鳩がくわえてきたオリーブの一葉・一枝は、平和をもたらす象徴であり、
旧約聖書ノアの方舟伝説では、人類が生き延びた“始まり”でもあった。
それほどオリーブの起源は古く、
平和という果実をもたらしてくれたことを物語っている。
庭に、7~8年前から1本のオリーブがある。
オリーブは、1本ではダメで、つがいを必要としていることがわかり、昨年1本を追加した。
この平和のシンボル、オリーブの花を見たことがない。
ましてや果実を見ることはない。
このことに疑問すら感じていなかったから、今考えると不思議だ。
(写真)オリーブの花
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/a4/aeafdf7d09d1653c3fdfef1363b12386.jpg)
濃い緑の葉の色の中に、違和感がある白い色が見えた、
白い茎のような花序がのびて、2mm程度の白く丸いつぼみがたくさんつき、
これが割れて花が咲いていた。
オリーブの花と気づくのに時間がかかった。
オリーブの栽培
オリーブは、難しく言うと“自家不和合性”が強いので、自家受粉しない。
DNAが異なるほかの木の花粉が、風か虫によってもたらされて受精するという。
が、これまで花を見たことがない。
ましてや、実がなった姿を見たこともない。
この疑問が一気に解決した。
疑問1:オリーブの実がならない。
→ 自家受粉しない。オリーブ1本だけではだめで、同時に2本以上育てる必要がある。
疑問2:オリーブの花が咲かない
→ 今年の新芽から出た枝に来年の花がつく
5~6年間剪定することもなくそのままにしていたが、のび放題になった枝を、昨年思い切ってカットした。
夏場は裏庭に、冬場は日の当たるところで育てたことも幸いし
今年初めて、オリーブの花が咲いた。
(写真)オリーブのつぼみ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/cd/0c08982593370a37a158fa219a48ac99.jpg)
オリーブの歴史
有史以前からオリーブの野生種があったようだ。
そのためか原産地がよくわからないが、小アジアから地中海沿岸の地域へ
フェニキア人、ギリシャ人、ローマ人の活躍の歴史とともに広がっていったという。
ツタンカーメン(紀元前1342年頃 - 紀元前1324年頃)の墓にもオリーブの枝があったというので、
地中海沿岸を南ヨーロッパコース、北アフリカコースの2方向で広がっていったようだ。
日本には、1862年(江戸時代の文久2年) 幕府奥医師・法眼の林洞海(はやしどうかい1813-1895)が
フランスから苗木を輸入し横須賀に植えたのが始まりといわれている。
本格的な栽培は、明治になってからであり、
“殖産興業”のプランを描いた鹿児島出身の前田正名(まえだまさな1850-1921)が
パリ万国博の事務館長を務めていたフランスからオリーブの苗木を1879年に輸入し、
自分が開設した三田育種場及び神戸の付属植物園で栽培を始めた。
しかし、長続きはしなかった。
現在では、小豆島のオリーブが有名だが、このオリーブは、1908年(明治41)アメリカから輸入され、
小豆島だけが栽培に成功したというほどであり、
オリーブの花を咲かせ、実をつけるのは難しい。
ということがわかり納得した。
兵庫県神戸市中央区にある楠木正成を祭る湊川神社(みなとがわじんじゃ)、
ここに、1879年(明治11)にパリ万国博覧会日本館長前田正名がフランスより持ち帰ったオリーブの日本最古の樹があるという。
野生種から栽培種が創られ、いまでは、500種以上もあるという。
我が家のオリーブの品種を確かめようとしたがめまいを覚えてしまうほどだったので、
あまりの品種の多さに驚いてしまった。
(写真)オリーブの木
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/9e/7a25a0a5d59c4f94ecaf7545a1664920.jpg)
オリーブ(Olive)
・モクセイ科オリーブ属の半耐寒性の常緑高木。
・学名は、Olea europaea。英名、和名ともOlive(オリーブ)。
・原産地は、アフリカ北部、小アジアといわれているが不明。
・地中海沿岸を代表する果樹
・開花期は5~6月で白い小さな花が咲く。
・樹高は7m以上と高木。鉢植えで高さを調整する。70~100cm程度に調整。
・日当たりが良く、土壌は渇き気味で水はけのよい土。
・乾燥には強いが、高温多湿を嫌う。
・根が浅くもろいので強風に弱い。
・苗から育てた場合は、花がつくのは4~5年かかる。
・また、冬の寒さにさらさないと花芽がつかないので、室内に取り込まない。
