シリアの北西部は地中海に面している。この地域はアラィ派住民が多数を占めており、アサド政権にとって信頼できる支持基盤となっている。しかしこの地域の中心的な都市にはスンニ派も居住している。ラタキアとバニアスの住民の約半分がスンニ派である。ラタキアとバニアスでは、シリアで最も早くデモが起きている。地中海岸の北部にラタキアがあり、南部にタルトゥスがある。その中間に小さな港町バニアスがある。
ラタキアとバニアスでは早い時期にデモが始まっていたが、デモ参加者があまり多くなく、欧米のメディアが取り上げることはなかった。しかし2011年4月10日バニアスでシリア軍兵士9名が死亡し、いくつかのメディアがこれを報じた。死亡した市民は4名であり、市民の死よりも兵士の死のほうが多い、驚くべき結果になっている。
======《命令を拒否した兵士が射殺される》====
Syrian soldiers shot for refusing to fire on protesters
<https://www.theguardian.com/world/2011/apr/12/syrian-soldiers-shot-protest>
Guardian 2011年4月12日
〈4月10日〉
バニアスでは治安部隊がデモを容赦なく鎮圧している。そうした中、デモをする市民に発砲することを拒否した兵士が、治安部隊によって射殺された。
でもまだysマダヤ村出身の召集兵ムラド・ヘジョも治安部隊のスナイパーによって射殺された。彼の家族は「ムラドは市民に発砲することを拒否した」と述べている。
YouTubeに投稿された動画の中で、負傷した兵士が「治安部隊が私の背中を撃った」と語っている。
市民に対する発砲を拒否したために治安部隊によって射殺された別の兵士ムハンマド・クンバルの葬儀の映像も投稿されている。
命令拒否は離反の前兆であり、アサド政権にとって深刻な問題である。
バニアスでの兵士の死について、シリア国営テレビは異なった説明をしている。「武装グループが兵士たちを待ち伏せ、発砲した。9人の兵士が死亡した」。
バニアスの人権活動家たちも「兵士の死傷は必ずしも治安部隊の発砲によるものではない」と認めている。バニアスの人権活動家ワシム・タリフは次のように述べた。「市民の中に武器を持った者がいて、彼らは自衛のため発砲した
、という報告がある。我々はこの件を調べるつもりだ」。
この日(4月10日)、バニアスのデモで少なくとも4人の市民が死亡した。
バニアスではパンが不足し、電気と通信も途切れがちである、と住民が話している。
同日バニアスに近い2つの村で暴力事件が起きた。反対派の指導的な人物によれば、政権支持派の武装グループが村を襲撃した。AP通信によれば2つの村を襲ったグループは自動小銃を使用したという。2つの村名前は Bayda とBeit Jnadである。
最近バニアスとラタキアでは暴力事件がしばしば発生している。政府支持派の武装グループや私兵が活動している、と地元の住民が話している。「4月10日、乗用車に乗ったシャビーハ(政府の私兵)が銃撃した。その車にはアサド大統領が張り付けられていた。
〈4月12日〉
2日後(4月12日)の夜、バニアスは騒乱状態となり、外部との通信が完全に切断された。治安部隊はバニアスの近くの村バイダをくまなく掃討した。目撃者によれば、治安部隊に武装グループが加わり、両者は無差別に機関銃を撃っている。バイダ村は徹底的に攻撃された。
=====================(ガーディアン終了)
9名兵士の死について米国オクラホマ大学のヨシュア・ランディスが詳しく書いている。兵士たちは命令に従わなかったため射殺されたという説に、彼は反論している。
=====《9人の兵士を射殺したのはだれか》=====
Western Press Misled – Who Shot the Nine Soldiers in Banyas? Not Syrian Security Forces
<http://www.joshualandis.com/blog/western-press-misled-who-shot-the-nine-soldiers-in-banyas-not-syrian-security-forces/
ヨシュア・ランディス 2011年4月13日
4月10日、バニアスで9名の兵士が死亡した。死亡した兵士は市民への銃撃命令を拒否し、治安部隊によって射殺されたと報道されている。これが事実でない証拠が複数ある。欧米のメディアは誤った報道をしている。
今朝私の妻がシリア軍の中佐から話を聞いた。
〈ウダイ・アフマド中佐の証言〉
ウダイ・アフマド中佐の義兄弟は4月10日に死亡した将兵の一人である。死亡した義兄弟はヤスル・カシウル少佐である。軍のトラックがバニアスに向かう幹線道路を走っていると、突然襲撃された。カシウル少佐はトラックを運転しており、アフマド中佐は後部座席に座っていた。襲撃された時の状況をアフマド中佐が語った。
「トラックは2方向から銃撃をうけた。道路に面した建物の屋上から銃撃され、同時に道路の中央分離帯のコンクリートに隠れていた連中が銃撃してきた。2台の軍用車が銃撃され、9名が死亡した。私の義兄弟のヤスル・カシウル少佐も死亡した」。
シリア国営テレビが銃撃の場面の映像を放送している。市民への発砲を拒否した兵士が射殺されたという話は完全な誤りである。命令を拒否した兵士が証言するYouTubeビデオがあり、ガーディアンが紹介している。
Footage on YouTube shows an injured soldier
兵士は「治安部隊によって背中を撃たれた」と語っている、というガーディアンの説明は誤りである。このビデオの中で、兵士は「市民に対し発砲しろと命令されていない」と言っている。この兵士は「治安回復の目的でバニアスに向かっていた」と言っている。政府軍やその手先によって撃たれた、とは言っていない。彼はそのようなことを否定している。質問者は答えを誘導しようとしているが、兵士は質問者が引き出そうとする話を否定している。数人がこの負傷した兵士を取り囲んで、上官によって撃たれたという告白を引き出そうとしているが、失敗に終わっている。そして負傷した兵士は次のように言った。「銃撃され場合にのみ発砲しろ、と命令された」。負傷した兵士を取り囲んでいるのは反対派のようである。彼らの一人が兵士に質問した。「我々に向けて発砲するのを拒否したら、どうなる?」市民を撃てとは命令されていないと言ったばかりなのに、そう質問された兵士は答えようがないようだ。「我々は市民に発砲していない。橋のところで、我々は銃撃された。あらゆる方向から銃撃された」。
〈イタリアの有力紙の2人の記者の観察〉
イタリアの有力紙レプブリカのベテラン記者( Alix Van Buren)
が私に報告してきた。彼は現在ダマスカスにいる。
「現在シリアで起きていることは非常に複雑だ。ネットで事実を知るのは困難だ。シリアには外国の記者がいないので、何が起きているのか、さっぱりわからない。外国の介入という重大な問題について、私はある情報を得た。尊敬されている反対派の人物が次のように語った。
『4月10日、元副大統領カッダム(Khaddam)の側近2人がバニアスで逮捕された。2人は武器と資金を配り、シリアに混乱を起こそうとしていたようだ。外国の陰謀グループが存在し、活動している、と確信している反対派もいる』」。
レプブリカ紙のもう一人の記者ヘイサン・マレーは「カッダム元副大統領の配下の者たちがバニアスで暗躍している」と断言している。また同記者はリファト・アサドに忠実な、ならず者たちにも言及している。リファト・アサドは現大統領の叔父であるが、サウジアラビアと親密な関係にある。彼の妻とサウジアラビアのアブドラ国王の妻は姉妹である。ヘイサン・マレーによれば、リファト・アサド配下のならず者たちがタルトゥスからラタキアに至る地中海沿岸で活動している。
〈バニアスの著名な反対派の意見〉
シリアのキリスト教徒で作家のマイケル・キロ(Michel Kilo)は外国の陰謀を認めながらも、それよりも民主主義への移行が先決事項であると考えている。
カッダム元副大統領はアサド政権と敵対しているが、反対派からは批判されている。バニアス出身のアブ・エルケルもカッダムを嫌う一人である。多くの人がアブ・エルケルのブログを読んでいる。彼は現在獄中にいる。2度目の逮捕であり、最初の逮捕は数週間前である。彼はバニアスで著名な反対派であり、バニアスの最初のデモは彼の釈放を要求するものであった。逮捕される前、彼はFaceBookでカッダム元副大統領を厳しく批判した。賛成のコメントがいくつも寄せられた。コメントの一つはカッダム元副大統領を呪い、「カッダムは無実な人たちの死に責任がある」と書いている。
〈アラビア語のメディアが伝えること〉
シリアで起きていることについて、アラビア語のメディアには興味深い記事がいくつもあるが、欧米のメディアがこれらの記事に注目することはない。例えばワタン紙がシリアの作家ヘイサン・マンナ(Haytham Manna)について書いている。
「多くの人がマンナに接触してきた。その中に、シリア人実業家でありながら、外国のパスポートを持つ人物がいた。この人物はマンナに言った。「現在デモをしている若者たちに資金と武器を配布したいので、仲介してくれ」。
マンナに接触してきた人物には湾岸の大国の人間もいる、とワタン紙はほのめかしている。ヘイサン・マンナはダラア出身の作家であり、外国がダラアの若者たちに武器と資金を渡したがっていたことになる。ダラアはシリアで最初に大きなデモが起きた都市であり、現在も抗議する市民と治安部隊の間で激しい衝突が起きている。ワタン紙が書いているマンナの発言が事実なら、意味することは重大である。
またヘイサン・マンナは故郷ダラアでデモをしている人々に「絶対に武器と資金を受け取ってはならない」と助言したと言われている。
================(ヨシュア・ランディス終了)
外国によるシリアの反対派への武器・資金援助2012年以後大規模になり、公然の秘密となった。2011年の武器・資金援助はかなり小規模であり、事実を突き止めるのは困難である。上記ヨシュア・ランディスの記事は2011年の武器・資金援助についての、数少ない証言を明らかにしている。
軍用トラックが襲撃され9名の兵士が死亡した事件の背後には、カッダム元副大統領がいるようである。カッダム元副大統領はハフェズ・アサド政権において大統領に次ぐ実力者となった。彼はスンニ派であり、自分の能力により政権のナンバー2にまでのぼりつめた。カッダムはハフェズ・アサドの死後短期間、臨時大統領に就任した。2011年彼は反対派の大物となり、シリア軍から離脱した将校たちの世話をした。カッダム元副大統領はバニアスの出身であり、地中海沿岸部のデモの過激化に責任があるようだ。2011年3月ー4月シリアでデモをする人々の多くは暴力革命をするつもりがなく、カッダム元副大統領配下のグループに批判的だった。デモをする一般の市民にとって、カッダム元副大統領は政権側の人間であり、仲間ではなかった。