和尚の大和路

和尚が撮った大和路写真を中心に、
旅で見つけた写真なども・・・

伊勢本街道8

2011-05-29 01:35:22 | カメラ
飼坂峠からは多気宿に下りて行きます。
旧美杉村上多気は南北朝時代から戦国時代にかけて
北畠氏の本拠があったところで、
谷町、町屋は街道の雰囲気が色濃く残っています。
峠からは15分ほどで谷町に着きます。
家の構えからして洗練された風が感じられます。










谷町


谷町の辻


この看板はよく見ます。


町屋


農家民宿


中心部をすぎると六部供養碑がありました。



サカムカエ場を過ぎたら、
櫃坂峠に向けてほぼ国道を歩くことになります。
サカムカエ場は伊勢講の当番を送り迎えする場所で
子供たちは伊勢土産を大いに期待したと言います。
櫃坂峠までは1.5車の国道が続いているので、
難所の感じがしません。




国道から分かれて1.5kmの下り道です。平坦地に出て約500mで国道と合流です。




仁柿川に沿ってかなり下りますが、
奥津や多気で見たような街道の雰囲気は味わえません。
道しるべも少なくなったように感じます。

石積みの美しい田がありました。


国道から少し離れたところに光悦の碑がありました。


しばらくして横野に着きます。
横野は和歌山街道との合流点でもあります。
国道も166号と合流します。
川も櫛田川になります。
柿野神社で靴を脱いで休憩していると、
下校時間と重なって、児童が「ただいま」と挨拶をしてくれます。
「こんにちは」は多いのですが「ただいま」ははじめてでした。

大石宿の道標は庚申堂の石垣に組み込まれています。


国道を出たり、入ったりしながら、東へと進みます。
いつしか国道166号とも分かれ、津留の渡しに近づきました。

津留の渡しも難所の一つですが、
今は難所でもなんでもありません。
橋がなかった頃で、大水が出ると
渡しが中止になるのです。
その中止の判断が“はかり石”です。
水がはかり石を越えたら中止です。
写真では中央の石です。


ここらあたりであたりは薄暗くなって来ました。
今日どこで寝るかは決めていません。
体力のあるうちに少しでも先に進もうと決めていましたので、
懐中電灯を手に進みました。
したがって写真が撮れませんので、
田丸の城下まで景色は記憶の中にしかありません。

最終回につづく