十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

北海道 十勝の深掘り 森のトロッコ鉄道

2021-10-26 05:00:00 | 投稿

北海道 十勝の深掘り 森のトロッコ鉄道

全国の読者の皆様に、「北海道十勝ってどんなところ?」の疑問に深掘りしてお伝えしてまいります。


線路撤去済みの鉄道廃線跡に簡易的な線路とトロッコを再設置して利活用するアイデアが2000年2月に生まれ、試行錯誤の末に完成した手作り足漕ぎトロッコです。ぬかびら源泉郷では2003年初夏より常設の形で運行を開始しました。この軌道の特徴は線路・転車台・トロッコが鉄ではなく木製となっており、駆動装置は自転車をそのまま取り付けてあるので幼児から大人までどなたでも簡単に漕げる様に設計され、転車台も自分自身で操作する事が出来ます。乗り場には木製線路が500m敷設され、大雪山国立公園内の深い森の中を往復1km約20分の鉄道旅を楽しむ事が出来ます。

 弊舎は自転車使用による鉄道廃線跡探索ツアーの体験型観光ビジネスからスタートしました。 その後、多くの方々との出会いがあり、鉄道廃線跡利・活用遊具「エコレール」の設計・製造・レンタルへ業態転換し、 現在に至っております。小さな会社ですが、斬新な発想とアイデアで「もの作りの楽しさ」「鉄道システムの面白さ」を伝えながら、 大人や子供達に夢と感動を与え「まちの元気づくり」をお手伝いして行きたいと考えております。 十勝漫遊舎

 

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アイヌに関する一考察

2021-10-25 05:00:00 | 投稿

 

日本列島に人が住み始めたのは、約3万5千年前の旧石器時代以降と言われています。

日本列島には、最後の氷河期の最寒冷期にシベリアからマンモスハンターと呼ばれる人々が、また、氷河期末期の気候温暖化とともに東南アジア方面から黒潮の民と呼ばれる人々等が、日本列島に辿り着き、列島内で長い時間をかけて交流を重ねることで、やがて豊かで独自の狩猟採集の縄文文化を形成しました。

そうした縄文文化の担い手が、日本人の原型とも言える “縄文人”と呼ばれる人々です。

その後、約2千数百年前以降、大陸から水田稲作農法を携えた人々が、大陸の混乱等を背景に幾度となく九州を中心に渡来し、やがて列島各地に水田稲作農法の弥生文化を広めていきました。そうした弥生文化の担い手は、先住の縄文人に対して“渡来系弥生人”と呼ばれ、現代日本人の形成に大きな影響を与えました。

渡来系弥生人は、先住系縄文人と争うこともありましたが、多くの場合は平和的に縄文人と混血を繰り返しながら、東へ北へと列島内を拡散していきました。縄文人と弥生人の混血度合で言えば、遺伝子的には西日本では弥生系の度合が高く、東日本ではそれより低くなる傾向が見られます。

そうした中で、日本列島でも水田稲作に不向きな北海道と琉球列島には弥生文化がほとんど浸透せず、後々まで縄文系の文化の影響が色濃く残り、遺伝子的にも縄文人の遺伝子が、日本列島の他の地域に較べて色濃く残りました。

アイヌと呼ばれる人々は、そうした縄文人系の人々の遺伝子をより濃く引き継いだ人々の末裔です。つまり、アイヌと呼ばれている人々も、江戸時代に和人と呼ばれた狭義の日本人も、生物学的意味での人種は同じモンゴロイドで、アイヌも和人もルーツは同じであり、広義の日本人であることに変わらないと言うことです。

両者に差を見つけるとすれば、一つは、先住系縄文人と渡来系弥生人の混血度合の差であり、もう一つは、水田稲作をベースとした農耕文化と縄文系の狩猟採集文化の中で、どちらを選択したかという文化の差に過ぎないと言うことです。

つまり、縄文系の狩猟採集の生活・習慣・文化を最後まで守った人々が、アイヌと呼ばれる人々と言えます。私たちがこうした事実を正しく理解することが、アイヌと呼ばれる人々に対する差別解消の第一歩になるのではと思います。

東京都多摩市在住 「十勝の活性化を考える会」会員 

 


北海道 十勝の深掘り ばんえい十勝

2021-10-24 05:00:00 | 投稿

北海道 十勝の深掘り ばんえい十勝

全国の読者の皆様に、「北海道十勝ってどんなところ?」の疑問に深掘りしてお伝えしてまいります。


 

