今日 万年筆のインクのカートリッジを買いにいきました。
インク交換しようと 万年筆を改めて眺めながら
自分の名前を彫ってもらったことを思い出しました。
それは もう4年近く前
一時
洋裁の仕事を辞めたことがあります。
“二度と 洋裁の仕事になんて戻らない!っ”と
事務職の仕事に就きました。
その固い?!決意の顕れに・・
この万年筆を買い 名前を彫ってもらいました。
その当時
事務職=ペンを使う=万年筆・・・っという
イメージがあったんですよね・・・。
他にも
“事務職”でイメージするものはたくさんあったんでしょうが
なんで 万年筆?だったのか?
たぶん・・
20代後半
イタリアへ工場見学にいく機会があり
その最終日に
ミラノで数時間の自由行動がありました。
その時
ショーウィンドウ越しにみた“万年筆”が
とってもカッコよくて
“いつか こんな万年筆を使いこなせる大人?!になりたい!”
っと
万年筆に憧れたんですよね・・・。
ボールペンすら持たない私には
“万年筆”=自立した大人のイメージが強かったんだと思います
その頃は まだまだ
オーダーで下積み真っ最中
日々
ハサミと針と格闘しながら ミシンを踏む毎日。
お直しから やっと ボトム(パンツ・スカート)を任されたものの
上着を任されるのは
まだまだ・・先・・・
認めてもらえない自分と
自立できない自分の焦りと葛藤
先の見えない不安と葛藤しながら
万年筆に
憧れた自分が懐かしいですね。
結局 事務職をしていた間
万年筆を使うことはなく
ボールペンばかり。
その上 あれほど固い決意で洋裁を辞めたのに
2年で
自ら ボールペンをも捨て
洋裁の仕事に戻ってしまったのだから・・
私の決意なんてそんなものかも・・。
今も
むかしと同じ
ハサミと針 ミシンと格闘の日々の中
見えない不安と葛藤?!という部分はかわりませんが
むかしと違い
この万年筆は 今 欠かせないアイテムになっています。
お客様にお手紙を書く時
この万年筆を使います。
ボールペンで書くより
文字に想いが伝わるよような気がして。
事務職の時には
一回もインク交換をすることはなかったのに・・。
今は これで 何本目のインク交換かな・・。
万年筆を買う時
一番安いものしか買えませんでしたが
この掘った名前が見えなくなるくらい痛んだら
次 買いなおすときには
もっと いいのを買おう
そして その万年筆が傷んだら
更に もっといいのを買おう・・・
そうやって いつか憧れた“自分”になれる日を
夢みたことも 思い出しました。
私は “万年筆”ですが
“時計”や“車”座り心地のいい“椅子”
女性は“洋服”や“宝飾品”に託す人もいます。
自分のステップアップの度合いを
何かの“形”に託しながら
みんな 自分を奮起させているのかもしれないですね・・。
“形”は 自分の中の“自信”の現れなのかもしれません。
万年筆をまだまだ使いこなせてはいませんが・・
いつか
万年筆の似合う自分(=自分に自信がもてたら)になれたら
イタリアのあのショーウィンドウの万年筆を手にいれたい・・・。
20年後・・30年後・・・
さて・・いつになることやら・・・
万年筆に 密かな野望を託して
明日の励みにしたいっと思います。
インク交換しようと 万年筆を改めて眺めながら
自分の名前を彫ってもらったことを思い出しました。
それは もう4年近く前
一時
洋裁の仕事を辞めたことがあります。
“二度と 洋裁の仕事になんて戻らない!っ”と
事務職の仕事に就きました。
その固い?!決意の顕れに・・
この万年筆を買い 名前を彫ってもらいました。
その当時
事務職=ペンを使う=万年筆・・・っという
イメージがあったんですよね・・・。
他にも
“事務職”でイメージするものはたくさんあったんでしょうが
なんで 万年筆?だったのか?
たぶん・・
20代後半
イタリアへ工場見学にいく機会があり
その最終日に
ミラノで数時間の自由行動がありました。
その時
ショーウィンドウ越しにみた“万年筆”が
とってもカッコよくて
“いつか こんな万年筆を使いこなせる大人?!になりたい!”
っと
万年筆に憧れたんですよね・・・。
ボールペンすら持たない私には
“万年筆”=自立した大人のイメージが強かったんだと思います
その頃は まだまだ
オーダーで下積み真っ最中
日々
ハサミと針と格闘しながら ミシンを踏む毎日。
お直しから やっと ボトム(パンツ・スカート)を任されたものの
上着を任されるのは
まだまだ・・先・・・
認めてもらえない自分と
自立できない自分の焦りと葛藤
先の見えない不安と葛藤しながら
万年筆に
憧れた自分が懐かしいですね。
結局 事務職をしていた間
万年筆を使うことはなく
ボールペンばかり。
その上 あれほど固い決意で洋裁を辞めたのに
2年で
自ら ボールペンをも捨て
洋裁の仕事に戻ってしまったのだから・・
私の決意なんてそんなものかも・・。
今も
むかしと同じ
ハサミと針 ミシンと格闘の日々の中
見えない不安と葛藤?!という部分はかわりませんが
むかしと違い
この万年筆は 今 欠かせないアイテムになっています。
お客様にお手紙を書く時
この万年筆を使います。
ボールペンで書くより
文字に想いが伝わるよような気がして。
事務職の時には
一回もインク交換をすることはなかったのに・・。
今は これで 何本目のインク交換かな・・。
万年筆を買う時
一番安いものしか買えませんでしたが
この掘った名前が見えなくなるくらい痛んだら
次 買いなおすときには
もっと いいのを買おう
そして その万年筆が傷んだら
更に もっといいのを買おう・・・
そうやって いつか憧れた“自分”になれる日を
夢みたことも 思い出しました。
私は “万年筆”ですが
“時計”や“車”座り心地のいい“椅子”
女性は“洋服”や“宝飾品”に託す人もいます。
自分のステップアップの度合いを
何かの“形”に託しながら
みんな 自分を奮起させているのかもしれないですね・・。
“形”は 自分の中の“自信”の現れなのかもしれません。
万年筆をまだまだ使いこなせてはいませんが・・
いつか
万年筆の似合う自分(=自分に自信がもてたら)になれたら
イタリアのあのショーウィンドウの万年筆を手にいれたい・・・。
20年後・・30年後・・・
さて・・いつになることやら・・・
万年筆に 密かな野望を託して
明日の励みにしたいっと思います。