道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

今年のお月見スタンバイ

2021年09月16日 | 随想

秋風が立ち、ススキの穂並みが靡くのを見ると、心はお月見に奔る。
今年の〈中秋の名月〉は9月21日。どうしてやつがれはこうも月見が好きなのだろう?大して面白くもないのに。静かに月を眺めているだけの行事・・・

お月見行事は、一般に中国から伝わったとされているようだが、私はそれ以前の、日本の風土に独特の土着的信仰に始まると考えている。この習俗の起源は、神道発祥以前の時代、すなわち縄文期にまで遡るのではないだろうか?供え飾りを具に検討すると、後に中秋節を伝えた中国の文化の影響は一切感じられない。百歩譲って、月で兎が餅をついているという想像だけは、中国人のものかもしれないが、遥かに時代が降ってからのものだろう。お月見の習俗には、異文化の混じらない純粋性があり、それ故に私たちの魂に触れる何かがある。

人々が太陽や月に祈りを捧げていた時代を想わせる供え物が興味深い。住生活の安定を願う祈りと収穫への感謝と願いが、供え物に表れているように思える。花でなくススキの穂(これも花には違いないが)を供える風習が、子どもの頃から不思議だった。

屋根葺き材に用いるススキ(芒)とオギ(荻)は同属別種だが、双方合わせカヤ(茅・萱)と総称されるようだ。ススキの穂を供える風習は、住生活の安定を願ってのことと考えられないか?

風土が生んだ屋根葺き材のカヤ(萱・茅)の名称は、芒(ススキ)や荻(オギ)の植物の固有名を分別する前からのものだろう。古くから住居に最も大切な植物性の屋根葺き材としての固有の名称。
大量に集め、短期間で密度高く葺かなければ屋根材として用を成さない草だった。
しかもこの草は個人で調達して施工することは不可能に近い用材だった。
共同体で共有する採草地(萱野・萱場、荻野、荻窪)の存在は、今日も地名に遺り、屋根葺き材が共同体の所有管理の下にあったことを伝えている。

茅葺き屋根は、茅の刈取りと屋根葺きの作業が、共同体の成員総出による、短期一斉の共同作業を必須とした古代以来の建築事情を推測させる。先史時代から日本人の住居は、屋根の材料とそれを葺く技能・労役の両面で、個人が完成させることは不可能だったに違いない。住居の安定への切実な思いと自然への感謝の念が、ススキ(尾花)を供える風習を招いたのではないだろうか?

別の供え物のクリとサトイモは、稲作以前の時代の代表的収穫物で、単純に食糧の収穫への感謝の意味だろう。稲作を知って後に米粉を使う団子が加わったのも、収穫への願いと感謝の表明であることは変わらない。
〈月の海〉を、兎が餅を撞く姿と見立てるようになったのは、団子を供えるようになって生まれた発想だろう。

当地はコロナの緊急事態宣言の延長で、9月30日まで飲食店へ行ってもお酒を出してもらえない。お店もさることながら、酒好きには、かつて経験したことのない苦境である。

こういう異常事態になると、歴史を遡って「月見て一杯」、家飲みに工夫を凝らすしかないだろう。コロナが収束するまでは、〈中秋節〉に限らず年がら年中、お父さんたちは満月の下で独り月見酒と洒落てはどうだろう?loneliness でないsolitudeを体験するには、またとない機会かと思う。

例によってオッチョコチョイのやつがれ、つれあいの不評を買うことを覚悟して、フェンスに半恒久的な月見壇を設えた。

ススキを度々用意するのは面倒だから、鉢植で間に合わせた。あとはクリ・サトイモ・三宝に盛った団子を用意し満月を待つばかり。證誠寺の狸でないから、月が出ても祭囃子とは無縁、静謐をもって最上とする。雲で月が見えなくても一向に構わない。雲居の月もまた一興、ぐらいの気持ちにならないと、月見酒は飲めない。


私たち民族の貴重な習俗お月見が廃れたのは、テレビの普及の影響が頗る大きいと思う。家族一同が夕食の時から就寝するまで、娯楽としてテレビ番組を観るようになり、テレビは一家団欒の主役になった。以来私たちは、月など見なくなった。月面着陸も、月の神秘性を失わせた。
私たちは夜に月を眺める習慣を失い、ニュース番組の映像の中で、中秋の名月を観るようになってしまった。

低劣化の一途を辿るテレビ番組に飽きたやつがれの家では、昨年からお月見が復活している。この日ぐらいは、テレビを観ないで、家族と共に月を眺めた時代を懐かしみたい。




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