佳い音楽には魂を浄化する力がある。その力は絵画・造形・文芸よりも直截に人々の心に働きかけ、その効果は最も大きい。佳い音楽は人を幸福にする。
キリスト教徒でない私が論ずるのは僭越の謗りを免れないが、讃美歌は偶然に神の啓示で生まれたものではないと思う。キリスト教を信仰する諸民族の中に、殊の外ハーモニーに感受性の高い民族が居て、彼らが記譜法を編み出し和声を研究する過程で生まれたものかと思う。彼らは自分たちに普遍的な音のハーモニーを用いて、音楽で宗教的境地が高まることを知った。それが賛美歌の曲ではないかと思う。
教会での、聖職者の百万遍の説教よりも、聖歌隊が歌う美しく気高い賛美歌のメロディとハーモニーが、崇高なキリストの愛を実感させ、会衆の信仰を慥かなものにさせた効果の程は測り知れない。信仰と音楽に一体性が見られるのは、唯一キリスト教のみではないか?西洋音楽は、キリスト教の土壌のもとで発展したと考えてよさそうだ。
そこから推察されるのは、美しい音楽は、清い心、汚れなき魂から生まれるという真実であろう。またそのような音楽にのみ、魂を浄化する力が宿ると思う。
私がYouTube を閲覧していつも感動するのは、自然景観に溶け込む民族音楽の存在である。美しい自然と調和する音楽を創り出した民族の存在である。音楽は民族の数だけある。しかし、自然と調和する自前の音楽となると、極めて数が少なくなる。
其処の自然美が土着の人々に曲を謳わせるのか?其処の人々が、曲で自然美を謳う技に生まれつき長けているのか?実際のところは判らない。
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