田舎で川筋を登っていくと、段々に人がいなくなる。
車で行ける所まで行き着いたら歩かなくてはならないが、それでもズンズン進めば、いずれ谷から離れて尾根にたどり着くか、それぞれの谷筋の天辺に行き着くはず。そこでやれやれと腰を落ち着けていられる暇人は古今そう多くはないから、たいてい尾根なり峠を越えると凡人はまた次の峰を目指すか、別の谷を下っていくことになる。
昔は、ひとつの谷と隣の谷は別の世界だったろう、と思わせる瞬間が、当今車でうろちょろしていても、ときどきある。
いつまで続くかと上り詰めてきた道が、峠を越えた途端に眺望が開けて下り坂になり、気分まで明るく軽くなる。車のアクセルを踏んでいるだけなのに勝手なものだ。
なんだか毎日ろくに先が見通せないのに、どこに向かって歩いているんだかと思う。自分の子どもらが学校に区切りが付いたのを見ると、ああ親子でひとやま越えたかとは思う。さて次の谷は、次の峠はの繰り返し。
それでもいいや、と思うようになった。
車で行ける所まで行き着いたら歩かなくてはならないが、それでもズンズン進めば、いずれ谷から離れて尾根にたどり着くか、それぞれの谷筋の天辺に行き着くはず。そこでやれやれと腰を落ち着けていられる暇人は古今そう多くはないから、たいてい尾根なり峠を越えると凡人はまた次の峰を目指すか、別の谷を下っていくことになる。
昔は、ひとつの谷と隣の谷は別の世界だったろう、と思わせる瞬間が、当今車でうろちょろしていても、ときどきある。
いつまで続くかと上り詰めてきた道が、峠を越えた途端に眺望が開けて下り坂になり、気分まで明るく軽くなる。車のアクセルを踏んでいるだけなのに勝手なものだ。
なんだか毎日ろくに先が見通せないのに、どこに向かって歩いているんだかと思う。自分の子どもらが学校に区切りが付いたのを見ると、ああ親子でひとやま越えたかとは思う。さて次の谷は、次の峠はの繰り返し。
それでもいいや、と思うようになった。