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終戦時、玉音放送を阻止しようとした将校の回想

2013-08-11 18:06:25 | 日本の政治

 

「玉音放送を死守せよ」というドキュメンタリーを見た。なんと、終戦時の近衛師団の反乱の時、玉音放送をさせまいとNHKに乗り込んだ中隊長が、当時を振り返る。NHKに乗り込んだときの話だけでなく、反乱に至るまでの当時の状況が語られる。

 

本土決戦が迫っており、いろいろな噂が乱れ飛ぶが、正式な本土防衛計画は何も伝えられない。不安になった彼は陸軍省に行ってみた。陸軍省には、緊迫感が感じられず、昼間から酔っぱらっている将校もいた。

 

これは、作家が書いている小説ではない。当時の中隊長が自ら語っているのである。サイパンでも沖縄でも、兵士と住民は降伏を許されず、厳格この上ない規律に従って死んでいった。サイパン玉砕の時の映像で、日本女性が断崖から海に向かって飛び降りるシーンを見ると胸を突かれる。実は、その映像はカットされていて、最近ノーカット版を見ることができた。母親は自分が飛び降りる前に、赤ん坊を崖の下に投げている。

 

国民に対しこれほどの厳格さを求める陸軍であるが、その中枢である陸軍省は、たるんでおり、昼間から酔っぱらっている将校もいる。

 

陸軍省は参謀本部と違って、軍隊特有の緊張感はない。大蔵省はじめ各省と同じく、内閣に属するからである。参謀本部は内閣から独立して、天皇に直属する。陸軍省が内閣の一員だからと言って、「昼から酒を飲んでいるほどだらけている」など、聞いたことがない。

戦後になって批判ばかりされる陸軍だけれども、戦後の国民は当時の国家が直面していた現実について何も知らないし、一方当時の将校の多くは問題解決に必死だった。戦後言われれるのと違って、かれらは多面的にあれこれ考え、考え抜いていた、というのが私の実感です。 

したがって今回の「陸軍省がだらけている」という証言は、大変な驚きでした。

 

参謀本部に対しても、不信感を抱いている将校が多かった。いったい参謀本部は確固とした本土決戦の計画を立てているのだろうか? 下級将校の間で疑念が深まり、陸軍全体が反乱するという噂が真実味をおびていた。

「蹶起(けっき)して、自分たちで本土を防衛しよう」という気運が生まれた。大隊長でさえ、反乱を止めようとせず、迷っていた。

 

終戦前夜、近衛師団の将校が師団長を殺害した。部隊に偽命令を発し、出動させた。NHKの放送を使って、全国民に呼びかけようとした。軍中枢に対する若手将校の不信感には深刻なものがあった。

 

200万の将兵の頂点に立つ参謀本部と、底辺に位置する中隊の将校とでは、隔たりが大きすぎる。参謀本部は作戦全体を把握し、将来を見据えなければならない。参謀本部が下した決定は、軍団・師団・連隊・大隊を経て中隊に伝えられる。

中隊は、広大な戦場の極小の一点で戦っているにすぎない。

 

また逆に、参謀本部の側では、遠い戦地からの電文を読むだけの場合もあり、戦場の様子をことごとく理解するのは、そもそも難しい。参謀本部がすべての戦場について、実際的な感覚を持つことは、不可能に近い。それでいて、自分が命令したことを「実行せよ」と迫る。

 

 ガダルカナルから現地の様子を報告に来た参謀が、泣きながら、東条に向かって「馬鹿野郎」と怒鳴りつけたという話があります。ガダルカナルで、米軍は防備を固め、日本兵は、敵の機関銃になぎ倒された。その後は、戦うどころか、飢えとマラリアで死んでいる、と参謀は涙ながらに語ったのです。

 

ただ、この時は、それを聞いた辻政信が、あわててガダルカナルに飛んで、対策が取られたので、溝は埋められ、参謀本部本来の機能が果たされたといえます。

 

スターリングラードの時のヒットラーはもっとひどい。独軍の猛攻をうけたソ連軍は、ターリングラードのほとんどを失いますが、最後の一角と補給線だけを守り抜き、冬を待ちます。極寒の冬こそがソ連軍にとって最強の援軍です。独軍のの将兵は寒さで病気になり、凍傷によって手足の指を失います。ソ連軍は大反撃に転じ、独軍をはさみ撃ちにします。独軍は降伏します。

 

降伏する前に、独軍司令官パウルスは退却の許可をヒトラーに求めました。戦況が悪化し、これ以上戦えないと判断したからです。

ヒトラーの返事は「退却は断じてならぬ。最後の勝利を信じて戦え。」というものでした。この時、ヒトラーは、戦場から何千キロも離れたところで、愛人や党幹部の妻子そして愛犬に囲まれて暮らしていました。

 

改めて確認しますが、独軍屈指の司令官は、この時降伏しています。将兵どころか島民にまで降伏を許さなかった日本というものがどういう国か、考えるうえで参考になります。ヒトラー自身の考えは日本の軍部と似ており「勝利もしくは全滅あるのみ」の二者択一でした。しかし、司令官パウルスは自分の判断で降伏しました。日本の場合,ほとんど全ての司令官は「全滅」の道を選びました。

 

300名の兵を率いてNHKに乗り込んだ中隊長の話に戻ると、彼は、反乱が陸軍全体によるものと考えていました。しかし、反乱したのは、自分の属する近衛師団だけかもしれないと考え初め、非常に悩んだ、と述べています。

自分の命令に従う兵のことを考えると、万一、少数派の反乱に加わっているとすれば、かれらを逆賊にしてしまう、と思ったのです。

彼は、場合によってはNHKの人間を斬る、という覚悟で乗り込んだのですが、迷っているうちに、反乱中止の決定が伝えられ、彼の中隊は血を流すことなくNHKからひきあげました。

 

彼が陸軍省に行ったのは、近衛師団の反乱とは関係なく、それ以前の話です。当時彼は状況がせっぱつまっており、やきもきしていました。敵が首都に迫るときは房総に上陸すると聞いていたので、彼は、自転車で千葉に行きましたが、何の防備もされていませんでした。

 

海軍の消滅という歴然たる事実。戦車は中国にあり、海を渡って運べないという状況でした。しかし彼には降伏などという考えはなく、本土決戦をするつもりでした。

しかし本土防衛の作戦について具体的に何も知らされず、「敵を上陸させ、内部にひきこみ、それから、本格的にたたく。たとえば、宇都宮あたりまで下がる。」という噂が彼の知る全てでした。

 

「内部に引き込んで、それから叩く」という作戦は理解できるとしても、千葉の海岸に何の防備もしないで、ただ敵を房総に上陸させるというのでは、彼でなくとも不安になります。それで何か情報を得ようと、彼は陸軍省に向かったのです。

 

終戦前夜に、近衛師団の中隊長が置かれた状況がよくわかるドキュメンタリーだったので、書きとめました。

 

中隊長は、作戦全体からすれば、将棋の駒、しかも金でも銀でもなく、歩にすぎませんが、日本軍の中隊長は敵国から高い評価を受けています。日本の下級将校あ兵と一体となって戦いました。決死の覚悟と機転の利いた戦方を、多くの敵将が賞賛しています。

 

番組のタイトルが「玉音放送を死守せよ」となっているように、番組の前半は、その時のNHKのアナウンサーの回想です。反乱将校に拳銃をつきつけられたアナウンサーです。

「日本の一番長い日」の二人の当事者、玉音放送を阻止しようとした将校と、それを放送しようとしたアナウンサーが当時を回想した番組です。

 

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