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6巻31ー33章

2024-09-15 06:30:32 | 世界史

【31章】
新しい執政副司令官は、Sp・フリウス、Q・セルヴィリウス(2回目の就任)、L・メネニウス(3回目の就任)、P・クロエリウス、M・ホラテイウス、L・ゲガニウスだった。彼らの就任後間もなく、激しい騒動が発生した。原因は借金による苦しみだった。Sp・セルヴィリウス・プリスクスと Q・クロエリウス・シクルスが査察官に任命され、仕事に取り掛かったが、戦争が始まり、査察は中断した。ヴォルスキの複数の軍団が広範囲に略奪を開始した。パニックに陥った報告者の知らせに続き、郊外の地区から大勢の人が逃げて来た。これまで国内の衝突を解消するため始められた外国との戦争に対し、護民官が断固たる決意で徴兵を妨害した。その結果護民官は二つの条件を貴族に飲ませることに成功した。条件の一つは戦争が終わるまで、市民に戦争税を払わせることであり、もう一つは借金の返済を理由に裁判に訴えないことである。平民が借金の支払いから解放されて以後、徴兵に対する妨害は起きなかった。兵士が召集され、二つの軍団が編成された。どちらの軍団もヴォルスキの領土に向かった。Sp・フリウスと M・ホラテイウスは右方向に進み、アンティウムと沿岸地方に向かった。Q・セルヴィリウスと L・ゲガニウスは左方向へ進み、エケトラと山岳地方に向かった。しかしローマの二つン軍団は敵に出会わなかった。それで両方の軍団はヴォルスキ軍とは違ったやり方で、それぞれの地方を略奪し始めた。ヴォルスキ軍はローマの国内が分裂しているので勢いづいたものの、ローマ軍の精強さを恐れており、まるでならず者のように正規軍の出現を恐れながら、こそこそと辺境地帯だけを略奪した。これに対してローマ軍は復讐心から怒りにまかせて徹底的に略奪したので壊滅的な被害をもたらした。またローマ軍はヴォルスキ軍を挑発し、戦闘に引きずり込むために敵の領内に長く留まった。点在する家々のすべてに火をつけ、いくつもの村を焼き尽くした。村には一本の果実の木も残らず、この年は何も収穫できなかった。ローマの二つの軍団は町の郊外に住む農民と家畜を戦利品として首都に連れ去った。

