先日院展に行ったので洋画のほうも何か見に行きたいとおもっていたら、具象画で全国規模の公募を行っている一水会の展覧会がちょうど開催されていた。
展覧会名:第85回記念 一水会 名古屋展
会場:愛知県美術館ギャラリー
会期:2024年12月3日(火)~12月8日(日)
訪問日:12月4日
1.一水会について
一応 訪問の前に一水会について少しは調べた。
この会は昭和7年に有島生馬らによって創立された。創立の精神は下記で、入念な作画態度を示すという意で清朝初期の技法書「芥子園画伝」から「一水」という言葉を選んだとのこと。
<創立の精神>
西洋絵画の伝統である写実の本道を守り、安易な会場芸術を非とし、技術を重んじ高雅なる芸術をめざす。
そして21世紀の活動方針として、下記を挙げている。多分ガチガチの具象にこだわるのではなく、精神性があれば抽象表現があってもよく、よく議論する場を作り相互に作家性を高めていく場を作っていこうということ。それにより「有望な新人の発掘と優れた作家の育成に努める。」ことを目的としている。
美術団体は主なもので300団体あり、そのかなりのものが具象を唱えているらしいが、その中では老舗であるようだ。
2.全般の概要
12時前に入場した。約200点展示されているということだが会場は広く、のんびりと鑑賞できる状況であった。鑑賞者はほとんどが出展者のようで、関係先の作品に留まることが多くその他の作品はあまり関心がないようだった。
最初にざーっと会場を回って、まずこの会も委員/会員/準会員/会友/一般といったこれまでの展示実績による区分があること、当然ながらF100(1.6×1.3m)以下という応募サイズの最大に合わせたものばかりで、最初のほうに重要作品が集中していること、たくさんの奨励賞等を出して、公募者を鼓舞していることがわかった。展示の後半は、鑑賞者の目で見た場合は玉石混合であるが、展示全般として好感がもてた。なお会員は100号を越えているものもあった。
なお抽象表現に踏み込んだ作品は、ほとんどなかった。
3.展示内容について
一水会としての看板は、文部科学大臣賞1点と一水会優賞2点のようである。それらの紹介と、私が惹かれたものを数点紹介する。
(1)文部科学大臣賞
院展の装飾的な絵を見てきたから、これが代表展示ですかと考えこんだ。右隅の洗い場などの形状の具象は素晴らしいが、その他はどかんと微妙な色彩変化、濃淡の壁が主役。面の具象というかロスコーのような抽象表現というか・・・ こういったのも具象画の進む方向としてありかもしれない。
「山下審也 冬の黄昏」
(2)一水会優賞
2点とも、これが 「the具象」という、安心して鑑賞できる典型的な作品。
まず渡邊さんの作品、くっきりとして立つ女性、葉を落とした多分リンゴの樹々がまるでシュールな亡霊のように、影を落としてまわりを囲んでいる。向こうへ伸びる道や落ちた実が、丁寧に描かれている。
渡邊道男 冬の色
永谷さんの作品は、地域の鎮守の杜にある切り株からの芽吹きを、非常に緻密に生命力溢れるように描いている。
永谷光隆 神籬の杜(萌芽)
(3)その他の私が興味を持った絵、惹かれた絵
私が惹かれた絵には、いいと思ったもの、共感したもの、私の描こうとしているものの参考になるものがある。
・異国の街角
よく展覧会にいくと異国の街角を見ます。いい刺激を得たいと思ったら、異国へ行くのでしょうね。私も異国へ行きたい。コロナで行けなくなっている間に、歳をとってしまった。
一水会賞 武藤 一栄 (埼 玉) 「青 い 街 角」
・最も抽象画的な絵画
この絵はカラフルなスポットの広がりが好きです。委員さんの様だけど、若い人に何を伝えようとしているのだろう。
保坂 晶 「若者へ・歴史」
・森と池の周りの馬たち
具象からはだいぶ離れているとても華やかな絵画。わたしもこんな絵を描きたい。
弓手研平 「幸せな ??? 森と池に集う」
???は写真で判読不能
・地震の被害
能登の地震に関する絵画はいくつかあったが、これが一番直截な絵。院展の展示には一点もなかった。やはり社会の重大事件は描かれるべきだと思うが、どの程度の表現にすべきだろう。この絵で悩める人を描いたが、いないケース、子供が慎重に歩くケースなど考えてみた。
? ? 作者名、題目 残念ながらともに判読できず
・緑の大木
一水会優賞の切り株とは違って、こちらは逞しく生きる老木。木も年を経ると人間のような表情が現れる。その顔と対話しながら描いた感じ。
東京都知事賞 成川 健三 「生きる」
・若い女性
見るからに健康そのものの若い少女を描いている。画家との幸せな関係がうかがえる。こんな感じで描きたい。
山下新太郎奨励賞 山口 雅資(栃 木)「パパいいね、この曲」
4.具象画から展開について
具象は絵を描くときに基本として最初に進む場所である。それを追求していこうとすることを目的とする集団ができるのは当然だと思う。しかしある程度進んだところで、それを基本に抽象や装飾など他の分野へ進む人が出てくるのが現実だろう。純粋に一生具象を目指すという画家は、具象画の極限の状況をどういう風に見ているのだろう。見たままに写し取るというのならば写真という武器がある、それも最近は人の意志に合わせて加工できるようになってきた・・・・ などと考えたりした。
この会はある程度の抽象も入れ込んで行こうとしているようだが、具象から抽象にむかう人、そして案外 超具象とは抽象なってしまったりするかもしれないから、組織を今後も維持していくうえでしょうがないと思われる。
なお院展で入選前後のクラスに女性が多いことを書いたが、この団体でも会友前の入選クラスに女性が非常に多い。暫くすると画家は男女が対等、もしくは女性のほうが多くなりそうだ。
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