道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

俗物嫌いの大俗物

2024年09月26日 | 随想
私は長いこと、人にとって最も大切な素質は品性であり、その人の品性は、謙虚さ・寛容さ・純朴さという形で外に顕れると固く信じて来た。前記三点を欠くと、人は俗物になる。俗物にはなるまいと、一生懸命気をつけていた。
品性を尊ぶ生き方は人を俗物嫌いにさせる。私は大の俗物嫌いになった。

古希を前にした頃に、具に自分自身の俗物性を検証してみた。友人知人との比較も試みた。
思いもよらなかったことに、俗物性という点において、他の誰をも凌いでいると知って愕然とした。
私はお目出度いことに、自分の好奇心が、何よりも俗物性を招くものであるとは夢にも思っていなかった。

好奇心は一般に肯定的に受け止められている。大人たちは子どもたちの好奇心に寛容である。好奇心の増大は成長の証だからである。
幼い頃から成人するまで、好奇心を否定されたり、抑えられることは一度もなかった。私は野放図に好奇心を膨らませ、好奇心の塊とも言える大人になってしまったのである。、。

好奇心は精神ではなく欲望である。野次馬根性と極めて近縁、同類と言っても好い。好奇心と言うより好奇欲と呼ぶのが適切であろう。
未知のこと珍しいことを好み、当たり前のことや陳腐なことを貶む好奇欲は、金銭欲・名誉欲・知識欲と同根の兄弟である。その俗物性において、何ら引けを取るものでははない。したがって、強い好奇心の持ち主は、紛うかたなき大俗物である。

この結論に、私は甚く傷つき意気消沈した。あろうことかこの私が大俗物とは・・・
訊けば老妻は、疾うの昔(結婚した頃から)に、私の俗物性に気づいていたと云う。

以来私は、自分の俗物性を開陳することにした。それが、ブログを始めた動機かも知れない。




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