開催場所:名古屋市立美術館
期間:2019年10月26日(土)~12月15日(日)
訪問日:10月31日
惹句:才能か。罪か。 天才画家の光と影
内容
第1章 1600年前後のローマにおけるカラヴァッジョと同時代の画家たち
第2章 カラヴァッジョと17世紀のナポリ画壇
第3章 カラヴァッジョ様式の拡がり
病みつきの人が多いといわれているカラヴァッジョの展覧会に行ってきた。そして確かにとても面白かった。配偶者も同様のようで久しぶりに図録を買おうと言い出した。
カラヴァッジョは1571年生まれの1600年前後にイタリアで活躍した画家である。
1400年代半ばまでいわば宗教的記号としてパターン化し描かれた絵画が、ルネサンスの開始とともに、写実的(解剖等による科学の裏付けあり)、人間的、普遍的美と調和して描かれるようになった。その最盛期がレオナルドの活躍した1500年前後。
その基盤の上にカラヴァッジョは人の感情に訴える光と影を強調したドラマチックな表現を行ことで人気を博し、周辺の画家に大きな影響を与え、バロック絵画の先陣を切った。その後ルーベンスやレンブラントがその流れを後継した。
このように絵画史に残る人であるとともに、社会性、協調性のない人で周囲との軋轢が絶えず、裁判沙汰や殺人まで犯して逃亡し、流浪の果てに40歳で死亡した。
このように敵が多い人なので、流れは作ったにも関わらずその名は表舞台から消え、1920年代になって再評価され、イタリアの10万リラの紙幣に肖像画が使われたというドラマチックな人である。
前述のように展示は3章に分かれ、カラヴァッジョの作品と彼のライバルや影響を受けた人の作品が並んでいる。ここではカラヴァッジョの作品のみを示す。
1.第1章 1600年前後のローマにおけるカラヴァッジョと同時代の画家たち
展示13点 そのうちカラヴァッジョ 3点
ここでは、カラヴァッジョが20歳を過ぎてローマに出て有名画家の工房入りし、その腕を貴族に見いだされパトロンを得る過程が示されている。
彼は花や静物の写生の腕を買われ画家の作品の部分仕上げに参加するとともに、教訓を含む風俗画を独自に描き評判を勝ち取った。
「花瓶の花、果物および野菜」
写生の腕前を示す絵。その時代では非常にリアルに描かれている。
「リュート弾き」
庶民を対象に描かれたもの。ルネサンス流れの絵と異なり、非常にくっきりと描かれている。ガラス器の水など、とても描写がすごい。
「メデューサの首」
貴族というパトロンを得て、彼らを喜ばすために描かれた絵。盾に描かれているが、その凸のカーブで本当にリアルに立体的に見える。これを描いたころには、とても人気者になっていた。
絵を書くことだけに専念すればいい環境となったが、夜な夜な刀をぶら下げて歩き暴れ回っていた(彼は刀を持つ権利はない)。
2.第2章 カラヴァッジョと17世紀のナポリ画壇
展示13点 そのうちカラバッジオ 4点
35歳の頃ローマで乱闘のすえ殺人を犯し、死刑を宣告されて南イタリアを逃げまどった。結局38歳に病気で亡くなるのだが、それまで死と隣り合わせの逃亡生活の中で各地の庇護者のもとで、絵を書き続けている。それによってこの地域にローマで大人気のカラヴァッジョ風の絵画手法が広まった。
本人はこの過程で、絵が現代につながるような荒いタッチとなり、光と影のコントラストはより強く劇的になり、完全にバロックの絵そのものになっている。題材も興味深い。
「法悦のマグダラのマリア」
左上からの妖しい光の中の、元娼婦のマグダラのマリア。乱れた服で、目に涙を浮かべ口をぼんやりと開けている。これが法悦なのか、なんとも言えない。でも強烈な印象を受ける。
逃亡初期に描かれた絵だが、何を考えながら書いたのだろうか。
「歯を抜く人」
このテーマ設定だけでもすごい。そして抜かれようとしている歯への周辺の視線の集中。とてもドラマチック。
第3章 カラヴァッジョ様式の拡がり
展示 13点 そのうちカラバッジオ 4点
ここには、病死する最後の1年の彼の作品と彼のテーマや手法に影響を受けた作品が並んでいる。
「ゴリアテの首を持つダビデ」
ひ弱な少年ダビデが石礫だけで巨人兵士のゴリアテを倒したという話からの絵である。
ダビデがゴリアテの首を、見る人に向かって突き出している。見る側としてはたじろいでしまうような迫力がある。ゴリアテの間が抜けたかのように法然とした顔と、勝ったのに嬉しそうではなく悲しみを感じさせるダビデ。ゴリアテは絵を書いた当時の彼、ダビデは若いころの彼の肖像との話があるが、彼が自分の人生を込めたのかもしれない。若き頃の夢と現実・・・・ そんな言葉が出てくる。
「洗礼者聖ヨハネ」
恩赦を願い出るために枢機卿への贈り物として、病死にいたる旅で携えていた作品。通常のヨハネを表す持ち物や姿勢ではなく、普通の人として描かれているとのこと。ヨハネは本来キリストを洗礼した人なのに、この絵では疲れて救済を求める人のように描かれている。逃亡に疲れた彼のようでもある。お腹にしわのよったむしろ不健康な身体の上に、幼さを残して戸惑うような顔が乗っている。
確かに彼は人気画家ではあるしちゃんとした作品だけれども、ネガティブなメッセージしか伝わらない。
これがどのように贈り物として価値があり、また贈られる相手も手を尽くして入手しようとした意味はどこにあったのだろうか。
この展覧会の惹句が「才能か。罪か。」であった。でも、逃亡以前の彼の作品は、才気はしって「どんなもんだい。」という雰囲気が感じられる。でも逃亡後の作品には、その天才の技術基盤の中に、罪を与えることで人の存在を深堀したものが詰められている。それが彼の描写方式の魅力を一層周辺に広げ、絵画をバロックへと一歩進めたのではないか。
彼にとっては不幸なことだったが、人類にとっては大きな一歩であり、紙幣の顔にも選ばれたのだろう。
今回はそのこととともに、宗教等の記号としての絵画がその後どんどんリアルさを求められて発展してきたが、現代美術では改めてそれが記号に回帰しようとしていることを面白く思った。
期間:2019年10月26日(土)~12月15日(日)
訪問日:10月31日
惹句:才能か。罪か。 天才画家の光と影
内容
第1章 1600年前後のローマにおけるカラヴァッジョと同時代の画家たち
第2章 カラヴァッジョと17世紀のナポリ画壇
第3章 カラヴァッジョ様式の拡がり
病みつきの人が多いといわれているカラヴァッジョの展覧会に行ってきた。そして確かにとても面白かった。配偶者も同様のようで久しぶりに図録を買おうと言い出した。
カラヴァッジョは1571年生まれの1600年前後にイタリアで活躍した画家である。
1400年代半ばまでいわば宗教的記号としてパターン化し描かれた絵画が、ルネサンスの開始とともに、写実的(解剖等による科学の裏付けあり)、人間的、普遍的美と調和して描かれるようになった。その最盛期がレオナルドの活躍した1500年前後。
その基盤の上にカラヴァッジョは人の感情に訴える光と影を強調したドラマチックな表現を行ことで人気を博し、周辺の画家に大きな影響を与え、バロック絵画の先陣を切った。その後ルーベンスやレンブラントがその流れを後継した。
このように絵画史に残る人であるとともに、社会性、協調性のない人で周囲との軋轢が絶えず、裁判沙汰や殺人まで犯して逃亡し、流浪の果てに40歳で死亡した。
このように敵が多い人なので、流れは作ったにも関わらずその名は表舞台から消え、1920年代になって再評価され、イタリアの10万リラの紙幣に肖像画が使われたというドラマチックな人である。
前述のように展示は3章に分かれ、カラヴァッジョの作品と彼のライバルや影響を受けた人の作品が並んでいる。ここではカラヴァッジョの作品のみを示す。
1.第1章 1600年前後のローマにおけるカラヴァッジョと同時代の画家たち
展示13点 そのうちカラヴァッジョ 3点
ここでは、カラヴァッジョが20歳を過ぎてローマに出て有名画家の工房入りし、その腕を貴族に見いだされパトロンを得る過程が示されている。
