秋色が濃い山峡の、枝尾根と小沢が入り組む源流部で、天然アマゴを観察した。
峰々を蜿蜒と縫う林道を走り抜け、更に車止めから1時間ほど歩き、高度差200mの斜面を下り渓に降りた。
案内をしてくれたのは、この山域を隈無く歩き、全ての枝沢を知り尽くしている地元生まれのヴェテラン。彼の話では、過去に行方不明になった釣り人が2、3人いたらしい。それが、此処に釣り人が立ち入らない理由かも知れない。
彼の案内で初めてこの渓に入り、天然アマゴの生息をこの目と手で確かめたのは、4年前のちょうど今頃だった。そのときはアマゴの産卵行動も見ることができた。今回は、前とは別の沢を遡る。
その沢筋は、一坪ほどの浅い渕が上流に向かい、低い段差で階段状に連っていた。それはこの源流部が、お椀の底のようにごく緩やかなことを示している。勾配の急な本沢の下流部と違って、頗る穏やかな渓相だった。前回遡った枝沢も此処に似ていた。そのとき抱いた(こんな水たまりのような渕にアマゴがいるだろうか?)疑念に再びとらわれながら、沢のへりを伝い上流を目指す。
谷の両岸の尾根から無数の広葉樹の幹沢に張り出し、頭上を枝葉が覆う沢筋は薄暗い。ところどころ、苔生した倒木が、行く手を塞いでいる。目の前の倒木越しに上流を見ると、数10m先のちょうど目の高さにある渕の水面に木洩れ陽が差し込み、その辺りだけに光が乱舞していた。
最奥の渕の下で、天然アマゴの意外な行動に驚かされた。
そのアマゴは、背びれが水面から出てしまいそうな浅い瀬の、上流から餌と酸素に富んだ水が縒れ集まる一点に鰭だけ動かして滞まっていた。接近しても全然逃げようとしない。
スレていないとも見えるが、別の理由で動かないようにも見える。魚体から約30センチの距離までカメラが近づいても、いっこうに移動しない。渓流魚にあるまじき行動に感動しながら、かれこれ20分もその姿を撮り続けた。
極小の生活圏で生きる天然アマゴにとって、採餌と呼吸に好適な場所はただその一点なのかも知れない。小さな魚体に秘められた種の保存への内なる命令が、外敵から身を守ることよりも、できるだけ多くの食餌を摂って早く子孫を遺せる個体に成長することを優先させるのだろうか?それとも、ただ単に、天敵に脅かされることの無い環境で累代生育してきたことで、逃避本能が鈍ってしまったのであろうか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます