道々の枝折

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派閥消滅

2024年09月28日 | 随想
「一味」とは、志を同じくするという意味から、仲間・同志のことを謂う。「一味徒党」とも遣われ、古くから一派を表す歴とした日本語である。日本人は徒党を組むことが大好きである。

ポーズかも知れないが「派閥」を日本の政治風土から消滅させようと、時の自民党総裁が自らの派閥を率先解散し、結党以来初めて党内の派閥をなくそうとした。一派を除いて、派閥は表向き党内から消えた。

派閥という用語をいつの時代に誰が遣い始めたかは寡聞にして知らないが、多分明治以後の造語が盛んになった頃のことだろうか。江戸時代には無かった言葉ではないかと思う。日本語としては一味という語の方が由緒正しい。

「一味」の語を嫌うのは、この語の語感が面白くないのだろう。「一味」と呼ばれたくない人々が、より重々しい造語を遣うようになったと想像する。どう名称を替えようと、目的は資金づくりと猟官運動、中身は「一味」そのものであるのだが・・・
かと言って、「同志」や「政策勉強会」では、面映ゆいに違いない。

政治家や官僚など、この国の統治機構に在る人たちは、用いる語の真意を隠したいときには必ず、造語外国語を当てる。悪しき慣習というより、国民をバカにした姑息極まりない弊習である。
適切な日本語があるにもかかわらず、造語を用い横文字を遣いたがるのは、本質を国民に知られたくない気持が働いた結果と見て差し支えないだろう。後ろめたさがあるということだ。

どんな理由にもせよ、多年の悪弊、派閥政治の解消を現政権が実行し、無派閥出身の新総裁が選出された今、派閥という言葉は死語になったと理解してよいのではないか?
「政治資金パーティの裏金問題」によって、派閥は政党政治に背反する存在として、広く私たち国民に認知された。今後2度とフォーマルには存在してはならないのである。もしインフォーマルな派閥を作ったら、それは秘密結社というものである。結社の自由の埒外にある。

今後、政治家が派閥を立ち上げたり隠れ派閥をつくったら、メディアはおしなべて「〇〇派」と呼ぶのをやめ、批判を籠めて「〇〇一味」と呼ぶべきである。派閥を作ることが、公正な民主政治に有害なことが明らかである以上、それに反する団体の呼称は「一味」と呼ぶのが妥当である。2度と派閥などという党内党を容認する用語を遣ってもらいたくない。
小さな誤魔化しを許せば、それが積もり積もって、大きな政治の歪みに繋がる。メディアは言葉に敏感であって欲しい。

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