モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

その41 “ヤマボウシ”と『Flora Japonica (フロラ・ヤポニカ)』

2008-06-12 08:09:20 | ときめきの植物雑学ノート

No2:ヤマボウシの歴史と名前の由来
(※ No1:日本原産 ヤマボウシの“実”と“花”はこちら)

日本原産でもあるヤマボウシの名前は、
丸い坊主頭の花が、白い“ほう”という頭巾をまとっているその花姿から
山法師(ヤマボウシ)と名付けられたという。

このヤマボウシをヨーロッパに紹介したのは、シーボルトとその協力者のツッカリーニによる
『Flora Japonica (フロラ・ヤポニカ)』(出版年度1835-1870、30分冊)であろう。
(資料)京都大学理学部植物学教室所蔵 『Flora Japonica』

シーボルト(Siebold, Philipp Franz Balthazar von, 1796-1866)は、
1823年~1828年まで日本に滞在し、長崎出島を居住地に植物などの収集を行い、
12000点もの植物標本を持って帰り、これをベースに日本の植物誌を発表した。

分類学的な分析は、ミュンヘン大学教授ツッカリーニ(Joseph Gerhard Zuccarini 1797-1848)が担当した。
残念ながらシーボルトよりも短命であり、しかも、二人の死後に「フローラ・ヤポニカ」が完了している。

この訳本を読んでみてイギリスの植物学者ベンサムの名前が
ヤマボウシの属名になった謎が解けた。

ヤマボウシなどが属していた“コルヌス Cornus”という名前は、
紀元前3世紀の植物学の父テオフラスタス(Theophrastus B.C371~287)の時代に、
この木があまりにも硬いのでつけられた名前であり、
コルヌスは「つの」を意味する。

ヤマボウシも最初はこのコルヌスに属しており、学名はCornus kousa Buerg. ex Hanceであった。
種小名の“クーサ Kousa”は、箱根などでのヤマボウシの方言“クサ”に由来するという。
シーボルトは江戸にも来ているので箱根を越えているが、
“山の帽子” (=高山植物という間違った認識)という記載だけがされており、
クーサに関しては何も触れられていない。
別の文献では、ヤマボウシを発見した九州から名前を取った。という指摘があり、
長崎出島に行動範囲を制約されていた環境から見て捨てがたい指摘と思う。

このコルヌス属の中で、1825年にヒマラヤで発見された美しい常緑樹があった。
これをカピタータ(Cornus capitata)というが、

この種をコルヌス属から独立させたほうが良いと思った人間がいた。

イギリスの植物学者リンドレイ(John Lindley 1799-1865)で、
同時代のシソ科の権威でもあるベンサム(George Bentham 1800-1884)に献じ
新しい属を作り Benthamia と名付け、カピタータをこの属の帰属とした。

『Flora Japonica (フロラ・ヤポニカ)』で、ヤマボウシを記述したツッカリーニは、
この属に2番目の種としてヤマボウシを付け加えることにした。
新しいヤマボウシの学名は、シーボルトとツッカリーニが命名者となり
Benthamia japonica Siebold & Zucc.(ベンサミア属ヤポニカ、シーボルト&ツッカリーニ)となった。

(写真)ヤマボウシの花と実


シーボルト&ツッカリーニが、ヤマボウシをミズキ属から分離独立させたのは、

「ハナミズキは、花が散形花序の形に広がっており果実もそれぞれが離れている。
一方のヤマボウシは、花が頭状に集まり果実は成熟に従いお互いにくっつき
見かけは一個の果実となる。」

『Flora Japonica (フロラ・ヤポニカ)』に記載している。
ツッカリーニの分類学的な視点は素晴らしいといえる。

ヤマボウシがヨーロッパに紹介されたのは1830年代であり、
ヤマボウシの新しい学名が登録されたのが1836年であるので、このあたりだろう。
イギリスでは、1892年には第一級の花木と評価されるまでになり、庭木として普及した。

京都大学理学部植物学教室に『Flora Japonica』のデジタル版がある。 
ヤマボウシ(Benthamia japonica Sieb. et Zucc.)をご覧になっていただこう。


植物画としての写実性と美しさを有する優れた作品であり、
『Flora Japonica (フロラ・ヤポニカ)』は、下絵を描いた川原慶賀などの絵師の高い職人技が支えており、
19世紀の植物画の水準を高めた作品となっている。

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