道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

連れ合いの不興を被る

2022年08月29日 | 音楽
私がYouTubeで視聴すると、家内の機嫌を損ねる曲がある。「想い出の九十九里浜」という曲。本格的サーフィン世代は、湘南よりも九十九里浜だったのだろう。

この歌がリリースされた当時は、老生も48才の働き盛りだった。
当時大学生の娘と同じ年頃のアイドルグループMi-Keの、振り付き歌唱を悦にいってTVで視聴していた姿が、母と娘には、おぞましくも浅ましく見えていたらしい。

この曲には仕掛けがあって、歌詞に、当時のオジサン世代が懐かしむグループサウンズの代表曲名が適当に羅列されていた。
若さとノスタルジア、オジサン世代を狙ったマーケティングは大成功し、曲はオリコン上位に、 Mi-Keは紅白歌合戦出場を果たした。

何を隠そう、亀仙人化した今日でも、この曲をYouTubeで視聴している。嘲りの眼差しに耐えながら・・・

もうひとつ、家内の勘気に触れるお気に入り曲がある。夏の終わる人恋しい季節になると、きまって聴きたく歌いたくなるのが紙ふうせんの「冬が来る前に」という曲。

後藤悦治郎の秀逸な作詞と、感情表現豊かな平山泰代夫婦のデュエットソングである。

フォークソング世代のアイドルのようなふたりの歌は、いつ聴いても心が和む。
歌詞の内容は「あの夏の・・・」のシチュエーションに近いが、私はベースがフィーチャーされているところを好んでいる。

話は変わるが、アメリカのポピュラーソングは、男が女を慕ったり恋情を綿々と訴える女々しい唄が多いように思うがどうだろう。男が女々しさを隠さないのは、女性優位の歴史があったからだろうか?

日本の演歌は圧倒的に女が男を慕い、男に裏切られて嘆いたり恨む歌詞が多い。
私は演歌の歌詞に、男の女々しさの裏返しの虚勢を感じて、若い頃から演歌を好きになれなかった。率直に女々しく女を慕う男の演歌がないものか?それでは演歌にならないのかもしれない。

女に振られて嘆いたり恨んたりする歌詞が極端に少ないことは異常である。男女関係において、男に自信が欠如している顕れではないかと分析している。これは日本のセクハラ問題にも繋がる視点でもある。

ルースベネディクトの指摘にあるとおり、日本人は欧米人と違って、幼児期に母親から節度なく甘やかされて育つ。孫を盲愛する彼女の両親の負の干渉のせいである。その結果、日本の男は、女性の愛を無償・無尽と誤認して大人になっている。
一方的な愛は偏愛であって、母の子に対する愛はその代表である。
日本の成人男性が、女性と対向性の愛情関係を築くのが苦手なことが多い?のは、其処に原因があるのではないか?

口幅ったいことは言えない。老生も日本男児の端くれ、日本的な乳幼児期の養育環境にどっぷり浸かって育った。今でも女性には自信がもてない。







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