北海道の開拓民として農業に従事しながら絵を描き続け、享年33歳で逝った天才画家“神田日勝”は、「結局、どういう作品が生まれるかは、どういう生き方をするかにかかっている」と、生前に述べていたそうである。これは、“文は人なり”ということ諺に通ずると思う。
“文は人なり”とは、文章は筆者の思想や人柄が現われるので、文章を見れば書き手の人となりが判断できるということである。最近、言ってはいけない言葉を口に出したために辞職した政治家などがいたが、心に思っているから口に出たのであり身から出た錆だと思っている。
多くの政治家は不祥事などで離党したが、離党ではなく辞職すべきだと思う。“武士に二言はない”といわれるので、自分も嘘をつかないようにしているがときどきウソをつく。
“武士は食わねど高楊枝”で見栄を張ることも大切であるが、私は見栄を張らないようにしている。なぜなら、見栄を張ってもお里が知れてしまうからである。見栄を張る人の心理には、周囲の目を気にした自信のなさが見え隠れしている場合がある。
「見栄」は張りすぎると、本来の自分とかけ離れてしまうため、心身への負担が大きく疲れてしまうこともある。“見栄っ張り”の人が多いのが気になっているが、最近の子供を見ていると嘘をつく子供が多いが、これは親や大人が嘘を付くからで、国会議員が嘘をつく時代だから仕方ないが、子供は親の背中を見て育つのである。
国会中継でたびたび聞く言葉で、 “記憶にございません”という言葉がある。嘘をつくよりはまだましであるが、“嘘も方便”という諺があるように、嘘が一概に悪いわけではなく時と場合によると思っている。
農民画家 神田日勝の絵は、“飯場の風景”などウソがなく分かりやすいので、本州から来た友人を「神田日勝記念美術館」に必ず案内する。絵は人なりで、彼の絵には何か訴えるものがあり、是非、足をはこんでほしい。
「十勝の活性化を考える会」会員
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