十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

沙絵の太陽

2019-12-26 05:00:00 | 投稿

                  沙絵の太陽

 

令和元年1128日付け「北海道新聞」夕刊の今日の話題欄に、以下の記事が載っていた。

 

『函館でタウン誌を長く発行しながら小説や随筆を発表しながら、2005年に76歳で亡くなった木下順一さんは、結核性関節炎のため7歳で右脚の切断手術を受けた。生前、こう語っていた。

「障害者が偉業を成し遂げると障害を乗り越えてと言いますね。そうではなく、障害があるからこそ、健常者に見えないことが見えたり、できないことができたりするのです。」

渡島管内七飯町で生まれ、函館で育ったリオネジャネイロ・パラリンピック陸上女子400メートル銀メダリスト重本沙絵さん(25)の講演を今月、地元の函館で聞き、木下さんの言葉を思い出した。

生まれつき右肘から先がない重本さんは元ハンドボール選手。小学校の時。シュートを決めると指導教員は「沙絵、太陽が見えたね」と喜んでくれた。中学校の時、「特別扱いしない」と厳しい言葉を掛けられたのが「うれしかった。頑張れば認めてくれる」。

健常者と同じコートで戦ってきたから、日本体育大で障害者陸上への転向を打診された時は悩んだ。障害者スポーツの「かっこよさ」を知り、努力を重ねて得たリオのメダルだった。

今月の世界選手権は7位に終わり、今大会の東京パラインピック代表内定は逃した。「負けて重圧から解放された。また頑張れるな、私。」。世界ランク6位以上での代表内定に向け、練習に励む。

「つらいこともあったけど、いろんな人に出会い、支えられた」。才能あるアスリートが再び太陽のような笑顔に輝くことを、地元は信じて待っている。』

 

私も障害者なので、この記事を読んで次のように思った。「人間は同じ境遇に置かれないと、その人の本当の気持ちは分からない」と。

 

「十勝の活性化を考える会」会員

 

注) パラリンピック

 

パラリンピックは、国際パラリンピック委員会が主催する、身体障害者肢体不自由(上肢・下肢および欠損、麻痺)、脳性麻痺視覚障害知的障害)を対象とした世界最高峰の障害者スポーツ総合競技大会オリンピックと同じ年に同じ場所で開催される。アテネ大会から夏季オリンピックと共同の開催組織委員会が運営する。

 

パラリンピックはIPCの登録商標であり、各国に委員会を設け、商標の保全を義務付けている。日本においては、元厚生労働省所管であった公益財団法人日本障害者スポーツ協会(以下JPSA)の下に日本パラリンピック委員会(以下JPC)が設立され、商標保護に努めるとともに、日本選手団の派遣事業を行っている。

日本国内において「パラリンピック」という文言を使用するためには、日本障がい者スポーツ協会の承認を必要とし、オフィシャルサポーターと呼ばれるスポンサー契約を結ぶ必要がある。なお、文字数の関係で『パラ』と省略したり、『パラ五輪』と記載するメディアも存在する。

オリンピックの直後に同じ場所で開催するというIPCの戦略が奏功し、格段にマスコミに取り上げられる率が高く、数ある「障害者スポーツ大会」の中で、現在、最も知名度が高くなり商業的にも成功をおさめつつある。

また、開始当初は車椅子使用者のために実施されてきた大会が、その他の障害者にも拡大されていった大会で、同じ障害者スポーツの競技大会ではあるが、デフリンピック聴覚障害者)や、スペシャルオリンピックス知的障害者)とは、別の理念と歴史が存在している。

日本では、ながらく厚生労働省所管となっていたが文部科学省に移管され、オリンピックとの一元化が図られることとなった(「福祉」から「スポーツ」へ節参照)。

 (出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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普通の生活を・・・

2019-12-25 05:00:00 | 投稿

                   普通の生活を・・・

 

令和元年1126日付け「北海道新聞」夕刊の今日の話題欄に、以下の記事が載っていた。

 

