道々の枝折

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記憶と思考

2022年09月18日 | 随想
私たちの視覚対象には、動いているもの(動態)と停止しているもの(静態)とがある。

私たちの視覚は、スチール(静止画)しか記憶出来ないようだ。脳はムービー(動画)を記憶するようにはできていないらしい。動きのある物体や情景は、シーン(映像)をそのまま記憶できず、断片化したショット(画像)のみを記憶として留めるらしい。

記憶はスチールで出来上がっている。この事実は重い。
私たちの脳が現実の映像をムービーで記憶できない理由は、コンピュータの仕組みから類推すると、脳の記憶の構造や、記憶素子の数に限界があるからだろう。
映像は画像に比べ記憶素子を圧倒的に多く必要とする。限られた記憶領域に視覚情報を収納するなら、静止画で保存する仕組みになるほかなかったのだろう。

映像情報を記憶できないとすると、日常生活の多くの時間、テレビやスマホを視聴している現代人が映像を視ている時間というものは、記憶領域が作動していないということになる。

人間の思考には、記憶の参照が欠かさせない。記憶がベースとなって思考が組み立てられる。映像情報が記憶できないとなると、映像情報を元に思考することはできないということになるのだろうか。

わが国でテレビの放映が始まった1953年、社会評論家の大宅壮一(大宅映子の父)氏は、テレビ時代の幕開け早々、一億白痴化」と警鐘を鳴らした。これに小説家の松本清張氏が「」を加えたと伝えられる。
一億総白痴化」の論拠は「テレビの番組は、紙芝居のような低俗なものばかりであり、テレビばかり見ていると人間の想像力思考力を低下させてしまう」というものだった。テレビを観ることが人間の思考の減退につながることを危惧してのフレーズだったのだろう。「一億総白痴化」は流行語となった。 
両氏が言ったように「テレビの番組は、紙芝居のような低俗なものばかり」と言うのは当を得ていないが。

在京テレビ局は1955年までに出揃い、日本は本格的テレビ時代を迎えた。時を同じく、自民党の55年体制もこの年にスタートした。
それから67年後の今日、私は大宅壮一氏と松本清張氏は、国民の将来に対するテレビの悪影響を正しく予見したと敬服している。

現代人は、どこでもいつでも、超ショート映像閲覧が可能になったことで、思考の退廃の危険に晒されている。
TikTokをはじめとする興味本位の刺激的なストーリーの無い15秒足らずのショート画像が、スマホ画面上に氾濫している。
これも人類史上極めて特異で不自然なことで、この影響は計り知れない。


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