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海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

シンジャルの故郷を追われたヤジディ教徒 8月

2015-02-28 18:20:12 | イラク

                          シンジャル山と村      2005年撮影 

                                                         

                                                                    Jacob Silberberg/ AP

4万人のヤジディ教徒が山中に孤立し、水と食料が得られず、生命の危険が迫っていた。半数は子供である。

13万人はすでに脱出に成功し、東方のドホーク(Dohuk)やアルビル(Erbil)に避難した。

          イスラム国の支配地(茶色)とクルドの支配地(緑色)

                   guardian

  (説明)                                       

    シンジャルの北東にドホーク(Dohuk)がある、 ドホークの南にアルビル(Irbil)がある。南東の無色がイラク政府軍の支配地。

          <周辺の都市がイスラム国の支配下に>

シンジャルの周辺はイスラム国が支配している。シンジャルはイスラム国によってとり囲まれた形になった。西のシリア国境方面だけが開いている。イスラム国が攻めてくるのは時間の問題だと考えた人は、西に向かって脱出した。

しかしこの地方の党の責任者が、「ペシュメルガ(イラクのクルド軍)が住民を守るから大丈夫だ」と言って、避難を思いとどまらせた。彼は常々「我々は最後の血の一滴まで、シンジャルのために戦う」と言っていた。

        <イスラム国の攻撃が始まる>

8月2日の夜、シンジャルの南端にある2つの村に迫撃砲が撃ち込まれた。8月3日の早朝、ヤジディの男たちは、応戦した。ペシュメルガが応援に来るまで踏みとどまろうと考えて、戦った。援軍は来ず、200人が戦死した。

迫撃砲の音がする頃には、党の地方責任者は町を抜け出し、山を越えようとしていた。イスラム国の兵がこちらに向かっているという情報を得て、彼は早々と逃げ出した。住民には知らせなかった。彼に続き、シンジャルの守備兵であるペシュメルガは一発も応戦せずに逃げた。

北側の住民は、南端の村が攻撃されたことを、党・役場・ペシュメルガ軍の誰からも知らされなかった。党員でさえ知らされなかった。党員のひとりは、党幹部からではなく、南側に住む叔母(おば)から知らされた。党の班長に電話すると、「うろたえるな。ペシュメルガが撤退するはずがない」。そう言われても安心できなかったので、その党員は党のシンジャルの責任者の護衛に電話した。すると「党の責任者は昨晩避難しました。党本部はすでに撤退しました。ペシュメルガも撤退しました」という返事だった。

闘いが始まって数時間後、午前10時になって、ようやく北側の町々の住民は避難し始めた。彼らはイスラム国が襲ってくる数分前に逃げだした。70歳の老人は「ちょうど町を出た時、後ろで銃声がした」と語っている。逃げる人々と一緒に、ペシュメルガ兵も走ったり、車で逃げていた。

 逃げる途中で、ときおり攻撃されるが、ぺシュメルガは決して反撃しない。反撃するのは、シリアのクルド兵(YPG)だけだ。目的地のドホーク(Dohuk)に近づくと、ペシュメルガの検問所があったが、人々は、無視して通り過ぎようとした。衛兵に警告されると、「その銃を、シリアのクルド兵(YPG)に渡してしまえ。どうせ撃たないんだろ」と言い返した。

ペシュメルガが戦わないと分っていたら、もっと早く逃げていた、と多くの人が思っていた。

How the U.S.-favored Kurds Abandoned the Yazidis when ISIS Attacked

  <http://www.thedailybeast.com/articles/2014/08/17/how-the-u-s-favored-kurds-abandoned-the-yazidis-when-isis-attacked.html>

                   

                                                                            Saed IRC

                     <逃げ遅れた人々>

逃げ遅れ、山中に取り残された人々について、アジアプレスの玉本英子が報告している。彼女は4日に、近くの山に身を潜めている住民に携帯電話をした。

ーーーーーーーーー

*「山には木や水がほとんどなく、すぐにイスラム民兵に見つかるだろう。ここで死ぬのを待つだけなのか」と男性は泣きながら訴えた。

*「昨晩、数人のイスラム国の民兵が山に入ってきて、ヤズディ教徒の女性たちを奪っていくのを見た」とケマルさんはいう。一部の世帯はイスラム教徒になれ、という命令を受け入れ、山を降りたという。ーーーーー

(引用元)北部シンジャルも「イスラム国」が制圧~多数のヤズディ教徒を殺害か

貼り付け元  <http://www.asiapress.org/apn/archives/2014/08/05095752.php>

 

ケマルさんはイスラム教徒になる考えはなく、脱出しようとしたが、3日には幹線道路はすべてイスラム国の兵士に制圧され、付近の山々に歩いて逃げるしかなかったという。3日までに10万人以上が脱出している。

銃声があった2日深夜から翌3日の昼過ぎまでの短い時間が、脱出のチャンスだったようである。

              <イラク軍が空から救援>

         

 シンジャル山地はなだらかな高原で、ふだんは羊の群れが歩いている。今は、赤ん坊を抱いた母親や子供連れの家族が砂漠のような高原を歩いている。歩き疲れて、岩山の下で休んでいる家族もいる。村を出てから、一週間から10日になる。水と食料はとっくに尽きている。山中に井戸があるが、どこにでもあるわけではない。

イラク軍のヘリコプターが、山地で孤立する人々に食料・水・ミルクを届けた。CNNのリポーターがヘリコプターに同乗し、撮影した。8月10日に投稿された動画の内容は、以下のようなものである。

