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国際事情  日本の植民地支配の遺産  

2018-07-14 | 日本時事新聞社

<ブックレヴュー>(訂正案内)

1910~1945朝鮮に於ける日本の植民地支配の遺産:新しい視点から

ジョージ・アキタ & ブランドン・パーマー

MerwinAsia Publishers 2015

 

書評者:アルドリック・ハマ

 

セントジョセフ国際大学

国際社会工学部 主任教授

古賀 剛大 様,

 

 昨日お送りしたニュースレターで、本書の日本訳版はまだ出版されていない、と書きましたが、これは間違いでした。複数の方からご指摘いただきました。

 

 2015年にアメリカで発売になるとすぐに、草思社より、『『日本の朝鮮統治を検証する1910-1945』というタイトルで出版されていました。無知をお詫びいたします。書評もいくつも出ていました。ご参考までに、二つほど紹介します。

 ■「九分どおり公平」だった

 実証主義的歴史学者アキタ教授が若いパートナーと、今日きわめて微妙かつ重大なテーマである日本の朝鮮統治問題を取り上げ検証する試みに先ずは敬意を表する。著者らは主として「韓国語あるいは英語を母国語とする朝鮮問題の専門家」の研究などを取り上げる。これらの多くは民族主義的歴史観(朝鮮民族の優秀性や自立性を強調するいわゆる「民族史観」)の信奉者で、著者らの立場はそれへのアンチテーゼとしての追究「修正主義史観」である。

 検証方法は、「民族主義的歴史観」的研究の立言の根拠を検討し、比較的最近の「修正主義史観」的研究から、信頼できる根拠に基づく事実を拾い出すことと「列強の植民政策との対比」を行うことだった。

 第15章では「朝鮮人は史上最も残酷だったとして知られる日本の植民地支配の下で生きたか否か」を検証する。強制労働と強制収容所に代表される欧米の植民地支配に対し、日本が朝鮮の経済・産業・教育等の施設構築のためにはるかに多くの努力を払ったとしている。日本による教育・産業開発への「巨額の投資」や公衆衛生の取り組みは、他の植民地保有国を凌(しの)ぎ、朝鮮では一度も飢饉(ききん)が起きていないことをも指摘。

総督府の地籍測量を通じ朝鮮人所有地を収奪したという主張も修正主義史観による調査で完全に否定し、産業化と土地制度の改革が植民地時代後の朝鮮の発展を可能にした最重要の要素としている。

 第17章「修正主義陣営の多様な声」は多様な実証的な研究成果を取り上げる。いわゆる「従軍慰安婦」が“性的奴隷”だったというのは「不適切な主張」とし、李朝時代から引き継がれた「鞭打ち刑」が三一運動後に廃止されたこと、「少なくとも日本と同等の刑法制度を」もたらしたと指摘する。

 そして「朝鮮の近代化のために、日本政府と朝鮮総督府が善意をもってあらゆる努力を惜しまなかった…。汚点は確かにあったものの、同時代の他の植民地保有国との比較において、…『九分どおり公平』だった」と結んでいる。(ジョージ・アキタ、ブランドン・パーマー著、塩谷紘訳/草思社・2730円)

 評・伊藤隆(東京大名誉教授)

日本の朝鮮統治の総括は、戦後かくも歪められてきたのか 公平に客観的に朝鮮統治を比較検証すれば、九割が公平だった  宮崎正弘の国際ニュース・早読み

 画期的な、しかもアカデミックな歴史検証の書物がでた。
 米国の学者が、客観的な歴史の事実を踏まえて、これまでの俗説に挑戦したのだ。本書は日本の保守層にとって必読の文献となるだろう。

 日本の朝鮮統治は「殆どが公平におこなわれた」とする結論は、アメリカの歴史学会では異例、おそらく左翼陣営やリベラルなマスコミから「修正主義者」のレッテルを貼られるであろうが、その学者生命を賭けた勇気に私たちは瞠目する必要がある。

そして、この本が世界で広く読まれることを真摯に望みたいのである。
 小誌の読者にはいまさら説明の必要はないであろうけれども、日本の朝鮮統治が「帝国主義的な侵略だった」とか「残忍」とか「植民地主義による収奪」とか、でたらめなことをいってのけてきた左翼学者、ジャーナリストによって、いまも多くの日本人は『洗脳』されてしまったままである。

 しかし客観的事実を注意深く遡及し、慎重に比較検証してみれば、それこそが「穏健かつ公平、現実的にして、日朝の相互発展を目指」していたことが分かる。その事実を、しかしながら絶対に受け入れない国々がある。

 そして「朝鮮、韓国系の人々が往々にして極端に偏見に満ち、反日的な歴史の記憶をあえて選択して記憶に留める傾向を、少しでも緩和するお手伝いをするべく努力してきた。その中で非常に印象的だったのは、朝鮮の近代化のために、日本政府と朝鮮総督府が善意を持ってあらゆる努力を惜しまなかった」のである。
 書かれるべくした書かれた歴史のダイナミックな検証である。

 「フランス領カンボジアでは、1944年に就学対象児童の20%以下しか学校へ行けなかった」
いや、そればかりか「ベトナムに於けるフランスの教育的実績も寂しい限りだ」とする著者らは、就学率が10%以下であったうえ、『植民者』と『被植民者』との差別があった。つまり別々の学校へ通わされていた事実を淡々と書く。
日本統治下の朝鮮、台湾で、そういう露骨な差別はなかった。
 「フランス領西アフリカの教育制度はベトナム以下のレベルだった」
 「イギリスの植民地における教育実態は功罪相半ばした。大半が間接統治」でなされ、「現地の伝統的なエリート集団に日々の実権を委ね」た。
 イギリス統治のインドの識字率は12%だった。
 「イギリスとフランスがアフリカで施した教育の主眼は、現地人の学生達を労働者や活動的な市民にすることではなく、従順な農民にすることだった」。
 「ポルトガルの植民地教育は、文化的同化に焦点を絞った」。けれども「学費が極端に高く、実際に通学できた子供達はごく僅かだった」
 「ベルギー領コンゴの教育はすべての植民地の中で最悪だった」

すなわち「日本は決して植民地の生き血を吸うバンパイアではなかった」
 朴大統領、播国連事務総長にも、この本を届けたい。

書評英語原文: http://www.sdh-fact.com/CL/1910-1945-Japanese-rule.pdf

書評日本語訳: http://hassin.org/01/wp-content/uploads/1910.pdf

 

平成30年7月12日 「史実を世界に発信する会」茂木弘道拝

http://hassin.org

 

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