新型コロナの先行き不透明感に対する心理的影響からか、早々と6月15日に「梅雨明け間近」という記事を投稿してしまい、我ながらオッチョコチョイの習性に愧じ入るばかり。その後九州で、未曾有の水害が発生した。梅雨の終期は毎年九州が豪雨に見舞われる。地球温暖化によるインド洋の高温化のためか、7月の日本列島は年々降雨被害が激甚化しているようだ。国交省は、抜本的な国土計画を策定して、河川改修が急務だが、予測が主務の気象庁の警鐘が鳴るのが遅すぎる。被災者への救援や補償は急務だが、政府には根本的対策が欠けている。
当ブログの昨年記事では、7月10日にセミが鳴いたことを報告し、私は例年どおり、それを以って当地の梅雨明けとした。今年は今日7月17日のセミの声が最大だ。セミが鳴くと、老躯に精気が漲るような気がする。今年も、気象庁の梅雨明け宣言など待っていられない。本日のセミさんの梅雨明け宣言を信頼したい。
小学生の頃に感じていた、夏休みが指呼の距離に近づいて来る感覚の嬉しさを、今も老生が保っていることに、我ながら愕くというか呆れる。年甲斐がない。生来の遊び好きなのだ。
平安時代の今様の採録集「梁塵秘抄」にある、この歌をあらためて実感する。
遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそゆるがるれ。
それにつけても、コロナ休日の補てんのために、夏休みが減る孫たちは可愛想だ。
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