リワ・イスラムの指導者ザフラン・アルーシュ
リワ・イスラムはダマスカスの反政府軍の中で、ヌスラ戦線と並ぶ有力集団である。リワ・イスラムはダマスカスを含む南部戦線で中心的な存在である。リワ・イスラムの指導者ザフラン・アルーシュは反政府軍屈指の戦闘指揮官であり、ヌスラ戦線の指導者ハンマド・ジャウラーニーと並び称される。
ヌスラ戦線のジャウラーニーの指導力の根底にあるのが狂信性であるのに対し、アルーシュは戦闘経験を積んだ優秀な指揮官である。
アルーシュはダマスカス近郊のドゥーマに生まれ、内戦が始まるとダマカスの東部近郊を支配下に置いた。2013年8月21日彼の支配地東グータにサリン攻撃がなされた。
アルーシュの父はイスラム教の学者であり、ダマスカスのアサド・コーラン研究センターの理事長を務めた。
アルーシュ自身はダマスカス大学法学部を卒業後、メディナのイスラム大学でイスラム法学の博士の学位を取得した。
2015年12月ロシアの空爆により、アルーシュは内戦の結末を見ることなく死亡した。
2013年8月のダマスカスのサリン事件の首謀者はアルーシュであるという説があり、前回紹介したNSNBCの記事はその一つである。自分の支配地にサリン弾を撃ったことになり、あり得ない話に見えるが、微妙な戦略上の駆け引きがあり、簡単には否定できない。
アルーシュがサリンを有していたことは間違いなく、彼はサリン事件の容疑者である。国際メディアにおいては、アサドの化学兵器部隊が第一の容疑者であるが、これには有力な反論があり、簡単には結論がでない。
以下は前回紹介したNSNBCの記事の後半である。
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化学兵器の使用を決断したのは、リワ・イスラムの指導者ザフラン・アルーシュであるが、実は早い時期にサウジと米国の連絡将校がこれを決定していたこのである。化学兵器が使用されるなら、米・英・仏がシリアを攻撃する可能性があり、敗北している反政府軍に奇跡的な逆転をもたらす。
ロシアとシリアの情報関係者によれば、リワ・イスラムは通常の火薬弾ロケットを改造し、サリンを注入できるようにした。そしてそれをトラックの荷台から発射した。
《有名な電話傍受は嘘》
8月のダマスカスの事件について、サウジと米国の関与を示唆する多数の証拠がある。この事件で利益を得るの彼らであり、軍事干渉の口実を手に入れた。彼らは自らの犯罪を隠すため、偽情報を流した。
米国は電話の傍受内容と称するものを発表した。
「政府軍の化学兵器部隊の司令官が国防省に電話し、化学兵器の使用を報告した。国防省の高官は明らかに動揺したようだ。運悪く、国連の調査チームがダマスカスに滞在していた。彼らは数か月前アレッポで起きた化学兵器事件の調査を終了し、帰ろうとしていた。国連に発見されることを恐れ、国防省の高官は化学兵器部隊をすぐに撤収するように、と述べた」。
以上が傍受内容であるが、これは偽情報であり、そのような事実はない。ドイツの情報機関はシリア軍の将校と軍首脳の会話を傍受していたが、化学兵器に関する会話は一切なかった、としている。
国際的な反響が大きく、自分たちにとって戦略的に不利益なことを、シリア政府と軍が敢えてするだろうか。
オバマ大統領が変心したため、米国の主戦派・サウジ・イスラエルは目的を実現できなかったが、シリアに化学兵器の放棄を約束させることに成功した。履行しなかった場合、シリアは安全保障理事会の制裁を受けることになる。
これとは別に、安保理は「シリア国民保護の義務」を決議し、シリア国内での国連の活動を要求した。これは人道的理由のもとに、シリアの国家主権を制限するものである。シリアの国内難民を保護する国連の活動は、反政府軍にとって有利となる。
《ザフラン・アルーシュ》
8月21日ダマスカス近郊でサリン事件を起こしたのはリワ・イスラムであるが、事件の背後にはサウジ情報相のバンダル王子がいる。