『今月中旬、国会内で開かれた集会で日本人の妻は涙ながらに訴えた。「私と娘にとって夫は必要不可欠な存在です。どうか助けてください」

夫は24歳のトルコ国籍のクルド人。20173月、日本で結婚した。当時5歳だった妻の娘も「パパ君」と慕った。だが平穏な日々は長続きしなかった。翌月、茨木県牛久市にある入管施設、東日本入管センターに収容されてしまった。

難民申請が認められず、禁じられていた就労をしたのが理由だ。法務省は、日本人との結婚は特別に在留許可を与える際の「特別要素」になるとの指針を示しているが、そうした配慮はなかった。

彼は今年7月、解放を求めてハンストを始めた。衰弱し体重が15キロ減った。先月7日、条件付きで施設外の生活が許される仮放免になった。収容は2年半に及んだ。

夢にまで見た家族3人の生活。しかしそれもすぐに暗転する。翌日、夫は外出先で突然倒れた。妻子の前で泡を吹き、白目をむき、病院に緊急搬送された。てんかんの発作と診断された。

 そして2週間後、彼は再びセンターに収容された。この間、何の違反もしていない。通院が必要という医師の診断書も、入管は考慮しなかった。

妻は言う。「私たちは、普通の生活を送りたいだけです。ご飯を食べて寝て起きて、行ってらっしゃい、お帰りを毎日言って」

収容施設で餓死者が出るなどして入管の対応が厳しく批判されている、次に、「お帰り」と言える日はいつになるのか。』

 

この記事を読んで私は、次のように思った。外国人受け入れには国内の治安維持など様々な問題はあるが、人口やGDPの減少が予想されており、外国人を受け入れざるを得ない。ヨーロッパでは、アフリカからの「移民」や「難民」が問題になっており、イギリスでは国民投票をおこないEU離脱の方向で進んでいる。

 

「十勝の活性化を考える会」会長

 

注) 移民と難民

移民とは、異なる国家へ移り住む事象、また出生国や育った国といった居住国を離れて、12ヶ月以上、当該国へ移住して居住している人々を指す。

移住は長期にわたる居住を意味しており、観光旅行は通常含まない。ただし、通常1年以内の居住を指す季節労働者は移民として扱う場合が多い。

国際的に合意された「移民」の定義はまだ無い。最も引用されている定義は、国際連合UN)の国連統計委員会への国連事務総長報告書(1997年)に記載されているもので、「通常の居住地以外の国に移動し、少なくとも12ヶ月間当該国に居住する人のこと(長期の移民)」を言う。

 この定義によると長期留学生、仕事での長期赴任者、長期旅行者も「移民」である。また、国籍に関する要件が含まれていないため、日本で出生した外国籍の保持者は通常の居住国は日本であるため、移民ではない。受け入れ国の法的手続きによらず移入した人々を「不法移民」と呼ぶ。

 難民は、対外戦争民族紛争、人種差別、宗教的迫害、思想的弾圧、政治的迫害、経済的困窮、自然災害飢餓伝染病などの理由によって居住区域(自国)を離れた、あるいは強制的に追われた人々を指す。

その多くは自身の生命を守るため、路、路、路、路のいずれかで国外に脱出し、他国の庇護と援助を求める。

現在の国際法では、狭義の「政治難民 」を一般に難民と呼び、弾圧や迫害を受けて難民化した者に対する救済・支援が国際社会に義務付けられている。

 

(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

 

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詩:「 学ぶ 」

2019-12-24 05:00:00 | 投稿


「 学ぶ 」
        谷川俊太郎

あなたは学ぶ
空に学ぶ
空はすでに答えている
答えることで問いかけている

私は学ぶ
土に学ぶ
隠された種子の息吹
はだしで踏みしめるこの星の鼓動

あなたは学ぶ
木に学ぶ
人から学べぬものを
鳥たちけものたちとともに学ぶ

わたしは学ぶ
手で学ぶ
石をつかみ絹に触れ水に浸し火にかざし
愛する物の手を握りしめて

あなたは学ぶ
目で学ぶ
どんなに見開いても見えぬものが
閉じることで見えてくること

わたしは学ぶ
あなたから学ぶ
わたしとは違う秘められた傷の痛み
わたしと同じささやかな日々に楽しみ

わたしはたちは学ぶ
本からも学ぶ
知識と情報に溺れぬ知恵
言葉を超えようとする言葉の力を

そうしてわたしたちは学ぶ
見知らぬ人の涙から学ぶ
悲しみをわかちあうことの難しさ

わたしたちは学ぶ
見知らぬ人の微笑みから学ぶ
喜びをわかちあうことの喜びを

発行所 コールサック社


自分の心に悩みを抱えた少年少女
相手を暴力的に攻撃する、学校へ行くことを拒否
命を捨てたいと思い始めている…。
様々な悩み問題点を抱えながらも、
少年少女たちに生きる希望を届ける詩集を公募して完成した本のようです
どうか健やかに育って…共にこれから考えるきっかけになれたら嬉しい。

会員C

  

 

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テレビ小説「なつぞら」ヒロイン

2019-12-23 05:00:00 | 投稿

 

 

令和元年1221日付け北海道新聞夕刊「今年の顔」に、十勝を舞台にしたテレビ小説「なつぞら」のヒロイン広瀬 すずさん21歳)の記事が、以下のとおり載っていた。

 

『通算100作目のNHK連続テレビ小説「なつぞら」で、戦災孤児となった後、十勝の酪農家に育てられアニメーターになる主人公・奥原なつを好演。はつらつとした姿で十勝の魅力を全国に届けた。自身もすっかりこの地を気に入り、「ファンにもこの地を訪れ、魅力を共有してほしい」と目を輝かせる。

 

十勝のロケは、昨年6月から今年7月の4回、計34日間に及んだ。冬は陸別町で慣れないスキーを持ち前の運動能力でこなしたが、「氷点下何十度の日には風の冷たさでせりふが出てこなかった」と笑う。差し入れなどでチーズやジャガイモといった地元の農産物も満喫し「毎日が新鮮だった」。十勝の自然や食に、四季を通じて触れた。

 

昨年は20歳の誕生日を十勝で迎えた。搾乳指導を受けた牧場で姉の女優アリスさん(25)のサインを見つけるなど不思議な縁も。最後のロケは、「実家にもどった感覚で迎えた」といい、「最後ではなく、また帰って来られる気がします」と力を込めた。

 

作品終盤では母に。 「出産や子育ての葛藤など自分のこれからと重ねた部分も多い」。周りの支えられて演じきり、「感謝しかない」。映画などに引っ張りだこだが、心には十勝で挑んだ作品の記憶も鮮明に刻まれた。』

 

この記事を読んで、十勝人である自分は素直に喜んだ。なぜなら、北海道から大阪までの各所に住んで、また九州にも何度か足を運んだ経験から、この記事に書いている通りだと思うからである。

 

「十勝の活性化を考える会」会員

 

注) 十勝の概要

 北海道「十勝」地域とは、北海道の南東部に位置する広域行政区の総称です。

 総面積は、10,831.62 で、北海道全体の約13%の面積を占めており、都道府県別面積では、日本で7番目の大きさを誇る「岐阜県」と、ほぼ同じ大きさに相当し、1番小さな「香川県」や「大阪府」と比較すると約6倍の広さがあります。

 

 

 

 

 十勝地域は、帯広市を中心とする「1市・16町・2村」の、合わせて 19の自治体で構成されており、人口は約34万人の地域です。

 「十勝総合振興局」は、帯広市内に所在しています。

 (出典:十勝振興局ホームページより)

 

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「神童は大人になってどうなったのか」の本

2019-12-22 05:00:00 | 投稿

先日、小林哲夫著「神童は大人になってどうなったか」の本に、以下のような興味深いことが書かれていた。

 

<あとがき> 『本書で取り上げた神童については、わたしが出会った人物、あるいは、書物をとおして知り得た人物を中心に語ってきた。古今東西、もっとすごい神童がいるという意見もあろうが、神童を象徴する人物論として読んでほしい。

今日まで神童と言われる人たちと何人か付き合ってきた。

大学情報誌の編集という仕事柄、おもに学者であるが、ときおり同業者もいた。他社ライバル誌の同年代記者とともに学者から専門分野をレクチャーしてもらったことがある。わたしは必死にメモを取り、録音テープを起こして原稿にまとめた。あとになってライバル誌記者の記事を読んでかなわないと思った。自分の記事とくらべると非常に突っ込んだ内容で分かりやすい。そういえば、学者との質疑応答ですばらしい切れ味を見せてくれた。頭がよいと思った。この記者のように頑張ろうと誓った。20代のころである。わたしには頭のよさとは、励みであり、目標であった。

神童の頭のよさを見せつけられると、自分も頑張れるのではないかと、えらくヤル気になる。一方で頭のよさのレベルが違いすぎて、自分ではとうていおいつかないと諦めてしまう。つまり、自分の生き方を模索する中で分水嶺に差し掛かったとき、神童の存在はひとつの目安になるかなと思うこともあった。

そして、神童について言うならば、彼らが大人になっても神童として頭のよさを発揮してくれる。それが社会にとって幸福なことではないか、とわたしは考えている。

(後略)』

 

この本を読んで次のように思った。神童を続ける人や大人になってからは普通の人、大器晩成の人、ずっと凡人である人など様々であるが、尊敬する人が多くいる社会は良い社会だと思う。

 

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注) 神童

「神童」の基準

神童に明確な基準は存在しない。知能指数を検査してある一定の知能指数を上回ったときに「神童」と呼ぶこともできるが、あくまでひとつの目安である。それは創造力などは計測不可能なためである。

「神童」の例

学問分野では、サイバネティックスの創始者として有名なノーバート・ウィーナーが、幼い頃に奇偉な知能を発揮して、10代初めで既に大学で研究者として研究に従事していた例がある。また芸術の分野では音楽における神童として、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト10歳にならない段階で「神童」ともて囃されたことで有名である。他にウィリアム・ジェイムズ・サイディズなどが挙げられる。

日本でも学問的に秀でた人間をことのほか天賦の才として尊重する風潮があった。例えば菅原道真など。石川啄木南方熊楠槇村浩も神童と呼ばれた。

[神童も二十歳過ぎれば]

「十歳(とお)で神童、十五歳(じゅうご)で才子、二十歳(はたち)過ぎればただの人」あるいは「神童も大人になればただの人」と言われることがある。これは、下記のような原因があると考えられる。

  • もともと神童と称される者は、運動能力、学業成績などが同年代の者に比べて現時点で優れていることを意味し、持っている能力が特別に優れているとは限らない。
  • 要するに、能力が優れているというよりも、同年代の者よりも成熟が早いだけという場合がある。いわゆる単なる早熟の人間が、少年時代に神童と呼ばれる場合が多くあるため、このような言葉が出来たと考えられる。
  • 子供が示せば驚異的で奇偉な能力でも、大人では一般的で平庸な能力である場合が多い。例えば、34歳の子供が写実的な油絵を描けばそれこそ神童だが、その能力だけを持ったまま大人になっても誰も注目しなくなる。
  • 記憶力言語学習能力など、全般的に大人より子供の方が優れる能力がある。そのような能力で並外れた能力を示したとしても、大人になれば衰えてしまう。
  • 天才少年として幼少年時代を演奏旅行にあけくれたモーツァルトのように、神童と呼ばれる子供はその才能故に偏った生育歴を送ることがあり、その影響も考えられる。

(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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