シリア政府は2012年にデリゾール県のほとんどを失った。しかしデリゾール市の一画だけは守り抜いた。デリゾール県を支配していたのは、自由シリア軍とヌスラ戦線である。2014年の7月、ISISはこれらの反政府軍をデリゾールから一掃した。ISISはデリゾール県の95%を支配するに至った。
2014年8月までのデリゾールの状況については、「ISIS、デリゾールを奪取 2014年7月」の題で書いた。今回は2014年の9月と10月について書く。
<政府軍、ISISを攻撃>
ISISは95%の支配に満足せず、アサド政府軍の一掃にとりかかった。
9月3日、ISISは政府軍の拠点、デリゾール軍事空港を攻撃した。しかし政府軍に撃退され、空港から3㎞のところまで退却した。さらにシリア空軍がデリゾール空港付近のISISの陣地を空爆した。ISIS兵47人が死亡した、とシリア空軍が発表した。
次の地図は2011年の勢力図である。デリゾール空港の位置が示されている。デリゾール市はユーフラテス川の西岸にある。
9月5日、空港防衛のためザフレディン将軍が、600人の共和国防衛隊と90台の装甲車両とともにデリゾール空軍基地に戻ってきた。
9月14日、政府軍はISISの強固な陣地を破壊した。ISIS戦闘員14人が死亡した。
翌日政府軍の特殊部隊と工兵が、シヤシェ橋を爆破した。爆破の瞬間黒煙が立ち上った。政府はその映像を公開した。橋の上にいたISIS戦闘員は全員死亡した。(橋の位置は上記地図参照)
これによりISISは市内に入る唯一の手段を失い、市内のISISは孤立した。
10月11日,政府軍はISISの本部に総攻撃をかけた。ISISの本部は爆破された橋に近い、ジュバイラ(Jubeileh)地区のバージーン学校にある。
これは2013年の地図なので、北東からデリゾール市を攻めているのは、ヌスラ戦線と自由シリア軍であり、ISISも加わっている。
《政府軍、サクル島のISISに圧勝》
============== al-Masdar News ==============
10月14日の朝、シリア共和国防衛隊の第104旅団がサクル島のISISを強襲した。この島はISISが支配しており、いくつかの拠点があった。
(たぬき注;この地図では、はっきり見えないが、シヤシェ橋の近くでユーフラテス川が分岐している。本流がサクル島の北東を流れ、分流が南西を流れている。サクル島は川中島である。)
シリア空軍が効果的な支援をし、ISISの増援部隊がサクル島に近づけないようにした。
同日の夜までに作戦は大幅に進み、ISISが司令部としていた隠れ家を攻め落とした。この時の戦闘で数十名のISISが死亡した。司令部の建物から逃げようとした4人の指揮官がその中に含まれる。政府軍の発表によれば、33名のISISが死亡し、14名が捕虜になった。
共和国防衛軍の側は、2人の将校を含む9名が死亡した。
サクル島の戦闘で、共和国防衛軍はISISののドゥーシュカ(重機関銃)3挺を車ごと破壊した。
==========(MasdarNews終了)
シリア内戦の最初の2年間は、ドゥーシュカと呼ばれるソ連製の重機関銃が反政府軍にとって唯一の重火器だった。トヨタの軽トラックの荷台に据え付けて走りまわる姿がたびたび放映された。ドゥーシュカは対空砲としても、地上の敵に対しても用いられる。
2013年の半ば以後、一部の反政府軍が対戦車ミサイルを手に入れ、2014年には一般的になった。対戦車ミサイルは望遠レンズにより、遠くかR正確に練ららいを定めることができる。対戦車ミサイルは戦車を無力なものにする。重機関銃では、戦車に対応できなかった。反政府軍は強力な武器を手に入れた。
戦車は出現当時から弱点があった。大きいので目標にされやすく、大砲や空からの爆弾で破壊できた。戦車の底は装甲が薄く、地雷で破壊できた。
《ISIS、シナーア工業地区を攻撃》
============= al-Masdar News ===== =======
10月21日の朝、ISISはシナーア工業地区のシリア軍第108空挺旅団を攻撃した。ISISは地区の東側に侵入しようとしたが、108旅団はこれを撃退した。
ISISは政府軍の防衛線を突破したと主張しているが、政府軍はISISの攻撃を退けたと述べている。政府軍の発表によれば23人のISISが死亡し、その中の一人は自由シリア軍のアンサール・イスラム旅団の元司令官ザカリア・アブーシュである。
104空挺旅団は再びサクル島のISISを攻撃した。今回は、前回攻略したISISの拠点の南東にある、別の拠点を制圧した。
サクル島の作戦を指揮しているザフレディン旅団長は作戦の目的について、旧空港にISISを近づけないための緩衝地帯をつくるためだと語った。
(原文)ISIS Launches an Attack on Al-Sina’a in Deir Ezzor By Leith Fadel - 21/10/2014
============================ (Masdar News 終了)
シナーア地区の戦闘で死んだISISの指揮官のひとりは、元アンサール・イスラム旅団の司令官だったという。アンサール・イスラムについて、英文ウイキペディアで調べてみた。
<アンサール・イスラム>
アンサール・イスラムは2001年イラクラで結成されたスンニ派原理主義集団であり、マホメットの原初教団を理想としている。シリアで自由シリア軍に参加したのは、独立した集団でありたかったからだろう。自由シリア軍は中央から命令されされることがなく、自由だからである。実態はヌスラと同じくアルカイダである。国連、米国などの国が、アンサール・イスラムをテロリスト集団と規定している。
アンサール・イスラムの結成2年後にイラク戦争が起き、戦後は反米闘争をおこなった。米軍の撤退後はイラク政府に対する反対闘争を続けた。シリアで内戦が起きると、一部のメンバーをシリアに送った。
2014年8月29日、アンサール・イスラムの50人の指導者がISISに合流すると発表し、アンサール・イスラムは消滅した。