
お菓子屋さんのショーウィンドウ、可愛いですね。
ハロウィンも直前になりました。
こうしたイベントや、街路樹の紅葉と、
どこにいても季節は実感できるものです

…。
先日ふと、どうも私は季節感を
かなり懸命に探し求めてしまうのかなと思いました。
理由は2つあって、
うまく説明するのが難しいのですが、、つまり、、、
1つめは、
日本には四季がある。四季がある。四季がある。
という刷り込みによって、というところがあるかもしれないということ。
もしかすると四季には“美しい”という形容がされるかもしれません。
刷り込みという言葉はちょっとキツいかな…;
うむむ、悪く思っている訳では決してないのです。
そして2つめは、
季節感を鋭敏に感じら取れない奴は野暮である。
と、どこかで思っていて、
誰かに悟られるのはもちろん、自覚するのにも
少し恐怖に似た感情をもっているのではないか、ということです。
夏季と冬季で気温の差がある地域ならば、
当然その間の季節としての春や秋もあり得ます。
四季がない国のほうが、もしかすると少ないのではないでしょうか。
それにもかかわらず、他国に比べて
日本人は季節の移り変わりにとても敏感のように思います。
実際の季節感という点でもそうですが、
例えば、お嬢さんたちのネイルを考えてみてください

あまり華やかなのは評判がよろしくない、ということも耳にしますが、
季節に応じた色、柄、パーツなど、他に類を見ない充実っぷりに目を見張ります。
爪のあんなにちっちゃな面積に、小宇宙といっても良いくらいの世界観。
他の国でもネイルは流行っているものの、
季節を少し先取りするところや、
小さきものに神経を行き渡らせるところ、
洒落や遊びを取り入れる感覚、
同じモティーフでも他の人とは少し違えて個性を出すことが好まれるところ等、
昔のおしゃれを感じさせるというか、、
着物の柄や色合わせの文化を受け継いでいるように思えてならないのです。
季節に応じた細やかな意匠が好まれるというのは、
今日の日本人に共通する感性なのでしょうか。




おそらく、このような感性は比較的新しいものなのでしょう。
明治、江戸、それより以前、、一概に論じるのは難しいですが、
農耕において古くから季節は重要ではあったものの、
季節を風流さや遊びと結び付けて取り入れられるのは、
ごく僅かな時間的、経済的に余裕のある人々であったでしょうから。
前出の着物を考えても、
意匠を凝らした晴着や小間物を用意できた人は果たしてどのくらいいたのか。
そう考えると、
かつては特権的であった美意識を隅々まで行き渡らせ、
日本はいわば「内なる文化政策」(なんだそりゃ)に
非常に成功したといえるのかもしれません。
四季の変化や良さが分からなければ、
なんとなく日本人失格の烙印が押されてしまうように思えるまで。
それなら、
一体いつこうした感性は共有されるようになったのか、
媒体は何だったのか、
政治や経済、宗教は関係してくるのか、、、
様々な???が浮かびます。
…。
あらら、
思索にふけるなんて、なんてドイツっぽいんでしょ

そうそう、こちらでは今でも帽子が根付いていて、
(それだけ寒いということもありそう…。)
帽子屋さんのディスプレイも素敵なんですよ!

紳士帽、ダンディです。

オータムカラーの婦人帽

うーん、やっぱり季節感を求めてしまいます。。
