先日紹介した「ニオイバンマツリ」、ほぼ真っ白に変化しました。
さて、父からの手紙、第12回をお届けします。前回からは約1年経っています。
父の字は自己流の崩し字で読めない字が各所にあります。次のように一部加工しましたので
ご承知置きください。
①句読点もない文章のため、句読点は適当に補いました。
②誤字、脱字はそのままとしました。旧漢字も可能な限りそのままとしました。
③略字、当て字は「カタカナ」表記としました。
④個人名は、関係者しかわかりませんが、一応仮名(イニシャル)としました。
⑤一部私の説明を追記しましたが、追記部分は‘ ’で囲みました。
1991年4月?日 父78歳
‘退院連絡の手紙’
拝啓
久しく御無沙汰致し居ります。
皆様御変り御座いませんか。御正月には、忙路の中、遠路帰郷下さいまして、
御幸志感謝致し居ります。
私、入院後約一ヶ月位い全然食事進まず、遂に、二十四時間点滴と成り
(家政婦さんに全部世話に成る)、私自身は当然ですが、家の者も覚悟志て居た様ですが、
全く、自分でも不思議に想える程少しづゝ快方に向ひ、四月六日、先生の御許しを戴き
退院する事が出来、皆々様に只々深く感謝するのみです。
陽春、桜の季と成り、御地もほゞ同様と想われますが、只今、八分から満開です。
昨日は午前中、生憎の天気でしたが、午後は雨も上り、伊賀川堤、岡崎公園など大変な
人出と想われます。
今年は、善光寺の御開帳との話、出来れば、婆さんと御参り出来れば想って居ります。
一昨日は、犬君‘当時飼っていた柴犬(太郎)’を連れて梅園公園方面散歩に行き、
土筆見付け少々採って帰りました。
新緑の最も心地佳い季節に入ります。
皆々様、御体大切にして下さいます様。
(退院出来た事を謝し、一寸御便り申上げました)
SK‘父’
御母様
HM‘私’
ME‘妻’様