彼は花や静物の写生の腕を買われ画家の作品の部分仕上げに参加するとともに、教訓を含む風俗画を独自に描き評判を勝ち取った。
「花瓶の花、果物および野菜」
写生の腕前を示す絵。その時代では非常にリアルに描かれている。
「リュート弾き」
庶民を対象に描かれたもの。ルネサンス流れの絵と異なり、非常にくっきりと描かれている。ガラス器の水など、とても描写がすごい。
「メデューサの首」
貴族というパトロンを得て、彼らを喜ばすために描かれた絵。盾に描かれているが、その凸のカーブで本当にリアルに立体的に見える。これを描いたころには、とても人気者になっていた。
絵を書くことだけに専念すればいい環境となったが、夜な夜な刀をぶら下げて歩き暴れ回っていた(彼は刀を持つ権利はない)。
2.第2章 カラヴァッジョと17世紀のナポリ画壇
展示13点 そのうちカラバッジオ 4点
35歳の頃ローマで乱闘のすえ殺人を犯し、死刑を宣告されて南イタリアを逃げまどった。結局38歳に病気で亡くなるのだが、それまで死と隣り合わせの逃亡生活の中で各地の庇護者のもとで、絵を書き続けている。それによってこの地域にローマで大人気のカラヴァッジョ風の絵画手法が広まった。
本人はこの過程で、絵が現代につながるような荒いタッチとなり、光と影のコントラストはより強く劇的になり、完全にバロックの絵そのものになっている。題材も興味深い。
「法悦のマグダラのマリア」
左上からの妖しい光の中の、元娼婦のマグダラのマリア。乱れた服で、目に涙を浮かべ口をぼんやりと開けている。これが法悦なのか、なんとも言えない。でも強烈な印象を受ける。
逃亡初期に描かれた絵だが、何を考えながら書いたのだろうか。
「歯を抜く人」
このテーマ設定だけでもすごい。そして抜かれようとしている歯への周辺の視線の集中。とてもドラマチック。
第3章 カラヴァッジョ様式の拡がり
展示 13点 そのうちカラバッジオ 4点
ここには、病死する最後の1年の彼の作品と彼のテーマや手法に影響を受けた作品が並んでいる。
「ゴリアテの首を持つダビデ」
ひ弱な少年ダビデが石礫だけで巨人兵士のゴリアテを倒したという話からの絵である。
ダビデがゴリアテの首を、見る人に向かって突き出している。見る側としてはたじろいでしまうような迫力がある。ゴリアテの間が抜けたかのように法然とした顔と、勝ったのに嬉しそうではなく悲しみを感じさせるダビデ。ゴリアテは絵を書いた当時の彼、ダビデは若いころの彼の肖像との話があるが、彼が自分の人生を込めたのかもしれない。若き頃の夢と現実・・・・ そんな言葉が出てくる。
「洗礼者聖ヨハネ」
恩赦を願い出るために枢機卿への贈り物として、病死にいたる旅で携えていた作品。通常のヨハネを表す持ち物や姿勢ではなく、普通の人として描かれているとのこと。ヨハネは本来キリストを洗礼した人なのに、この絵では疲れて救済を求める人のように描かれている。逃亡に疲れた彼のようでもある。お腹にしわのよったむしろ不健康な身体の上に、幼さを残して戸惑うような顔が乗っている。
確かに彼は人気画家ではあるしちゃんとした作品だけれども、ネガティブなメッセージしか伝わらない。
これがどのように贈り物として価値があり、また贈られる相手も手を尽くして入手しようとした意味はどこにあったのだろうか。
この展覧会の惹句が「才能か。罪か。」であった。でも、逃亡以前の彼の作品は、才気はしって「どんなもんだい。」という雰囲気が感じられる。でも逃亡後の作品には、その天才の技術基盤の中に、罪を与えることで人の存在を深堀したものが詰められている。それが彼の描写方式の魅力を一層周辺に広げ、絵画をバロックへと一歩進めたのではないか。
彼にとっては不幸なことだったが、人類にとっては大きな一歩であり、紙幣の顔にも選ばれたのだろう。
今回はそのこととともに、宗教等の記号としての絵画がその後どんどんリアルさを求められて発展してきたが、現代美術では改めてそれが記号に回帰しようとしていることを面白く思った。