天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

薄情委員会

2024-12-26 05:01:00 | 時事
奇しくもクリスマスの日に兵庫県は今更感満載の百条委員会を予定通り開催し、三度知事、元副知事を招集して開催された。

茶番劇のリバイバルであり、これこそ薄情委員会であろう。

斉藤知事は一貫して県の対応の正当性を主張したが、一方で身軽となり、憤懣やる方ない片山氏は証言に加えて百条委員会側の数々の疑義の解明を要求するというサプライズまで発言した。
間違いなく今日の主役は片山サンタに決定だ。メリーXmas




日本保守銭奴党⁉︎

2024-12-19 10:09:00 | 時事
今や保守の期待の星から一般人の元候補者叩きに大半を費す国政政党のイメージが固着した日本保守党だが、この起因は全てSNSにあると考えている。

飯山氏の反撃は自身のライブ動画で50本以上に達する日本保守党叩きのライブラリとなっている。その中でエコーチェンバーとその現象を説明しているが、百田尚樹氏を頂点とするグループの所謂信者達の声しか届かない環境で自分の思い通りの発言が蔓延した空間が、彼らの配信番組なのだ。

しかもこのSNSの現象にどうやらあの二人は気付いていないようだ。Z世代とは対極にあるおじいちゃん、おばあちゃんは完全に使いこなせていない世代なのかもしれない。

しかしながらリアルタイムで流れるチャットから抽出し、即座に反応するという配信技術は非常に特殊であり、2.30代を頂点に若者が勝ち取っている文化だ。それを60代で使いこなせていることが奇跡であり、代表と事務総長は元テレビマンとジャーナリストというだけあってその点は感服する。

飯山氏も使用していたが、百田氏が札束を配信で見せびらかす姿はどうしても守銭奴剥き出しに写ってしまう。

政治をやりたいのか自分の配信がやりたいのかその選択の決断時期はとっくに過ぎている。


ナベツネの靖国論  98で逝く

2024-12-19 10:02:00 | 靖国


ウィキペディアより

『渡邊は、内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対している事で知られ、

「日本の首相の靖国神社参拝は、私が絶対に我慢できないことである。すべての日本人はいずれも戦犯がどのような戦争の罪を犯したのかを知るべきである。」

「今後誰が首相となるかを問わず、いずれも靖国神社を参拝しないことを約束しなければならず、これは最も重要な原則である。…もしその他の人が首相になるなら、私もその人が靖国神社を参拝しないと約束するよう求めなければならない。さもなければ、私は発行部数1000数万部の『読売新聞』の力で、それを倒す」

と述べ、靖国神社の代わりに無宗教の国立戦没者追悼施設を建設すべきと主張している(後述)。また

「内務班で受けた暴力をいまでも許せない、だから首相の靖国参拝には反対だ」

と本音を語っている。ただし極東国際軍事裁判の判決が絶対的正義でないと述べている。

2001年から2006年に靖国神社を参拝した当時の首相・小泉純一郎を「愚かな総理大臣」と辛辣に批判しており、小泉が自身の靖国参拝は「心」の問題だと語っていた事に対しては、日本遺族会が選挙における票田になっていることを挙げた上で、小泉が自由民主党総裁選挙の際、遺族会に向けて、自身が首相に就任すれば靖国神社を参拝することを約束していたとして、

「私はそれは偽善的であり、彼は心から参拝に行きたいと思っているのではなく、そういうパフォーマンスで、戦犯の遺族から得票を増やすためであったと思っている。」

と主張している。2006年、ニューヨークタイムズのインタビューに渡邊は

「(小泉純一郎は)歴史も哲学も知らず、勉強もせず教養も全くない」

という表現まで動員した。渡邊は

「小泉首相が『靖国参拝のどこが誤っているのか』『靖国を批判する国は韓国、中国しかない』と愚かな発言をするのは無知から始まったこと」

とも述べた。

旧日本軍の戦争行為に対する見方も厳しい。ミッドウェイ海戦とガダルカナル島の戦いでの大敗以来、大日本帝国陸軍・海軍から再び上申された神風特別攻撃隊に対しては

「今でも許せない軍の非人間的作戦」、

アッツ島の戦いで大本営が前線にいる兵士に全員自決せよとの命令を出した玉砕に対しては

「前線の将兵に対する鬼畜の行為」

と怒りを露わにし、石原慎太郎同様に戦陣訓を作成したとされる当時の陸軍大臣の東條英機を批判している。

渡邊曰く

「焦土作戦や玉砕を強制した戦争責任者が祀られている所へ行って頭を下げる義理は全く無い」「加害者と被害者を同じ場所に祀って、同様に追悼、顕彰することは不条理ではないか」。

