何年も前から言われていることですが、子ども同士の喧嘩が減っているようです。
最近は特にいじめの方にシフトしており、喧嘩を1回すればことが収まるということはもはやないようです。小学生もみな携帯をもっていて、いじめの対象となっている子どもに対してみんなで攻撃したり、その反対に無視したりと、携帯を持たせることも一考せざるをえない、いい環境ではないですね。
ところで、先日電車の中で、ぼーっとドラえもんのことを考えていました。なぜドラえもんのことが頭に浮かんだのか、未だに思い出せません。
それはともかく、ドラえもんの漫画を少し思い出そうとしたところ、確かシリーズの前半で、一旦ドラえもんが未来に帰ってしまうシーンがあったと思います。
そのときのシーンをなんとなく覚えています。
ドラえもんが未来に帰るかどうか、悩みのたねは、のび太でした。彼は毎度のこと、ジャイアンにいじめられるという、おなじみのシーンです。
いじめを避けたい、殴られるのを見ていられないドラえもんは、自分が未来に帰ってしまったら、またジャイアンにいじめられる日々が続くだろう、と予想し、未来に帰るのをためらっていました。
しかし折角の機会(だったかどうか、忘れましたが)に、是非ドラえもんに帰って欲しいと思っていたノビ太はドラえもんを心配させたくなく、なんとしてでも、ジャイアンとの喧嘩に勝って、安心させる必要がありました。
そんな中、ノビ太はジャイアンと決闘することになり、ついには粘りに粘って、ジャイアンに勝ってしまい・・・
そしてドラえもんは未来に帰っていく、という結末でした。
なんでこんなことを思い出したかというと、昔の子ども向けのアニメには、そこここに喧嘩のシーンがありました。
「天才バカボン」でも、人を殴ったり殴られたりのシーン。
「ど根性ガエル」でも、やはりいじめっ子が出てきて、主人公のひろしが何度もやられたり。
こんなアニメは普通でした。いや、逆に書くことにより、喧嘩には勝たなくてはならないし、勝てないと女の子にはもてない(と書くといい過ぎかもしれませんが)と言う図式がある程度一般常識だったようです。
しかし、最近のアニメ。もともと戦い系のアニメを除き、喧嘩のシーンはほとんどありません。
どうしてこうなってしまったんでしょうか?親が喧嘩の状況を説明できないなら、アニメで学べるのに、ついにその機会もない。そしてついには、キャラクターを自在に操れるゲームの世界に入り、極端な戦い方法を身につけ、それが一般の喧嘩でも当たり前のような感覚を持ってしまっていないか?
バーチャルリアルが混在していないか、特に小さい子どもについては、非常に危惧してしまうのでした。
だからって、これからアニメに、喧嘩のシーンを増やせ、といっているのではありません。そんなことをしたら視聴者からは連絡がばんばんかかってきて、スポンサーも下りる、と言い出しかねない状況のなか、そんな無茶をそもそもTV自身がしないでしょう。
では、どうしたら、リアルの揉め事に対する免疫というか、喧嘩とはどういうシチュエーションなのかを会得できるでしょうか?
その回答は持っていません。
しいて言えるのは、もっと子どもの、ひと付き合いにかける時間を増やすしかないと思います。
今は余りにも遊び以外に掛けざるをえない時間が多すぎです。
勉強はもちろんのこと、お稽古事に、スポーツチームに参加。親と一緒に週末は外出、というのもそうでしょう。これでは子ども同士のふれあいの時間も少なくなってしまいますね。
幼いときから、あまり喧嘩はしない、人(他人)のことを思いやる教育をするオーストラリアの小学校教育に何かヒントがあるかもしれませんが、それは別の機会で書くことにしたいと思います。
もう一度ドラえもんを未来から呼び出し、もっと子どもの自由な時間を作るようなものをポケットから取り出して欲しい、と心底思いました。
最近は特にいじめの方にシフトしており、喧嘩を1回すればことが収まるということはもはやないようです。小学生もみな携帯をもっていて、いじめの対象となっている子どもに対してみんなで攻撃したり、その反対に無視したりと、携帯を持たせることも一考せざるをえない、いい環境ではないですね。
ところで、先日電車の中で、ぼーっとドラえもんのことを考えていました。なぜドラえもんのことが頭に浮かんだのか、未だに思い出せません。
それはともかく、ドラえもんの漫画を少し思い出そうとしたところ、確かシリーズの前半で、一旦ドラえもんが未来に帰ってしまうシーンがあったと思います。
そのときのシーンをなんとなく覚えています。
ドラえもんが未来に帰るかどうか、悩みのたねは、のび太でした。彼は毎度のこと、ジャイアンにいじめられるという、おなじみのシーンです。
いじめを避けたい、殴られるのを見ていられないドラえもんは、自分が未来に帰ってしまったら、またジャイアンにいじめられる日々が続くだろう、と予想し、未来に帰るのをためらっていました。
しかし折角の機会(だったかどうか、忘れましたが)に、是非ドラえもんに帰って欲しいと思っていたノビ太はドラえもんを心配させたくなく、なんとしてでも、ジャイアンとの喧嘩に勝って、安心させる必要がありました。
そんな中、ノビ太はジャイアンと決闘することになり、ついには粘りに粘って、ジャイアンに勝ってしまい・・・
そしてドラえもんは未来に帰っていく、という結末でした。
なんでこんなことを思い出したかというと、昔の子ども向けのアニメには、そこここに喧嘩のシーンがありました。
「天才バカボン」でも、人を殴ったり殴られたりのシーン。
「ど根性ガエル」でも、やはりいじめっ子が出てきて、主人公のひろしが何度もやられたり。
こんなアニメは普通でした。いや、逆に書くことにより、喧嘩には勝たなくてはならないし、勝てないと女の子にはもてない(と書くといい過ぎかもしれませんが)と言う図式がある程度一般常識だったようです。
しかし、最近のアニメ。もともと戦い系のアニメを除き、喧嘩のシーンはほとんどありません。
どうしてこうなってしまったんでしょうか?親が喧嘩の状況を説明できないなら、アニメで学べるのに、ついにその機会もない。そしてついには、キャラクターを自在に操れるゲームの世界に入り、極端な戦い方法を身につけ、それが一般の喧嘩でも当たり前のような感覚を持ってしまっていないか?
バーチャルリアルが混在していないか、特に小さい子どもについては、非常に危惧してしまうのでした。
だからって、これからアニメに、喧嘩のシーンを増やせ、といっているのではありません。そんなことをしたら視聴者からは連絡がばんばんかかってきて、スポンサーも下りる、と言い出しかねない状況のなか、そんな無茶をそもそもTV自身がしないでしょう。
では、どうしたら、リアルの揉め事に対する免疫というか、喧嘩とはどういうシチュエーションなのかを会得できるでしょうか?
その回答は持っていません。
しいて言えるのは、もっと子どもの、ひと付き合いにかける時間を増やすしかないと思います。
今は余りにも遊び以外に掛けざるをえない時間が多すぎです。
勉強はもちろんのこと、お稽古事に、スポーツチームに参加。親と一緒に週末は外出、というのもそうでしょう。これでは子ども同士のふれあいの時間も少なくなってしまいますね。
幼いときから、あまり喧嘩はしない、人(他人)のことを思いやる教育をするオーストラリアの小学校教育に何かヒントがあるかもしれませんが、それは別の機会で書くことにしたいと思います。
もう一度ドラえもんを未来から呼び出し、もっと子どもの自由な時間を作るようなものをポケットから取り出して欲しい、と心底思いました。