今年のサクラ前線の予報は、3月25日から関東地方で開花という。
例年よりも開花が早まっており、さらに、不都合なことに満開になるのが早いためお花見の期間は短くなってしまうという。
この予報されるサクラは種類豊富なサトザクラ系で、
先日掲載した伊豆のカワズザクラ(河津桜)のように2月末から3月初めに咲き始めるサクラもある。これを早咲き・カンザクラ系というようだが、その中でもめずらしいタイプの花が咲いた。これもサクラなのだ。
(写真)カンヒザクラの花
早咲き・カンザクラ系の「カンヒザクラ(寒緋桜)」で、3月初めに咲き始めている。
花は、2~3cmの5枚の花びらが半開きで筒状となり下向きに咲く。花色は濃い紅色で初めて見たときは桜とは見えず、色鮮やかな蓑虫の新しいタイプといっても通りそうだ。
原産地は中国南部・台湾などの暖かいところで、日本では沖縄・石垣島などに自生している。以前は、ヒカンザクラ(緋寒桜)と呼んでいたが、ヒガンザクラ(彼岸桜)と混同するので、カンヒザクラ(寒緋桜)と呼ぶようになったという。
発見者のアーネスト・ヘンリー・ウイルソン
この桜を発見したのは、英国のプラントハンター、ウイルソン(Wilson、Ernest Henry 1876 – 1930)で、1900年代の初めに中国の植物探索で名をはせ、チャイニーズ・ウイルソンとも呼ばれた。
ウイルソンは、プラントハンターとしての完成形に近い人かもわからない。
学校を出た後にヒューイットの育苗園に入り、16歳の時にバーミンガム植物園に移る。仕事のかたわらバーミンガム工科大学に通い植物学を学び、ヴィクトリア女王賞を受ける。21歳の時の1897年にキュー植物園に職を得、ヴィーチ商会から中国に行くプラントハンターの要請がありこれに派遣される。
プラントハンターの訓練を受けるために、ヴィーチ商会の育苗園で半年研修し、アメリカ、ボストンにあるアーノルド樹木園で実習を行いここの園長のサージェントと出会い、アメリカを横断してサンフランシスコまで来て中国に出航した。ここまでトレーニングされたプラントハンターも初めてに近く、また、アメリカ経由東回りで東洋に来た初めてのプラントハンターとなる。
ヴィーチ商会の目的は、「ダヴィディア(和名ハンカチノキ)」の種子を手に入れることだったが、ウイルソンはこれ以上の数多くの新種をも収集し成果を出した。
彼を有名にしたのは、1903年二度目の中国探検のときに、「the Regal lily(帝王のユリ)」をチベットに近い四川省の峡谷で発見した。
また、1910年に再びこのユリを採取に行き数多くの球根を集め、この荷物とともに絶壁にへばりついた人一人しか通れない細い道を進んでいたときに崖崩れにあい足が骨折した。応急処理として添え木をあて縛り付けたが、困ったことに反対側からロバを引き連れた隊商が来たことだ。戻ることも進むことも出来ないので、路上に横たわり彼の体の上をロバと隊商がまたいで通ることになった。
結果として、彼の足と引き換えにリーガルリリーが世界に広まったが、このような困難が付きまとうプラントハンターの事例としても彼を有名にした。
プラントハンターは、その探検隊を支えるために膨大な費用がかかる。ヴィーチ商会がウイルソンの最初のパトロンだったが、ヴィーチ商会は後継者がいないために1913年、5代100年強の歴史を閉じることになる。ちなみにヴィーチ商会は1840年から1905年までに22名のプラントハンターを海外に派遣し植物収集を行った。ウイルソンがヴィーチ商会最後のプラントハンターに当たる。
カンヒザクラをいつ発見したかはよくわからなかったが、ウイリアムは、1911年から1916年は日本に来ていて屋久島杉、桜などの新種を発見している。また、1917-1918年は韓国・台湾の探検をしているので、この1910年代に発見したものと思われる。
1984年この偉大なプラントハンターを記念してウイリアムが中国で集めた植物1200種を栽培し展示する庭園が作られた。このアーネスト・ウイリアム記念庭園を造ったのがクリスマスローズ・グッタータスの発見者ロイ・ランカスター(Lancaster, Charles Roy 1937-)だった。先人の栄誉を記憶に残すことにより、自らのプラントハンターとしての誇りを矜持したのだろう。
(写真)カンヒザクラの木
カンヒザクラ(寒緋桜)
・バラ科サクラ属の落葉高木
・学名はPrunus campanulata Maxim.。属名のPrunusは、ラテン古名の「plum(すもも)」が語源。種小名のcampanulataは、カンパニュラー同様に釣鐘型・ベル型の花。
・和名はカンヒザクラ(寒緋桜)、別名旧暦の元日に咲くのでガンジツザクラ(元日桜)とも呼ばれる。
・原産地は中国南部・台湾で、沖縄石垣島などに野生化した原木がある。日本では関東以西に生息する。
・開花期は2月末から3月一杯。緋色の下向きの花が葉に先んじて咲く。
命名者マキシモヴィッチ
Maximowicz, Carl Johann (Ivanovič) (1827-1891)
ロシアの植物学者で、日本が開国したので1860年に函館に来て1864年まで横浜・長崎等を拠点に植物採集を続けた。膨大な植物標本を持ってロシアに帰ったが、彼はシーボルトの植物標本なども買い集めていて、日本の植物研究は、マキシモヴィッチのいたサンクト・ペテルブルグが一番といわれている。