靖国神社の遊就館に対しては、真珠湾攻撃などの日本が勝利を勝ち取った写真が展示されているため、

「非常に有害な場所であり、あれは閉鎖しなければならない。」

と閉鎖する事を主張している。また、自民党幹事長だった加藤紘一が遊就館を参観した後、遊就館はまことに行き過ぎだと語ったとも述べている。

2005年、読売新聞社は渡邊の主導のもとで、日本の戦争責任を反省するための「戦争責任検証委員会」を創設し、『戦争責任を検証する』という本にまとめた。日本語版と英語版のほか、2007年には中国語版も新華出版社から出版・発行された。

渡邊は中国語版の序文にて、「本書を出版した動機は、日本のこの戦争に対する非人道性及び責任の所在を研究して明白にし、日本人自身の良心に照らして、正確な歴史認識を得てはじめて、被害国と率直かつ友好的な対話が可能になる、との信念からにほかならない」と記している。また朝鮮民主主義人民共和国の金正日総書記にも「読んでほしい」と述べている。

社会民主党は2006年9月7日午後、東京都内で「千鳥ケ淵戦没者墓苑・平和祈念施設提言委員会」を開き、渡邊と意見交換し、渡邊は「世界各国に無名戦士の墓があり、国賓が来た時に訪問する国も多い。日本でこれに該当するのは千鳥ケ淵墓苑だ」と主張し、同墓苑に隣接する公務員宿舎などを廃止して墓苑を拡充、無宗教の追悼施設にする事を提案した。党首(当時)の福島瑞穂は「社民党の考え方と共通点が大変多く、とても参考になった」と応じた。

尊敬している中国人政治家は鄧小平と述べ、渡邊が鄧小平に日本の対中侵略戦争の責任問題についてどう見ているのかと尋ねたところ、鄧小平は侵略戦争を起こしたのは大日本帝国政府と軍隊の中のひと握りのものであり、広範な日本国民に罪はないと言明し、渡邊はこの言葉を聞いた後「親中派」となったと言う。ただし、2005年の中国における反日活動では「中国の反日暴動は、中国政府の統治能力と国民の文明開化度が日本より半世紀遅れていることを示すもので、いたずらに興奮するのは無益だが、あの暴挙については、日本国政府は厳しく抗議して、損害賠償を求め、国の威信を保たねばならない。」と中国側を批判していた。

2013年末に、内閣総理大臣の安倍晋三が靖国神社を参拝した事に対して、幹部たちとの会合で、「あれにはオレも失望した」と漏らしている。2007年には「安倍さんとは歴史観が違うんだ。僕は少年時代から反戦でね。A級戦犯が合祀されている靖国には参拝しない。彼は戦争を知らないから、仕方ないけどね」と述べている。』



A級戦犯と闇バイト

2024-12-12 13:47:00 | 靖国
A級戦犯、闇バイト、どちらも造語という意味では同じである。
バイトという有期雇用契約の労働に"闇"を付すだけで犯罪行為に変えてしまう。
闇という字は時として犯罪行為をかき消し、まるで流行であるかのように、人々の耳に届く。
一方でA級戦犯はa項b項c項と分類された項目別の戦争犯罪人である。
憲章6条a項に規定されている「平和に対する罪」に反した戦争犯罪人とされるが、「平和に対する罪」はニュルンベルグと極東軍事裁判で新たに造られた項目だ。
つまり彼らの行為が発生した後に罪を作って罰する法の不遡及を無視した有り得ない罪である。
したがって彼らは犯罪人ではないが、負けたことで強引に犯罪者にされた、と理解することが正しいのである。
つまり、闇バイトは犯罪人であるが、A級戦犯はただの有期雇用契約労働者なのだ。
連合国から見たA級戦犯は犯罪人だが、我々から見たA級戦犯は指導者であり、刑が執行された今は法務死した昭和殉難者と呼ぶのが正しい。
「A級戦犯を分祀せよ」という言葉がいかに間違ったスローガンであるか保守や右翼でなくとも理解できるであろう。