リワ・イスラムの化学兵器部隊の指揮官ザフラン・アルーシュは1980年代、当時のサウジ情報相のトゥルキ王子の下でアフガニスタンとイエメンで活動していた。1990年代になると、アルーシュはシリアでワッハーブ主義テロリストのネットワークに参加し、シリアの情報機関に逮捕された。2011年3月末、アサド大統領が政治犯を釈放した時、彼はその一人だった。獄から出るとすぐに、彼はサウジの情報機関から巨額の資金と武器を与えられた。そのおかげで彼はリワ・イスラムを結成することができた。したがってリワ・イスラムはサウジ内務省の管理下にある傭兵部隊である。
重要人物の暗殺と大規模爆破を得意とするオマル旅団も、サウジアラビアの傭兵である。
《リワ・イスラム、大事件を起こす》
リワ・イスラムは2012年7月8日の爆破事件で一躍有名になった。この日ダマスカスにある国家安全保障会議の本部が爆破され、シリアの安全保障の中枢メンバー数人が死亡した。
①大統領の義理の兄弟である副国防相アッサフ・シャウカト
②ダウード・ラジハ国防相
③ハッサン・トゥルクマニ前国防相。死亡時、彼はシャラア副大統領の軍事顧問を務めていた。
この時期政権は地方の大部分の統制を失っており、政権の中心部を攻撃されたことは、政権崩壊の始まりと見えた。
《カタールの時代からサウジの時代へ》
2012年夏前に、主にカタールが支援するムスリム同胞団と自由シリア軍が敗北した。7月と8月リビア人によって補強されたが、カタールの影響力は低下した。これに代わり、米・サウジ枢軸が強化された。一新された命令系統に不満なカタール派旅団は別のグループを形成したが、先細りとなり、彼らの時代は終わった。サウジ系のワッハーブ主義グループが優勢となり、ますます多くのワッハーブ主義者がシリアに流入した。この流れの中でリワ・イスラムは主導的な役割を果たした。現在ヌスラ戦線とリワ・イスラムが最も戦闘的なグループである。両者は米国とサウジアラビアから武器を供給されている。
自由シリア軍は2013年半ば少数勢力に転落した。強力なイスラム主義グループが支配地拡大広をめぐり互いに争う状況となり、多くの愛国的な自由シリア軍の指揮官たちはアサド政権と同盟するようになった。政権はこうした流れを奨励し、指揮官たちに名誉ある待遇を提供した。
反政府軍は事実上アルカイダ系のみとなったのであり、自由シリア軍に内実はなく、「穏健な反政府軍を支援する」という米国の建前のためにだけ存在しいた。カタール、リビアのムスリム同胞団とトルコによって支援された自由シリア軍の時代は終わったのである。
《査察団はアレッポの事件の調査に来ていた》
8月21日ダマスカスのグータ地区でサリン事件が起きた時、偶然国連の調査チームがダマスカスに来ていた。5か月前アレッポ近郊で化学兵器が使用され、政府軍兵士と住民が死亡した。シリア政府は国連に調査を要請したが、国連はすぐに応じようとせず、ロシアの圧力により、また反政府軍が大量の化学兵器を保管していたことが判明し、ようやく要請に応じたのである。バニアスのテロリストが281バレル(たる、またはドラム缶)の化学物質を保管していたことについて、ジャファリ国連大使は次のように述べた。
「昨日シリアの治安部隊はバニアスで、281個のたるに入った極めて危険な化学物質を発見した。国家を全滅させるほどの量ではないが、都市を全滅させることができる量である」。
国連の査察団は8月18日ダマスカスに到着した。8月21日調査を開始する予定だった。その日、グータで化学攻撃が行われた。査察団は急きょこの事件を調査することにした。査察団が準備を終え、東グータに向かおうとした時、正体不明のスナイパーが国連の車を銃撃した。国連の専門チームの安全のために、アルーシュとリワ・イスラムが警護を申し出た。そしてアルーシュはザマルカを拠点とするリワ・バラアに査察団の警護を任せた。こうして東グータを調査する査察官は犯罪者の管理下で、犯罪の捜査することになった。
有名な化学兵器の専門家アッバス・ファルーサン(Abbas Forouthan)は国連の調査報告を痛烈に批判した。
「全体的にこの報告は医学的に疑問点が多く、国際的な医師団による再調査が必要である。医学的な観点からは、この報告に示されている証拠は、サリンの存在を証明するのに不十分である」。
被害者の救助を行った者たちが被害を受けていないので、サリンの毒性が弱く、これは手作りのサリンである、とロシアの専門家などは考えている。アルカイダ系反政府軍が所有する手作りのサリンがシリアとトルコで発見されている。
