1995年5月に義父母とともにハワイのオアフ島を訪れた。私たちは2度目だが義父母は初めてだったので、1日は義父母を日本の旅行会社の市内観光の贅沢版に行ってもらい、私たちはバスでパールハーバーへ行った。そこでアリゾナ記念館とボーフィン潜水艦博物館を訪問した。アリゾナ記念館に渡ったので、戦艦ミズーリには行かなかった。
1.パールハーバーへの移動
ホテルのツアーデスクで、ワイキキから乗るバスの番号を教えてもらった。近づくとかなり混んできた。大きなリュックを担いだ筋肉もりもりの若者が乗ってきて、あれは軍人だなと思った。
私達はアリゾナ記念館のビジターセンターのところで降りた。ボートのチケットを入手した後岸壁に行ったとき、一番目を引いたのが航空母艦。ここは今も軍港として生きているのだなと実感した。
<空母、その日は地域の人との交流会をやっていたらしい>
2.アリゾナ記念館
ビジターセンターでボートに乗る順番を待ち、洋上の記念館にわたる。ワイキキやアラモアナでは随分日本人が歩いているが、ここでは日本人はほとんどというか全然いなかったのでちょっと驚いた。アリゾナ記念館は太平洋戦争開戦時の沈められた戦艦アリゾナの上に建てられた鎮魂の記念館。
まずビジターセンターで映像とともにそこで第2次世界大戦に参加した人から、パールハーバーが急襲され大損害を被った状況の説明がなされる。私の時は急襲時にパールハーバーに居住していた日系人で、その後ヨーロッパ戦線で活躍した人だった。
もちろんその説明は日本軍の宣戦布告なしの襲撃を非難し、軍だけでなく民間へもかなりの被害がでたことを説明する日本人にとっては厳しいものだった。そしてその後のアメリカ人の団結と反撃について説明した。ただしその中で日本の兵隊の敢闘精神については立派と褒めた。(日本軍ではなく、日本兵)
ボートでわたった記念館は、沈んだアリゾナに直角に作られていて、たしか砲塔の残骸が突き出し甲板も海中にうっすらと見える。そして沈船からオイルが浮いてくる。
また犠牲者の名前が大理石に刻まれていて、荘厳な雰囲気がある。周辺はほとんどがアメリカ各地の人々とおもうが、静かに動き回っていた。
<ボートからのアリゾナ記念館、および記念館内部>
<砲塔の残骸、アリゾナから漏れ出ている油>
3.ボーフィン潜水艦博物館
ビジターセンターの横に、第2次世界大戦の時運用されていた潜水艦が博物館として、内部が公開されていた。この艦は沖縄からの学童疎開船対馬丸を撃沈したことで有名。
まず甲板にのり、機銃の横を通って内部に入るハッチへ行く。船体全体としてかなり大きい。機銃も大きい。
中は狭苦しいはずと思ったが、そんなに圧迫感を感じない。でも配管やパイプがむき出しに走っていて、できるだけ広く見せようとしているなとおもった。また配管類むき出しということは、整備や検査は容易、でもトラブった時に危険。
船体のブロックごとに出入り口がありロックできる。中の居住エリアや機関エリア、そして魚雷エリアなどを見ることができる。やっぱり魚雷エリアは不気味。
いろいろな場所に、送風用のファンがあり、換気が大変だったのだろうなと思う。
<機械室の状況、および 魚雷発射管>
ここの外には、日本の特殊潜航艇や核弾道ミサイルのポラリス等の展示もあった。
<日本の特殊潜航艇 および ポラリスミサイル>
おわりに
私は東南アジアやアメリカに行ったとき、博物館等で太平洋戦争に対する各国の展示を見ることにしている。東南アジアや極東の展示はなかなか厳しいし、アメリカの展示ではなぜ戦争を考えたのだろうと思うような戦力や装備の大差を見ることができる。でもそういったところで、あまり日本人は見ない。
各国の人が知識としてなにを見ているか考えるためにも、こういったところへ行くべきとおもっている。
1.パールハーバーへの移動
ホテルのツアーデスクで、ワイキキから乗るバスの番号を教えてもらった。近づくとかなり混んできた。大きなリュックを担いだ筋肉もりもりの若者が乗ってきて、あれは軍人だなと思った。
私達はアリゾナ記念館のビジターセンターのところで降りた。ボートのチケットを入手した後岸壁に行ったとき、一番目を引いたのが航空母艦。ここは今も軍港として生きているのだなと実感した。
<空母、その日は地域の人との交流会をやっていたらしい>
2.アリゾナ記念館
ビジターセンターでボートに乗る順番を待ち、洋上の記念館にわたる。ワイキキやアラモアナでは随分日本人が歩いているが、ここでは日本人はほとんどというか全然いなかったのでちょっと驚いた。アリゾナ記念館は太平洋戦争開戦時の沈められた戦艦アリゾナの上に建てられた鎮魂の記念館。
まずビジターセンターで映像とともにそこで第2次世界大戦に参加した人から、パールハーバーが急襲され大損害を被った状況の説明がなされる。私の時は急襲時にパールハーバーに居住していた日系人で、その後ヨーロッパ戦線で活躍した人だった。
もちろんその説明は日本軍の宣戦布告なしの襲撃を非難し、軍だけでなく民間へもかなりの被害がでたことを説明する日本人にとっては厳しいものだった。そしてその後のアメリカ人の団結と反撃について説明した。ただしその中で日本の兵隊の敢闘精神については立派と褒めた。(日本軍ではなく、日本兵)
ボートでわたった記念館は、沈んだアリゾナに直角に作られていて、たしか砲塔の残骸が突き出し甲板も海中にうっすらと見える。そして沈船からオイルが浮いてくる。
また犠牲者の名前が大理石に刻まれていて、荘厳な雰囲気がある。周辺はほとんどがアメリカ各地の人々とおもうが、静かに動き回っていた。
<ボートからのアリゾナ記念館、および記念館内部>
<砲塔の残骸、アリゾナから漏れ出ている油>
3.ボーフィン潜水艦博物館
ビジターセンターの横に、第2次世界大戦の時運用されていた潜水艦が博物館として、内部が公開されていた。この艦は沖縄からの学童疎開船対馬丸を撃沈したことで有名。
まず甲板にのり、機銃の横を通って内部に入るハッチへ行く。船体全体としてかなり大きい。機銃も大きい。
中は狭苦しいはずと思ったが、そんなに圧迫感を感じない。でも配管やパイプがむき出しに走っていて、できるだけ広く見せようとしているなとおもった。また配管類むき出しということは、整備や検査は容易、でもトラブった時に危険。
船体のブロックごとに出入り口がありロックできる。中の居住エリアや機関エリア、そして魚雷エリアなどを見ることができる。やっぱり魚雷エリアは不気味。
いろいろな場所に、送風用のファンがあり、換気が大変だったのだろうなと思う。
<機械室の状況、および 魚雷発射管>
ここの外には、日本の特殊潜航艇や核弾道ミサイルのポラリス等の展示もあった。
<日本の特殊潜航艇 および ポラリスミサイル>
おわりに
私は東南アジアやアメリカに行ったとき、博物館等で太平洋戦争に対する各国の展示を見ることにしている。東南アジアや極東の展示はなかなか厳しいし、アメリカの展示ではなぜ戦争を考えたのだろうと思うような戦力や装備の大差を見ることができる。でもそういったところで、あまり日本人は見ない。
各国の人が知識としてなにを見ているか考えるためにも、こういったところへ行くべきとおもっている。