道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

悪魔の日本語

2021年12月26日 | 随想

男性には「助平虫」という「獅子身中の虫」が棲んでいる。

「助平」という日本語は、まことに始末に負えない単語である。
「好いたらしい」と言われたいのに
「助平ったらしい」とやられたら、もうお終いである。具体的な事実があるわけではなく単なる印象であるから極めて始末が悪い。
女性が男性を貶める時、これほど効果を発揮する言辞も珍しい。

英語圏には、女性が男性を貶める言葉に、日本語で「ふにゃ〇〇」の意のスラングがあるらしい。知りたくもないので、未だになんという語か知らないが・・・

昔見た人気TVドラマ「アイラブ・ルーシー」で、ルーシーが男性(夫?)に「フニャ!フニャ!フニャ!」と3連呼してヘコますシーンがあったことを憶えている。日本語吹き替え台本の訳者の腕の冴えを感じた。きっと女性だったに違いない。
アチラは具体的に事実を指摘する語だから、貶める効果は絶大、云われた当人は反論の余地がないだろう。

日本では、男性は女性から「助平ったらしい」と見られないよう一所懸命に気を配らねばならない。コチラは事実の有無には無関係だからタチが悪い。
我が身の「助平」に気づいた時から、男性は一生、この語源も意味も定かでない得体の知れない単語に翻弄され続ける

面白いことに女性たちは、自分の贔屓の俳優・歌手・アスリート・プレイヤー・MC・アナウンサーなど「好いたらしい」男性には、「助平ったらしい」男が居ないと思い込んでいる。彼らも男性である以上、「虫」が棲んでいないはずはないのだが・・・
元来女性は依怙贔屓が強いから、公平性など薬にしたくもないのであろう。

男性の本性に従順な人たちの中には、「助平」を曝け出した挙句人生を誤る人が跡を絶たない。前途有為であったり、良識も地位もある人が、痴漢とか盗撮などの破廉恥な事件を惹き起こし、それまでのキャリアを棒に振り、家庭人としての矜持と社会的地位を失う。コロナの感染者がゼロの日はあっても、その手のニュースがアップされない日は無い。

常々「助平ったらしく」見えないように注意している私たちは、やはり仮面を付けて社会生活を送っているのだろう。男性はおしなべて「隠れ助平」とでも言うべき存在である。

世の中に助平でない男などいないはずだが、女性は好みの男性の助平に気付いていても「助平ったらしい」とは見えないらしい。恋の浄化作用の秀れた面である。彼女の「好いたらしい」男が、別の女性の「助平ったらしい」男である蓋然性はかなり高いのだが・・・

男性たるもの、この世の全ての女性に「好いたらしい」と思われようと、老いも若きも日夜懸命に努力している。
しかし身に着いた「助平根性」は時と処を選ばず厚顔を覗かせる。決して年齢で「助平度」が上がる訳ではない。若い時から男性とはそういうものである。ただ老人は、精神の緊張と自制心が緩みがちなので、人目に付くのである。

「助平」という語は実体が無くて印象のみが有る悪魔の日本語である。印象は凡ゆる好色ごとに想像を逞しくさせるから、「助平ったらしい」のレッテルを貼られた人は好色のデパートのように見做されてしまう。とんでもない日本語があったものである。




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