化学兵器が使用されたことに、多くのシリア国民が衝撃を受けている。反対派の人々もショックを受けている。
様々な政治的立場の人たちがロシアの外交官に情報をもたらした。
《米軍のシリア攻撃は決定されていた》
グータのサリン事件が起きたのは8月21日であるが、同じ月の2日、サウジのバンダル王子がモスクワでプーチン大統領と会談した。アサド大統領の処遇が話題の中心だった。アサドを失脚すさせることにプーチンが協力するなら、サウジはロシアの武器を買うと、バンダルは持ちかけた。ロシアのガスの権益を保障するとも述べた。アサドに代わってサウジの代理人(イスラム主義者)を政権に就けることを、バンダルは提案した。シリアにおけるロシアの権益については心配しなくてもよい、と彼は約束した。シリアの体制転換にロシアの協力を求めながら、バンダルはプーチンを露骨に脅した。
「来年ソチの冬季オリンピックの際にテロが起きないことを保障する。冬季オリンピックを脅かすチェチェン・グループは我々の支配下にある。彼らは我々の同意無しにシリアに入ることはない。イスラム主義グループは我々にとって脅威ではない。シリアの政権を倒すために彼らを使っているが、彼らはシリアの政治的将来において役割はなく、影響力もない」。
プーチンは答えた。
「サウジが10年前からチェチェン・テログループを支援していることは、知っている。あなたの提案は国際テロと戦う共通の目的に反している」。
バンダルはシリアについて話を続け、アサドが政権に留まることを、サウジは認めないと述べた。
これに対し、プーチンが言った。
「野蛮なテロリストがシリアの将来を決めるべきでなく、それするに適しているのはシリア国民だ」。
アルカダの司令官が殺害した政府軍兵士の肝臓を食べたことに、プーチンはあきれている。
バンダルは再びプーチンをおどし、ロシアがアサドの追放に同意しないなら、米軍の攻撃は避けられないと述べた。「シリアの混乱は軍事的に解決するしかない」。最後にバンダルは捨て台詞を述べた。「もうすぐ米国が軍事介入することになる」。
グータの事件が起きる20日前、米国の軍事介入は決定されていた。米国の軍事介入が決定されていたことは、その口実となる化学兵器事件も準備されていた可能性が高い。サウジの情報相であるバンダルは米国のブレナンCIA長官と密接な関係にあり、この2人がグータ事件とそれに続く米軍によるシリア攻撃を共謀したようだ。両者はグータの事件の第一の容疑者であり、国際刑事裁判所による調査が必要である。
ロシアがアサド辞任を受けなければ、米国は軍事介入をする、というおどしと最後通牒について、バンダルは「この提案は米ホワイトハウスの最上部の承認を得ている」と主張した。
「私はロシアに来る前に、ロシアとの交渉内容について
オバマ政権の最上部と調整した。サウジとロシアの間で決定された事項について、特にシリアについて、米国は責任を持って実行する、と彼らは約束した」。
オバマ政権がシリア攻撃を決定していたことは確実である。7月18日デンプシー統合参謀本部議長が上院で次のように証言した。「わが政府はシリアへの軍事介入を真剣に考えており、その方法を探っている。地上軍を派遣するか、海と空からの攻撃にとどめるか。現在こうした問題が担当部門で検討されている」。
軍事介入時期が決まっていながら、介入にふさわしい事件が偶然起きるのを待っているはずがなく、化学兵器事件も同時に計画されていたに違いない。
すでに述べたように、マフラク(ヨルダン北部)の米特殊部隊は反政府軍に特殊作戦の訓練をしていた。これには獲得した化学兵器の管理方法も含まれていた。
パレスチナ人の情報員がNSNBCに次のように語った。「私の情報源の話によると、米国の特殊部隊は化学兵器の使用法を反政府軍に教えている」。
新しく武器を供給されたにもかかわらず、ダマスカス周辺の反政府軍はジョバルで決定的に敗北した。その直後に化学兵器が使用された。
サウジのバンダル情報相と米国のブレナンCIA長官は化学兵器が使用されることを知っていたに違いない。
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