レースの歴史

「北見」の名を冠する伝統の古馬重賞


1979年に特別競走として創設され、翌1980年より重賞競走に格上げされました。
長らく北見競馬場の看板レースとして主に開催され、2007年以降は帯広単独開催に伴って帯広競馬場の秋の古馬重賞として定着しています。

旭川記念、岩見沢記念、北見記念、帯広記念は四市開催時代の名を残す伝統の記念競走として、古馬重賞の中でも格式の高いレースに位置づけられています。

過去の優勝馬にはタカラフジ、アサギリ、スーパーペガサスと獲得賞金額が1億円を超える歴史的名馬が名を連ねる他、「華麗なる一族」とも言われる良血牝馬ヨウテイクインなどがいます。
特にアサギリは「北見の鬼」と呼ばれるほどに北見競馬場でのレースに強く、北見記念も91・92年の連覇を含む同競走3勝をあげている他、11年から13年までギンガリュウセイが3連覇をしています。
また、藤本匠騎手が北見記念を最多の7勝しており、その騎乗にも注目です。

 

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日本人の「完成」は古墳時代だった

2021-10-23 05:00:00 | 投稿

 【yahooニュース、2021年9月18日付け朝日新聞デジタルを掲載】

金沢市で見つかった約1500年前の古墳時代の人骨のDNA解析から、縄文人や弥生人にはなく、現代日本人に見られる東アジア人特有の遺伝的な特徴が見つかった。日本人のルーツは、土着の縄文人と大陸から渡来した弥生人の混血説が有力だが、さらに大陸からの渡来が進んだ古墳時代になって古墳人が登場したことで、現代につながる祖先集団が初めて誕生したことを示唆している。 金沢大や鳥取大などの国際研究チームが18日、米科学誌サイエンス・アドバンシズに発表する。  

日本人の起源は、列島に住み着いていた縄文人に、大陸からの渡来集団が混血して弥生人となり、現代の日本人につながったとする「二重構造モデル」が定説とされてきた。1991年に東大名誉教授だった埴原和郎氏が唱えた。

 研究チームは、約9千年前の縄文人や約1500年前の古墳人など計12体のDNAを解読。すでに解読済みの弥生人2体のデータなどと比較した。親から子に遺伝情報が受け継がれる際に生じるわずかな違いの痕跡から、どの集団が遺伝的に近いのかを調べた。  

その結果、弥生人は、中国東北部の遼河流域など北東アジアで多く見られる遺伝的な特徴を持ち、縄文人と混血していることも確認できた。一方、古墳人は、弥生人が持っていない東アジア人に多く見られる特徴を持っていた。さらに、現代日本人と遺伝的な特徴がほぼ一致することも判明した。た? 

 大陸からの移住、新技術持って次々に?  

大陸からの渡来人の大規模な移住は、約3千年前の弥生時代にさかのぼる。研究チームは、それ以降も漢民族などの集団が次々に渡来し、織物や土木などの新技術を伝えて古墳時代を築き、現代の日本人につながっていったとみている。  

古墳時代は3世紀後半~7世紀にかけて続き、弥生時代末ごろには邪馬台国が栄えたとされる。  今回分析できた古墳人の骨は、金沢市で発掘された3体にとどまる。新説を裏付けるには、さらに分析数を増やす必要があるという。

  研究チームの金沢大古代文明・文化資源学研究センターの覚張(がくはり)隆史助教(考古科学)は「日本人が縄文、弥生、古墳の三つの祖先集団からなることを示す初めての証拠だ。今後、ほかの古墳人や弥生人のゲノムを広く調べることで、日本人の起源の謎に迫っていきたい」と話している。

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北海道 十勝の深掘り 帯広畜産大学 馬術部

2021-10-22 05:00:00 | 投稿

北海道 十勝の深掘り

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帯広畜産大学 馬術部 創部80周年!

部長挨拶

本学関係者の皆様、OB・OGの諸先輩方に置かれましては、日頃より畜大馬術部の活動にご理解をいただいておりますこと、心より御礼申し上げます。私のような部外者が、4月より創部73年という歴史ある畜大馬術部の部長を仰せつかることは、OB諸先輩方に大変申し訳ない限りですが、これまで柏村教授が築き上げられた馬術部の伝統に水を差さないように、それ以下にならないように留意することだけに集中して精進したいと思います。

柏狼 アルフレード

柏陽 チェリーラブ

柏奏 ビオラ

帯広畜産大学(おびひろちくさんだいがく、英語Obihiro University of Agriculture and Veterinary Medicine)は、北海道帯広市稲田町西2線11番地に本部を置く日本国立大学である。1949年に設置された。大学の略称帯畜(おびちく)、地元では畜大

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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