私は下町育ちなので、下町をぶらぶら歩くことが、自然の野山を歩くこと同様に楽しい。何か発見がある。
生まれ育った街並みの、商店街や大路小路を巡り、今は無い建築物や建造物を頭の中で復元して歩くのは、懐かしい時代に束の間戻ることである。想い起こした時々の情景こそが故郷である。
今日、どこの都市の下町を歩いても、仕舞家(しもたや/しもうたや:商売を営まない住家)が目立つ。代を累ねて商いをしている店は少なくなった。
仕舞家は店じまいをした家の謂で、江戸・明治期の町中には、個人店の廃業や後継者の不在により、一定数存在した。
現代の仕舞家は後継者がいないのではなく、高度に進化した資本主義が、個人商店の存立を許さなくなり、子弟が事業を継いだり転業できなくなった結果である。
往時客で賑わっていた店が廃業し、ひっそりと住家になっているのは、人に歳月の経過を感じさせ、情緒を掻き立てる。
昔は旦那から若旦那へと後を継いで、そこそこ裕福な個人経営が成り立っていた。昭和30年代以降、大量生産・大量消費、流通革命、車社会、郊外型大規模SC、都市再開発、ネット通販など、商家の経営環境は、津波のように襲来する経済的・社会的変革に洗われ続けた。仕舞家が増え、それが消えてビルができるのは、歴史的必然である。
昭和の敗戦後、農家の次三男が産業資本の労働力に吸収された時代の後に、都市部の商家の跡取りが会社勤めを余儀なくされる時代が続いた。
そうなるとその商家は居住専用の仕舞家になる。そして賃貸されたり売却され、所有者は郊外の住宅地に移って行った。
市街地の街区ブロックから幾つかの仕舞家が消え、跡地にオフィスビル・ショッピングモール・マンションが建てられる。
これから先の下町は、どうなるのだろう?もう下町という言葉も、消えかかっているのかも知れない。
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