道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

東京都知事

2020年06月30日 | 人文考察
最近テレビを見ていて困るのは、小池百合子現都知事の貌がある種の爬虫類に見えることである。マスクをしているからだろうか?かつては厚化粧のタヌキなどと、自民党都連の長老たちから失礼な言われ方をしていた。婉然とした微笑みに、してやられた連中の憎まれ口か。

新型コロナに見舞われてからの手際の良さと自己アピールの巧さは抜群。変わり身の早さと狙った獲物を逃さない確実さは、タヌキどころではない。

この人は頭がよく弁舌爽やかだが、個人的には信頼を置くに躊躇する。小沢、細川、小泉と、歴代の権力者に擦り寄り、彼らが落ち目になると素早く見限って、政界を渡り歩いて来た。女性だからというのではなく、そのようでなければ、政治家として浮かび上がれないのかもしれない。

私はこの人が、横文字を多用する癖が嫌いだ。明快な国語があるのに英語を当てるのは、真意を韜晦したい疚しさが内心にあるからだろう。誤魔化しの話法は天才的ですらある。

彼女が2005年小泉純一郎内閣で環境大臣だったとき、クールビズのキャンペーンを展開し、夏服の軽装化を推し進めたことがあった。溢れんばかりの愛嬌を振りまいて、政治家や経済人、高級官僚たちを巻き込み、クールビズを奨励し日本中に普及させた。あれ以来、男の服装がだらしなく、品位に欠けるようになったと思うのは、私だけではないだろう。

そもそも、ネクタイを締めるよう設計されたシャツとスーツを着て、ネクタイを締めない服飾には合理性がない。暑ければ、風土に適った衣服を着れば良い。半袖シャツで過ごすなら、もとよりネクタイは不要だ。

もともとこの国には、開襟シャツという、夏季に最適なノータイ専用の衣料があった。昭和の初期から戦後にかけて、夏は制服やスーツの下に着て、襟を上衣の襟の外に出して着た。世界でも稀な高温多湿の国に適した、合理的な衣料だった。

昭和の映画やTVドラマで、私服の刑事たちがよく着ていた。ネクタイが無くとも襟元はスッキリしていて、警察官僚の矜持が守られていた。戦後の20年代は、日本の夏の勤め人のフォーマルウエアだった。

私は小池キャンペーンの当時は仕事をしていたが、クールビズには同調しなかった。断固としてネクタイを外さなかった。開襟シャツという、日本の気候に最適な衣料がありながら、敢えて見苦しいスタイルをお上に押し付けられては叶わない。しかし、豈図らんや、開襟シャツは復活しなかった。戦後生まれの人々には、野暮ったく見えるのだろう。

小池知事はおそらく再選されるに違いない。都職員の8割が望んでいなくても。この数十年、青島、石原、猪瀬、舛添と、東京都民は自分たちの期待を裏切る知事を選出し続けてきた。別の言い方をするなら、期待を裏切るような人物を知事に選び続けてきた。今回もその流れは変わらないだろう。

東京は、江戸期を含め過去400年の間に大きな人口変動の波を幾度もかぶり、その都度、住民構成に大きな変化を受けて来た。そのため、多くの府県に共通する旧幕以来の郷党意識、すなわち県民意識というようなものが希薄である。都民は幾重にも分断されている。多様な階層・職業・企業組織が、都民を連帯から遠ざけている。要するに東京都民は、寄り合い所帯なのだ。それが、東京を考え都民を考え国を考える首長を選び出そうとしては政治家に乗ぜられ、失敗を繰り返す理由ではないか?東京都が真の首長を選び出せないで来た状況は何ひとつ変わっていない。





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