにしたとのことです。
和尚の仲間が増えました。
『スーパーカブで大和路を撮る会』でも作ろうかしら。

彼は鳥見山に行く途中で、
「和尚さんはこのあたりを歩いているのではないか」と
注意しながら走っていたそうです。
お茶一本ありがとうございました。

このようないいハプニングにもかかわらず、
足の痛みは増すばかりです。

長谷寺近くでは急坂を登る旧道がありますが、
気力がなくて国道をそのまま進みました。
途中、目ぼしい風景があると、
写真を撮るためでなく、休むために止まります。




午後5時、やっとの思いで西峠に着きました。
予定はもう少し先まで行くつもりでしたが、
このあたりでテントを張ります。

ます考えたことは足の手当です。
薬局探しのために“サンク”に直行です。
“サンク”はスーパーオークワの入る大規模商店です。
薬剤師によると
手当としては炎症をおこしている患部を冷やすしかないようです。
足に貼る熱さまシートに今後をかけるしかないようです。
そうと決まればテント場探しです。

宇陀川と芳野川の合流点に“サンク”があるので、
移動しなくてすむ河川敷を覗き込みます。
市役所(宇陀)横のバス停から河川敷に階段があって、
テントのスペースが充分なくらいです。
ここで決まりです。

枯れ草がいいクッションになります。

テントを設営していると、
4、5人の女子高校生が声をかけてきました。

「何してるんですか」
「テントを張っているところです」
「そこで寝るんですか」
「そうだよ」
「どこへ行くんですか」
「歩いてお伊勢まいり」
「わー!すごい」
「今日は香芝から歩いて来たよ」

なんやかんや言いながら
「がんばってね!」で一旦離れました。

10分くらいして再び
「これ、めっちゃ美味しいから食べて!」
洋菓子の差し入れです。
「ありがとう」と素直にいただきました。
高校の名前を聞いたら、
榛生昇陽高校の生徒さんでした。

榛生昇陽高校の生徒の皆さんありがとうございました。

こうして一日が終わりました。

明日はどうなることでしょう。

◯洋菓子はサンクにあるスィートガーデンのぽにょぽにょという洋菓子です。