(日本翻訳注:エケトラはヴォルスキの町であるが、早い時期に消滅し、場所は不明。リヴィウスの記述からアンティウムの北東であることがわかるが、アンティウムからどの程度離れているかはわからない。紀元前495年エケトラはローマに敗れ、領土の一部をローマに割譲した。紀元前464年エケトラはアエクイと同盟し、ローマに反乱したが、再び敗れた。)
【32章】
負債を抱えるローマ市民は返済を一時的に猶予されていたが、戦争が終わり平和になると、大勢の市民を借金の抵当として債権者に引き渡す判決がなされた。古い借金が減額される希望は消えた。これに加え、査察官が新しい城壁の建設を契約し、新税が必要となり、市民は新たな借金をしなければならなかった。貴族が優勢なため、護民官は徴兵を妨害できなかったので、取引の材料がなく、平民は税金を支払うしかなかった。貴族が影響力を行使し、平民が執政副司令官に選ばれないようにした。執政副司令官に選ばれたのは、L・アエミリウス、P・ヴァレリウス(4回目の就任)、C・ヴェトゥリウス、Ser・スルピキウス、L・クインクティウス・キンキナトゥス、C・クインクティウス・キンキナトゥスだった。ラテン人との戦争に向けて、3個軍団の編制が必要になったが、よいことに貴族の力が優勢だったので、徴兵を実行できた。兵役の義務がある市民は全員、司令官に忠誠を誓った。徴兵を妨害する者はいなかった。軍団の一つは首都の防衛にあたり、もう一つの軍団は突然敵が出現した場合、直ちに出動できるよう待機した。三つ目の軍団は最強であり、P・ヴァレリウスと L・アエミリウスに率いられて、サトゥリクムに向かった。敵が有利な地形を背景にして現れたので、ローマ軍はすぐに攻撃した。ローマ軍は決定的な勝利に至らなかったが、優勢だった。この時突然嵐となり、風が強く、雨が降り、戦闘は中止された。翌日敵はローマ軍に劣らず勇敢に、互角に戦った。特にラテン人の軍団は長年ローマ軍と一緒に戦ってきたので、ローマ軍の戦術を熟知しており、強かった。ローマの騎兵の攻撃により、敵の戦列が崩れ、立ち直る間もなく、ローマの歩兵が襲い掛かり、敵は押し込まれ、後退し始めた。こうなると、敵はローマ軍に抵抗できなかった。敵は逃亡し始めた。彼らは、陣地に向かわず、3km 離れたサトゥリクムまで逃げようとしたが、ローマの騎兵に追いつかれ、多くがなぎ倒されて、死んだ。ローマ軍は敵の陣地を占領し、略奪した。翌日の夜、敵はサトゥリクムを抜け出し、アンティウムへ逃亡した。ローマ軍は彼らの後を追った。敵は恐怖に追い立てられて逃げたので、ローマ軍との距離が開いた。彼らの逃げ足が速かったので、ローマ軍は彼らを襲うことができず、逃げる速度を遅らせることができなかった。彼らはローマ軍を振り切り、アンティウムに逃げ込んだ。ローマ軍は城壁攻撃のための機械が不足していたので、数日間アンティウムの周辺を略奪した。敵は敢えてローマ軍を攻撃しなかった。
【33章】
アンテイアテスとラテン人の間で口論が始まった。アンテイアテスは敗北に打ちひしがれ、多くの兵士を失い、和平を考えていた。一方ラテン人は長い平和の後で、戦意が高く、やる気満々で戦闘を続けるつもりにりだった。お互いに相手を説得した結果、それぞれ、最善と考える決定をすることになり、論争は終わった。ラテン人は戦争に行った。彼らは和平を不名誉と考えており、和平に関するすべてを投げ捨てた。一方アンテイアテスにはは有益な助言者たちがいたが、たまたま彼らが留守にしている時に、不利な助言を受け入れてしまい、都市と領土をローマに明け渡した。ラテン人は怒りで歯ぎしりしていたが、戦争でローマには勝てないと知った。それで彼らはヴォルスキ人を戦いに立ち上がってもらおうと、サトゥリクムに放火した。サトゥリクムは彼らが敗北したら最初に逃げ込もうとしていた場所だった。彼らはたいまつを世俗の家々だけでなく、聖なる家にも投げ込んだ。聖母の神殿に住んでいた人々を除き、都市の住人はみな逃げた。ラテン人が放火をやめたのは、宗教的なためらいや神々を恐れたからではなく、神殿から恐ろしい声が聞えたからであると伝えられている。その声は言った。「もし神殿の近くで火を放ったら、恐ろしい罰を受けるだろう」。
狂気のラテン人は次にトゥスクルムを攻撃した。トゥスクルムはラテン人の会議から逃亡しした上、ローマの唯一の同盟国となり、市民権まで得たからだった。攻撃が不意打ちだったので、ラテン兵は自由に門から入ることができた。町は砦を除き、最初の一撃で占領された。市民は妻と子供を連れて砦に避難した。トゥスクルムは伝令をローマの元老院に派遣して、窮状を知らせた。ローマの市民は直ちに援軍の派遣を求め、L・クインクティウス・キンキナトゥスとSer・スルピキウスが司令官になった。ローマ軍がトゥスクルムに到着すると、すべての門が閉まっていた。ラテン兵は勝利後すぐにローマ軍が迫ってきたので、城壁の防衛に専念すると同時に砦を攻撃した。ローマ軍の到着はラテン兵と砦の市民の両方に変化をもたらした。暗鬱な現状に絶望していたトゥスクルムの市民は一転して元気になり、砦の素早い占領に自信を得ていたラテン兵は、町を所有しているものの、身の安全に危険を感じ絶望的になった。トゥスクルムの市民が砦の中から掛け声を上げると、城外のローマ軍がそれに答えて、さらに大きな掛け声を上げた。ラテン兵は両側から圧迫された。高い場所からトゥスクルム人が攻撃してくるし、ローマ兵は城壁を登り始め、門に張り付いていた。ラテン兵はローマ軍に対抗できなかった。ローマ兵は梯子を使い、まず城壁を越えた。続いて門を打ち破った。前と後ろからの二重攻撃に出会い、ラテン兵は戦意を失った。その上彼らは逃げ場がなかった。二つの軍の間で、彼らは最後の一兵まで殺された。


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