道々の枝折

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民主主義につきまとう影

2021年12月23日 | 人文考察
民主主義について、自分なりに考えを纏めてみたい。

そもそも民主主義という政治形態は、ギリシャとローマに始まると承知している。ギリシャの直接民主制度はローマにとって変わられ、現代の間接民主主義制度に繋がっていると私たちは教わった。

多数ではあるが烏合の衆でしかない民衆は、賢明な人々を選び、統治権力をその代表者に委ねることで身の安泰を図る。多数の側に与し、権力に服従することで安住を得ようとする大衆にとって、民主主義は、他の制度よりは居心地のよい制度と言えるだろう。

人間は社会的存在であり、数を恃むのは人の正しい姿であるから、価値観を共有する人たちが集合し多数を形成するのはごく自然の成り行きである。民主主義の原則多数決は、民意の多数を尊重優先しようとする考えに基づいている。

しかしそれには前提がある。多数の民意が理性・知性に発するものでなければ、衆愚の政治、ポピュリズムに堕してしまう。しかし理知に基づいたその主張がたとえ多数を占めても、それが正しいとは限らない。

民主主義が煽動家に弱いことは、歴史に精確に記録されている。
煽動家は多数派工作の天才であり、多数派のリーダーである。
彼らは原理原則をもたず手段を選ばない機会主義者であるから、多数の支持を獲得することにかけては、極めて意欲的かつ巧みである。

民主主義に扇動者を排除する自浄作用を期待するのは間違っている。民主的政権といえども、自らが権力を失う可能性のある法制度を積極的につくることはあり得ない。
民主主義は、煽動家の温床である。

多数決は、何ら正しさを担保するものではない。つまり民主主義は、正義を行う政治制度ではない。選挙民が、政策の誤謬を容認し失政を宥恕する覚悟がないと、民主政権は簡単にその対極にある政権にとって代わられる。つまり、民主主義は、為政者(政府)の間違いや過ちに対して、選挙民に寛容性忍耐力がないと定着しない。前民主政権の失政を現民主政権が正し、それが成功しなければ更に次の民主政権に改善を委ねる、気長で辛抱強い民主政権への支持を継続できなければ、民主主義は維持できない。ベストではないが、短兵急な全体主義や専制主義よりはベターであるとして、選挙民に支持され続けなければ、民主的社会は到来しない。民主党時代の菅・野田政権への支持を失墜させるよう煽動した日本のマスコミの責任は重い。結果的に民主主義と相容れない政権の独走を許した。

不寛容の歴史で塗り固められた我が国は、70年前の敗戦により初めて民主主義制度を採用した。しかし、国民の一人一人の身に染み付いた不寛容性の故に、今日も成熟した民主主義国家には程遠い。国民に寛容の精神が定着していない国々で、民主主義が行われた験しはない残念ながら寛容の精神は、キリスト教を信奉する民族のみに存在するものである。神の絶対性が認知されている国では、人の不完全性が共有されているから、互いに寛容である。

欧米の民主主義が成熟した先進国家は、全てキリスト教国である。人民がキリスト教であったからこそ民主主義が成立し定着した。
それは、神の絶対性を社会の構成員の全てが信ずることによってはじめて、平等公平博愛思想を国民が共有できるからである。非キリスト教国に、民主主義が自然状態で萌芽したことも移植に成功したことも、過去に例がない。精神的土壌が、民主主義の発芽と成育を許さないのである。民主主義を移植するには、移植先の精神的風土の適否が最大の課題である。

そもそも正しい政治制度を人間が構築することは極めて難しい。エラーを出来るだけ少なくすることが精一杯で、常に失敗をしでかすのが政治というものである。大きく舵を切れば大抵はコースを誤り、悪くすれば転覆する。当て舵で、微調整しながら正しい方向を探り進む民主主義的方法が現代に相応しい政治手法である。

民主主義はまた一方で、巧妙に仕組まれた民心収攬の智慧である。極論すれば、民主主義は民衆よりも資本家の為にある。資本主義を最も効率よく機能させるためには自由主義が不可欠で、その自由主義を安定的に維持するためには民主主義が欠かせない。

民主政治の下では、自由な民意でことが決められたと選挙民に納得させることが肝腎である。透明性を確保できない擬制の民主主義では、国民の目を欺く偽装瞞着が、国政の常套手段となっている。

自由で自発的と錯覚させた民意のもとで、資本主義は着実に資本の増殖を実現し、富の極大化を図ってきた。今や資本自らが産業(生産活動)を経由せずに自己増殖する時代である。民主主義に潜む欺瞞性は、世界中で証明されつつある。

資本家の目的に都合が良いような、民衆を欺く民主主義がある。そのような国では、最大多数の民衆の幸福を実現できるはずがない。私たちは民主主義の先達アメリカの5年前の大統領選で、それを目の当たりにした。

資本主義は民主主義を行うことで最も効率よく機能する。したがって民主主義の大義は、本質的に民衆の幸福を優先するものではない。民主とは、まやかしの概念である。弱者が主人公であったことは歴史的にただの一度もなかった。

弱者が幾ら大勢集まっても、主人公たりえない。Public Servantとは、大衆を欺罔する言葉である鵜を1000羽集めても、羊を1000頭集めても、鵜や羊の中からリーダーは生まれない。

私たちは、改めて民主主義(デモクラシー)が牧畜民ならではの発想であることに、気づかされる。牧畜は、群れて散漫に行動する家畜を統御することで、秩序ある生産手段となる。家畜と数万年生活を共にしてきた民族の統治感というものは、魚を獲り、稲を栽培して数万年暮らしてきた民族とは、考え方に於いて甚だしい差異があって当然だろう。

大衆を指導または煽動することに長けた者が、多数の民意を汲み上げ行う政治が民主政治である。したがって民主主義を煽動の手段とする者は跡を絶たない。指導か煽動かは、その人物の資質・人格によって決まる。

民衆は煽動に弱い。多数を煽動することが政治だと心得ている不心得者が権力を握ったら、間違いなく民衆は不幸になる。
民主主義の統治リーダーというものは、多数の承認を得た人物だが、必ずしも優れた能力の持ち主ということではない。多数の俗物に選ばれた選り抜きの大俗物であることもある。その能力の不備・不足を補うものは優秀と目される官僚である。だが官僚は主人を選ばないし選べない。出世させてくれる主人に仕えるのが相応しい。

確かなことは、俗物中の俗物で無ければ、今日の民主的社会では票が集められないことである。トランプ大統領の出現がその典型であった。まさに多数の俗物に選ばれた選り抜きの大俗物である大俗物は更なる多数派工作をして、権力基盤を固める。こうして民主主義は、所期の理想と目的を失い劣化する

民主主義は芽生え成熟するに従い、所期の理想への忠実性を失い、劣化に向かう。民主主義と雖も、権力である以上腐敗を免れないからである。ポピュリズムが独裁的で煽動の巧みな統治者を選び出すと、民主主義は全体主義に近づいていく。民主主義における多数決の基本原則は、使い方を誤ると必然的に全体主義への進行を促進する。

民主主義の政治システムは、それ自体が生物のように体制の成長と破滅のプログラムを内蔵している。民主制度も、本来、構造的に劣化を免れないシステムである。民主主義は必ずしも幸福を保障するものではないが、絶対制や封建制よりはマシということで、便宜的に採用されているに過ぎない。

劣化する性質をもつ民主主義には、自律的な復元機能は備わっていない。革命、戦争、災害などにより、あらゆる統治機構と体制が破壊されて初めて、荒野に新たな草が萌え出るような状況に至って初めて、民主主義は社会の要請に応える。この時の投票者は破壊に打ちのめされた人々であって、俗物は1人としていない。したがって、選出されるリーダーは、間違いなく優れた人物であろう。敗戦後の僅か7年間、日本にも民主主義が行われていたのは、上記の状況とGHQの存在があったからである。

民主主義から全体主義への遷移は、自然界の植物相の遷移に似ている。政治制度と雖も、人間によって運用される以上、自然の摂理の下にある。

民主主義の最大の欠陥は、平等・公平・博愛の美辞のもとに、多様な個人を平準化した上で政治参加させることである。
いかに高い政治的見識の持ち主でも、投票行動すらしない人でも、I票の価値は変わらない。明らかに不条理である。民主主義では、いかなる個人の知力・能力・判断力も集約されて1という数字に変わる。恐るべき単純化・平準化・平等化である。
1票がどんなに正論を声高に叫ぼうと、多数票には敵わない。民主主義で言論の自由が保障されているのは、それが多数派を形成することなく、影響の程は知れていると為政者から見られているからである。

戦前の日本や、現代の中国で言論弾圧が厳しいのは、政権の不寛容というものであって、民主主義を恐れているのではない民主主義が資本主義のために不可欠な政治制度であることを知っているから、独裁政権といえども、民主主義を絶やそうとは思わない。リベラル派の知識人が、声高に民主主義の危機を叫ぶのは、当たっていない。元々冒涜されたり侵害されるほどに強固な民主主義は、何処にも存在していないのだ。政権に対する反対運動への弾圧は、単に民族の精神が伝統的に不寛容である面が政策に顕れたに過ぎない。要するに五月蝿いのである。

資本主義という人間の自然な欲望に発した制度に不可欠な民主主義を、政治的に弾圧し滅却させることなど、もはや誰にもできない。もしそのような独裁者が現れたら、間違いなく自身と体制の破滅を招くだろう。



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