たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

4巻36ー39章

2023-02-21 20:11:09 | 世界史

【36章】

護民官のこのような考えは広く受け入れられた。しかし平民

の利益のための政策を実現するには、やはり平民が執政副司令官になる必要があり、翌年の選挙には数人の平民が立候補するつもりだった。国有地の分割と新しい植民地の設立が期待された。また兵士への支払いのための資金を国有地の占有者に対する課税でまかなう必要があった。

現在の執政副司令官は平民が市内を留守にし、護民官が不在の時に元老院を開いた。郊外に住んでいる元老は一人一人呼呼び出した。この時ヴォルスキ族がヘルニキ族の土地に侵入したという噂があり、しかるべき人物が現地に行って状況を確かめなければならなかった。元老院は執政副司令官の派遣を決定した。また元老院は来年の最高官は執政官にすると決定した。執政副司令官は出発に際し、アッピウス・クラウディウスにローマの市政を託した。アッピウス・クラウディウスは十人委員の息子で、活力にあふれた若者だった。彼は子供のころから平民と護民官に対する憎しみを教え込まれた。護民官はこのような人物の登用に反発しなかった。十人委員はすでに過去のことなので、委員の息子と争う理由はなかったし、ローマを留守にしている執政副司令官と争うつもりもなかった。

【37章】

執政官に選ばれたのは、C・センプロニウス・アトゥラティヌス、Q・ファビウス・ヴィブラヌスだった。この年(紀元前423年)については、外国で起きた事件が二つ記録されている。そのうちの一つが重要であり、エトルリア人の都市ヴォルトゥルヌスが陥落したことである。現在サムニウム人はこの都市をカプアm)と呼んでいる。サムニウムの将軍がこの都市をカプアと呼んだという説もあがあるが、この都市が草原に位置していたので、人々がそう呼んだのだろう。

(日本翻訳注)カプアはギリシャ語で農地または牧草地を意味する。カプアはエトルリア語で湿原を意味すという説があるが、エトルリア人はこの都市をヴォルトゥルヌスと呼んでいたのであり、エトルリア語のヴォルトゥルヌスは湿原を意味するのだろうか。カプアはナポリの北29km。カンパニア地方のエトルリ人は紀元前5世紀後半サムニウム人に征服された。リヴィウスが語るヴォルトゥルヌスの陥落とはこの事件に他ならない。紀元前423年のヴォルトゥルヌスの陥落について語っているのは、リヴィウスだけであり、彼のローマ史は史料として価値が高い。以下の本文でリヴィウスはこの事件について説明しているが、征服民族が誰であるか書いていない。サムニウム人であるに違いない。(日本翻訳注終了)

エトルリア人の敗北後、ヴォルトゥルヌスは戦乱が続き、衰退した。勝利した人々が移住してきて、エトルリア人が祭りを祝い、酒を飲んで眠っていると、新しく移住した人々が彼らを襲い、虐殺した。

この頃ローマでは、12月半ばに上述の執政官が就任した。ヴォルスキの動きについて、視察に向かった執政副司令官の報告があり、ヴォルスキはこれまでより真剣に将軍を選び、兵士を集めていることが分かった。ヘルニキ族とラテン人も同様な報告をしてきた。ヴォルスキ人は次のような考えで一致していた。「我々は戦争に自信をなくし永遠の隷従を受け入れるか、それとも勇気・忍耐・戦術によって覇権国家に対抗するかのか、どちらかである」。

このような報告は極めて正確だったにもかかわらず、元老院は無関心を示さなかった。また執政官センプロニウスもヴォルスキを脅威と考えなかった。ヴォルスキは何度も負けており、ローマの優位は変わらない、と彼は考えた。こうして性執政官は慎重さに欠け、思い込みだけで判断し、しかるべき対策を取らなかった。現在のヴォルスキ軍の規律はローマ軍よりしっかりしていた。戦場における運は不確かであり、次の戦闘で、運はヴォルスキに味方するかもしれなかった。ローマ軍とヴォルスキ軍が最初に衝突した時、執政官センプロニウスは作戦がなく、予測も立てずに軍団を押し出した。彼は戦線を強化する予備の部隊を用意していなかったし、効果的な場所に騎兵を配置していなかった。両軍の掛け声で戦闘が始まったが、ヴォルスキ兵の掛け声の方が力強く、迫力があった。ローマ兵の叫び声はバラバラに発せられ、繰り返すたびに弱くなり、彼らの勇気が次第に減っていたことをを示していた。ヴォルスキ兵はこれに気づき、激しく盾を押し付け、剣を振りかざし、ローマ兵を押していった。ローマ兵はヘルメットをずらし、助けを求めて周囲を見回した。彼らは動揺し、互いに寄り添って身を守ろうとした。最前列のローマ兵は踏みとどまるのが精一杯で、軍旗を放り出した。彼らは持ちこたえられず、背後の小隊の間に逃げ込んだ。ローマ兵は敗走してないし、勝敗は決まっていなかったとはいえ、ローマ軍は防戦一方だった。ヴォルスキ軍は前進し、ローマ軍は後退した。この段階で、死んだローマ兵が多く、逃げた兵士は少なかった。

