道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

年号の効用

2021年07月22日 | 随想
年号というものを、長い間面倒で不合理なものと考えていた。学校時代の日本史の学習で、和暦の煩わしさを感じなかった人はいないだろう。
私は日本史は好きだったが、年号を憶えるのが煩わしく、学習の邪魔と思っていた。
老いてからもつい最近まで、これも中国由来の不合理な悪弊のひとつと考えていた。

現在の暦年表記は、ひと昔前と比べると和暦の強制度も緩くなり、昭和の頃と較べれば、公文書での西暦表記も格段に増えている。

天皇の在世期間、御代ごとに年号を改める制度は、古代中国に範を求めたもので、当時の日本の後進性を示すものである。明治の欧風化一辺倒の時代にあってさえ、政府が年号を廃めて西暦に一本化できなかったのは、天皇を君主に戴いた当然の帰結だろう。私は長い間、和暦は日本史嫌いを増やす元凶と考えていた。我ながら浅慮というほかはない。

ところが近頃、老生は宗旨替えをして、年号を有用なもの、便利なものと見るようになった。
暦年表記に自由度が与えられてみたら、日本の歴史を考える上で、和暦=年号がどれほど便利なものであったかということに刮目したのである。

西暦の数字では、時代を直感することは難しい。しかし和暦は、時代の風潮や時代背景、事変・事件を直感的に頭に泛かべる支えになっている。年号は時代区分の下位区分として、付箋の効用があったことを看過していたのだった。

西暦はera・epocその他の区分用語はあるが、基本decade(10年)がひと区分の単位である。私たちは〈1330年代〉と言われてもピンとこないが〈延元・建武の時代〉と聞けば、時代を直感的にイメージ出来る。私たちの和暦(年号)というものは、物理的な時間の経過の上では何ら合理的な関係をもたないが、歴史を渉猟する際には、格別の便宜を与えてくれているものだった。
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