何事によらず、あるひとりの人間に、同じ人間のひとりである別の人が傾倒するのは、自我の喪失にあたり、その人の大切な主体性を失う因である。心酔は醒めた自分を失った状態である。
人は自己を喪失してはいけない。熱狂や感激、融和や同調、教化や指導に捕捉されることなく、自分を冷静に保つ必要がある。
その意味で、生存であれ故人であれ、ある個人を神格化し崇拝する宗教というものには、注意を要する。
人に感化され易く心酔し易い年頃の若い人たちには、周りの大人たちが不断の注意と警告を発していないと、宗教を装った団体に引き寄せられる危険がある。
真の宗教は、人格をもたない唯一の神への信仰を求め、個人崇拝を許さない。
唯一神への信仰は、神の下における人間の平等性と公平性への出発点である。個人崇拝など入り込む余地がない。
自分に近づいて来る団体が、個人崇拝や偶像崇拝を帯びていたら、私たちは老若を問わず、断固として接触を避けねばならない。
また、そのような団体を危険視する人や団体を単に「サタン」と決めつけるような、非論理的な宗教団体には、体質的に真の宗教にあるまじき排他性と攻撃性が潜在しているから、注意を要する。
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