【38章】

ローマ兵は浮足立ち、執政官センプロニウスが彼らを非難しても、勇気づけても無駄だった。執政官の権限も、彼自身の威厳も役に立たなかった。ローマ軍は敗北を前にしていたが、この時、勇敢で機敏な騎兵中隊長テンパニウスが絶望的な状態のローマ軍を立て直そうとした。彼は騎兵に対し、「馬から降りよ」と命令した。「共和国ローマのために戦うのだ!」。

騎兵全員が命令に従った。騎兵中隊長の命令には執政官に匹敵する重みがあった。騎兵中隊長は付け加えて言った。

「我々騎兵が小さな丸い盾でヴォルスキの進撃を止めるのだ。ローマの覇権が失われる瀬戸際だ。私の槍を軍旗と思って、ついて来い。ローマの騎兵は最強であり、歩兵としても最強であることを証明せよ」。

騎兵全員が同意の掛け声を上げた。騎兵中隊長は槍を直立に持って進んだ。歩兵となった騎兵はヴォルスキ軍に向かっていった。しかし彼らは人数が少なく、一度に敵の全軍を相手にすることはできなかった。

【39章】

これを見抜いたヴォルスキ軍の指揮官はローマの騎兵が近づ

いてくると、自軍の兵を後退させ、ローマの騎兵をやりすごした。衝動的に突き進んだ騎兵は歩兵本隊から切り離され、孤立してしまった。彼らは引き返そうとしたが、ヴォルスキの大軍が立ちはだかった。この時執政官とローマの歩兵部隊は騎兵の姿が見えないことに気づいた。騎兵は少し前まで歩兵たちを守るの盾の役目を果たしていた。間もなく彼らは、勇敢な騎兵が包囲され、全滅の危機にあるのを知った。執政官と歩兵はいかなる危険を冒してでも騎兵を救うことにした。その結果ヴォルスキ軍は二正面の敵を相手にすることになった。一方にローマの歩兵軍団、後方にテンパニウスの騎兵隊がいた。しかしヴォルスキ軍の勢いに変化はなかった。むしろローマの騎兵が窮地にあった。彼らはヴォルスキ軍を突破できずにいたが、小高い場所に集まり、円形陣を組んで防御態勢を取り、攻めてくる敵に損害を与えた。一方でローマの歩兵とヴォルスキ軍の戦いは夜になまで続いていた。執政官は薄暗くなっても攻撃をゆるめなかった。真っ暗になり、戦いが終了した。両軍はそれぞれの陣地に戻ったが、薄暗くなるまで戦ったので、最後の戦闘状況がわからず、どちらの軍も自分たちが敗北したと考え、負傷者とほとんどの戦備品を残して、近くの丘に避難した。 ローマ騎兵の戦いは夜になっても続いていたが、 やがてヴォルスキ兵は自分たちの陣地が放棄されたことを知り、自軍の本隊が敗北したと考えた。彼らはあわてて暗闇の中を逃げ出した。ローマの騎兵中隊長は罠を恐れて、夜が明けるまで防衛体制を維持した。明るくなると、彼は偵察兵を連れ出した。負傷した敵兵から、ヴォルスキの陣地が放棄されたことを、彼は知った。騎兵中隊長テンパニウスはこの情報に喜び、騎兵を率いてローマ軍の陣地に向かった。ローマ軍の陣地に兵士の姿はなく、ヴォルスキの陣地同様惨めな状態だった。ヴォルスキ軍が誤りに気付き、ローマの陣地を襲ってくるかもしれなかったので、テンパニウスは負傷兵を運び出すことにした。執政官がどこへ行ったのかわらなかったので、彼はローマに帰ることにした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする