私は長いこと、人にとって最も大切な素質は品性であり、その人の品性は、謙虚・寛容・純朴という形で、外に顕れるものと信じて来た。前記三点を欠けば人は誰でも俗流に堕する。俗物には成るまいと、常に注意を怠らなかった。
品性は天稟であるから、人為不能のものである。学んでも努めても身につくものではない。品性を尊べば、人は必然的に俗物嫌いに向かう。その結果、私は大の俗物嫌いになった。そこで、
古希を前にした頃、改めて具に自分自身の俗物性を様々な観点から検証してみた。
思いもよらなかったことに、俗物性という点において私は、他の誰をも凌いでいると知って愕然とした。
私はお目出度いことに、自分の好奇心が、何よりも俗物性を招くものであるとは夢にも思っていなかったのだった。
好奇心は一般に肯定的に受け止められている。大人たちは子どもたちの好奇心を歓迎する。好奇心の増長は成長の証しだからである。
幼い頃から成人するまで、好奇心を否定されたり、抑えられることは一度もなかった私は、野放図に好奇心を膨らませ、好奇心の塊とも言える大人になっていたのである。
好奇心は精神ではなく欲望の一種である。野次馬根性とも極めて近縁、同類と言っても好い。好奇心と言うより好奇欲と呼ぶのが適切であろう。
未知のこと珍奇なことを好み、当たり前のことや陳腐平凡を貶む好奇欲は、金銭欲・名誉欲・知識欲と同根の兄弟である。その俗物性において、何ら引けを取るものでははない。したがって、強い好奇心の持ち主は、紛うかたなき大俗物である。
この結論に、長い間、俗物嫌いで洒脱を尊重して来た私は甚く意気消沈した。あろうことかこの私が大俗物とは・・・
訊けば老妻は、疾うの昔(結婚した当初から)に、私の俗物性に気づいていたと云う。
以来私は、自分の俗物性を探査し開陳することにした。それが、ブログを始める動機になったのかも知れない。
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