ヤマタイコク

2024-12-10 23:07:00 | 皇室


「近代天皇制研究の最大の難点は、御製(ぎょせい)と呼ばれる和歌を除いて、天皇や皇后(皇太后)が書いたものがほとんど公開されていないことである」

と現代ビジネスの「知られざる天皇家の闇を炙り出した、ある女官の手記」と題した記事の冒頭を原武史は綴っている。

彼がどのような思惑で記事にしているかは"闇"を付している時点で容易に想像はつく。だから本文は読んでいない。

昨今の皇室に関してSNSの中で目に付くのは愛子内親王殿下と秋篠宮を比較してどちらか一方を貶める極めて下品な取り上げ方だ。
女性天皇を推す高森明勅などは代表的な愚の骨頂である。

同じことが初期天皇の実在性に於いても言え初代、10代、15代、26代と諸説存在すること自体が不敬のようにも感じる。
初代神武天皇
10代崇神天皇以降実在
15代応神天皇以降実在
26代継体天皇以降実在

そもそもその実在性を疑うようになった原因は現存する歴史書が書かれた時代に大きく関係している。
712年古事記では初代から33代推古天皇
720年日本書紀は初代から41代持統天皇
までが記されている。
日本書紀において2代綏靖天皇から9代開化天皇までが欠損している"欠史八代"があることも実在性に影響を与えていると考えられる。

一方三国志の魏書東夷伝の倭人の条に登場する邪馬台国卑弥呼は170〜240年代であることから、この後150年間中国の日本に対する記述がないことから"空白の150年"と日本をヤマト政権が統一した時期が欠落している。

卑弥呼が統治した170〜240年を天皇系図に照らし合わせると13代成務天皇、14代仲哀天皇の代となる。
つまり15代応神天皇以降実在とする説はこの卑弥呼の記述によるところが大きいと言えるのだ。



箸墓古墳の倭迹迹日百襲姫命を卑弥呼に比定したものであるが、7代孝霊天皇の皇女であることからも紀元前であり、年代が異なる。


ここからは私の推論であるが26代継体天皇以降を実在とする説を鑑みそれ以前を神話と捉えず実在したものとして改竄されたのは年代と考えてみよう。確かに紀元前、100年上の高齢は考え難いのが所以である。

25代武烈天皇の506年没から卑弥呼没年の248年を引いた258年間に初代から25代までをあてはめたらどうであろうか。江戸時代260年間に12代を考えると倍以上の数となるが、神武天皇の127歳を考慮すれば暴論とも言えまい。

したがって神武天皇までが神代などとせず実在し卑弥呼を天照大神に比定すればヤマタイコクとヤマト王権の連続性、神武東征までもが実にリアルに腑に落ちるのだ。



金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は魏の曹操の陵墓から2019年同型の鏡が発見され、位の高い人物(つまり卑弥呼)への貢物である可能性が高いのである。
九州の大分県日田市のダンワラ遺跡より出土している。


ダンワラ遺跡に程近い上の図の左側に前方後円墳のような形の住宅地が見える。




いかがであろうか箸墓古墳が前方後円墳であるならば卑弥呼の墓の記述が円墳で直径150メートルとは言えどもこちらの方がサイズ的にも真実性が高いのではないだろうか。
場所として九州説の中に宇佐説がある
八幡宮の総本宮である宇佐神宮周辺を邪馬台国と見る説がある。ここもまた神武東征に協力した宇佐氏の存在も無視できない。卑弥呼の墓も宇佐神宮の下であると囁かれてもいる。天照大神の岩戸隠れは日田市に隠れていたのかもしれない。






ヤマタイコクがどこであれ、実は何処でも構わないと思っている。重要なのは卑弥呼が天照大神であり、その子孫が神武天皇であり、神話が中国人によって立証されたことに他ならない。

神武天皇を父として男系男子で紡いできた皇統が126代今ここにあるとする厳然たる事実なのである。、