旧約聖書ノアの方舟伝説では、人類が生き延びた“始まり”でもあった。
それほどオリーブの起源は古く、
平和という果実をもたらしてくれたことを物語っている。
庭に、7~8年前から1本のオリーブがある。
オリーブは、1本ではダメで、つがいを必要としていることがわかり、昨年1本を追加した。
この平和のシンボル、オリーブの花を見たことがない。
ましてや果実を見ることはない。
このことに疑問すら感じていなかったから、今考えると不思議だ。
(写真)オリーブの花
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/a4/aeafdf7d09d1653c3fdfef1363b12386.jpg)
濃い緑の葉の色の中に、違和感がある白い色が見えた、
白い茎のような花序がのびて、2mm程度の白く丸いつぼみがたくさんつき、
これが割れて花が咲いていた。
オリーブの花と気づくのに時間がかかった。
オリーブの栽培
オリーブは、難しく言うと“自家不和合性”が強いので、自家受粉しない。
DNAが異なるほかの木の花粉が、風か虫によってもたらされて受精するという。
が、これまで花を見たことがない。
ましてや、実がなった姿を見たこともない。
この疑問が一気に解決した。
疑問1:オリーブの実がならない。
→ 自家受粉しない。オリーブ1本だけではだめで、同時に2本以上育てる必要がある。
疑問2:オリーブの花が咲かない
→ 今年の新芽から出た枝に来年の花がつく
5~6年間剪定することもなくそのままにしていたが、のび放題になった枝を、昨年思い切ってカットした。
夏場は裏庭に、冬場は日の当たるところで育てたことも幸いし
今年初めて、オリーブの花が咲いた。
(写真)オリーブのつぼみ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/cd/0c08982593370a37a158fa219a48ac99.jpg)
オリーブの歴史
有史以前からオリーブの野生種があったようだ。
そのためか原産地がよくわからないが、小アジアから地中海沿岸の地域へ
フェニキア人、ギリシャ人、ローマ人の活躍の歴史とともに広がっていったという。
ツタンカーメン(紀元前1342年頃 - 紀元前1324年頃)の墓にもオリーブの枝があったというので、
地中海沿岸を南ヨーロッパコース、北アフリカコースの2方向で広がっていったようだ。
日本には、1862年(江戸時代の文久2年) 幕府奥医師・法眼の林洞海(はやしどうかい1813-1895)が
フランスから苗木を輸入し横須賀に植えたのが始まりといわれている。
本格的な栽培は、明治になってからであり、
“殖産興業”のプランを描いた鹿児島出身の前田正名(まえだまさな1850-1921)が
パリ万国博の事務館長を務めていたフランスからオリーブの苗木を1879年に輸入し、
自分が開設した三田育種場及び神戸の付属植物園で栽培を始めた。
しかし、長続きはしなかった。
現在では、小豆島のオリーブが有名だが、このオリーブは、1908年(明治41)アメリカから輸入され、
小豆島だけが栽培に成功したというほどであり、
オリーブの花を咲かせ、実をつけるのは難しい。
ということがわかり納得した。
兵庫県神戸市中央区にある楠木正成を祭る湊川神社(みなとがわじんじゃ)、
ここに、1879年(明治11)にパリ万国博覧会日本館長前田正名がフランスより持ち帰ったオリーブの日本最古の樹があるという。
野生種から栽培種が創られ、いまでは、500種以上もあるという。
我が家のオリーブの品種を確かめようとしたがめまいを覚えてしまうほどだったので、
あまりの品種の多さに驚いてしまった。
(写真)オリーブの木
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/9e/7a25a0a5d59c4f94ecaf7545a1664920.jpg)
オリーブ(Olive)
・モクセイ科オリーブ属の半耐寒性の常緑高木。
・学名は、Olea europaea。英名、和名ともOlive(オリーブ)。
・原産地は、アフリカ北部、小アジアといわれているが不明。
・地中海沿岸を代表する果樹
・開花期は5~6月で白い小さな花が咲く。
・樹高は7m以上と高木。鉢植えで高さを調整する。70~100cm程度に調整。
・日当たりが良く、土壌は渇き気味で水はけのよい土。
・乾燥には強いが、高温多湿を嫌う。
・根が浅くもろいので強風に弱い。
・苗から育てた場合は、花がつくのは4~5年かかる。
・また、冬の寒さにさらさないと花芽がつかないので、室内に取り込まない。