ーーイラク軍のヘリは、山地に向かう途中で、イスラム国の兵士に銃撃を浴びせた。間もなく、避難している人々の姿が見えた。高原一帯に、あちらこちらを歩いている。ヘリに向かって手を振り、合図していた。

輸送ヘリはそれらの人々に食料や水を投下した。脱水症状で命を落とす人も出ていたので、待ち望まれた援助だった。

物資をあちこちで投下し、積荷がなくなると、ヘリは着陸し、人々を乗せた。約20人がヘリに乗ることができた。ヘリの銃撃手は、帰りがけに、再びイスラム国の兵士たちに銃撃を浴びせた。救われた20人は、ヘリに乗った直後は恐怖で緊張していたが、しばらくするとほっとした表情になった。

http://youtu.be/188htwkPv1Y

 

ヘリコプターによる救援作戦は、数日間続けられた。一度、輸送ヘリが墜落し、パイロットが死亡した。行く時はできるだけ多くの水と食料を積み、帰りは、ひとりでも多くの人を乗せたいという心理が働くので、重量が制限を超え、操縦が難しくなっているという。

        

                                                                                                     CNN      

                   <クルド軍による救援 >                                                                       

8月9日に、地上での援助活動についての動画が投稿されている。

それによれば、地上では、トルコのクルド軍(PKK)とシリアのクルド軍(YPG)が救援に向かった。国境を超えることになるが、シンジャル山はシリア国境に近い。トルコとシリアのクルド人部隊は、大型の給水車と多数の小型トラックで、救援を行った。救出された人々は、山中では生きた心地がしなかったと語った。多くの人が死にかけていて、数百人の子供が死んだという。

http://youtu.be/rp8jwarDHVw

           難民キャンプがあるマリキーヤの位置

                                    

7000人がシリアに逃れた。マリキーヤの難民キャンプの人々に、VICEニュースがインタビューした。数人が次のように語った。

*「PKK(トルコのクルド軍)が来なかったら、我々は死んでいただろう。」

*「4台のトラックに乗ったイスラム国の武装兵が銃撃してきた。」

*「我々は武器を持たないので、どうしようもない。武器さえあれば、反撃できたのに」。

*「彼らは、3つのうちのいずれかをよこせと言った。『①お前の宗教(ヤジディ教)②お前の首③お前の女』」

*「もう村には帰れない。イスラム教徒徒以外は殺される」。

*「ペシュメルガ(イラクのクルド軍)は軍服を脱ぎ、武器を捨て、我々より先に逃げた。」

http://youtu.be/L8EdkH4blIA

 

一度は逃げたペシュメルガであるが、態勢を整えて戻ってきた。彼らは山地の一角を占領し、避難民の脱出路を確保した。その地域にたどり着けば、安全であり、水と食料を得られた。                 

              CNN

                <避難民について国連の報告>

UNHCR(国連難民高等弁務官)によれば、8月12日の時点でシリアには、1万5千人の避難民がいる。ドホークの避難民は3万5千人である。11日から12日の3日間にドホークに到着した数千の人々は、熱中症・脱水症状・極度の疲労の状態である。

8月12日の時点で、2~3万人がまだ山中に取り残されている。

トルコとの国境に近い町(Zakho)には、シンジャルとズマールから、合計10万人が避難している。

ドホークの避難民は、シンジャルからの3万5千人は一部に過ぎず、合計で40万人である。

  <http://www.unhcr.org/53e9ff869.html>

            <我々の宗教は地上から消えようとしている>

 「我々の宗教は地上から消えようとしている」とヤジディの指導者が語った。20万以上のヤジデイがなすすべなく祖国を追われた。祖国を守れなかったことが無念であり、おくればせながら軍隊を結成した。12月18日、声明を出した。「我々は、シンジャル防衛軍である。ペシュメルガと緊密な協力関係にあるが、自分たちはペシュメルガの一部ではない。故郷シンジャルを守るために結成された独立の軍隊である」。

         

                                   world hindu news

                   <、シェハンのヤジーディ教徒>

    シェハンにも ヤジーディ教徒が まとまって住んでいる。ヤズディの2大コミュニティーはシンジャルと、シェハンである。

                           

シンジャル地方には、土漠地帯に広がる岩山を取り囲むようにヤズディの町や村があったが、8月、「イスラム国」によって制圧されたことで消滅する危機にさらされている。

以上、地図と文はアジアプレス ; イラクのヤズディ教徒たち(3)◆聖地ラリシュ

 <http://www.asiapress.org/apn/archives/2014/09/03064140.php>

 

シェハンには聖地ラリシュがある

         <ラリシュのムサーフィル廟>          wikipedia

         

 

  入口の門にはクジャク(孔雀)が描かれている。            アジアプレス

       

ヤジディ教徒はイラクのクルド人であるが、自分達はクルド人である前にヤジディであると意識している。独自の宗教を持ち、非常に閉鎖的な集団で、アルビルのクルド人とは結婚しないという。秘教的な側面が誤解されて、外部からは悪魔教とみなされることもあった。

太ヤジディ教は、太陽と孔雀(くじゃく)を主神とする宗教である。その昔、くじゃくは人間に味方し、天の支配者に反逆したという。彼らは、4000年前からその地に住んでいる古い民族であり、土地と民族の由来に対する愛着が彼らを偏狭にしているだけである。近隣の先進文明の宗教をすべて取り入れながら、基本は自然宗教である。

               聖地での儀式

      BBC

 

 

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