NPO法人がんばる福島 公式ツイッター @GBR_fukushima
松村直登のブログ 「警戒区域に生きる松村直登の闘い」
【楽天市場】がんばる福島のご支援いただきたいリスト
↑クリックで詳細がでてきます。
配送先は
〒979-0401福島県双葉郡広野町大字上北迫字岩沢29-38
ヤマト運輸 広野センター止め NPO法人 がんばる福島 までお願いします。
発送は「ヤマト運輸」のみ対応、他社の運送会社からは送ることができません。
皆様、ご支援をよろしくお願いいたします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/7d/72efff493a53766ffe5b9b81892b390f.jpg)
No457
ドキュメンタリー『飯舘村 ─放射能と帰村─』予告編:土井敏邦 を見た。
離散した家族は元に戻るのか?
除染の実態はゼネコンの金儲け。
現実に実証された高い汚染データ。
村は元に戻らないとある先生。
幼い子供を持つお母さんの不安と涙。
等々、色々。
住民の生の声を聞いて本編を必ず見たいと思った。
予告編の最後に出て来た住民の方の「もっと大事なところが汚染されてませんか?心の汚染。これは絶対に消えないですよ。」と、同じ被災者のこの言葉にじ~んと来た。・・・・
詩人の言葉でもないのに、僕には深い言葉だった。
僕は昨日、この予告編を見て、すぐに富岡へ向かった。
松ちゃんに電話をしたら予定があり会えないと分かったが、何故か無性に富岡の行く気になった。
改めて今の富岡町の姿を見ておきたいと思ったから。。。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/60/6d3ad9ea7f079ce3eb956e6ff1e10d9d.jpg)
隣の楢葉町は、日々この放射能汚染物の黒い塊が増えていて、見慣れてしまったのか?自分の感覚を狂わせていく。
故郷富岡町も同じ風景になるだろう。
見ておくには今しかないと切羽詰まった感があった。
昨日は除染作業をする人たちの姿が見られ、いつもの土曜日と違う一日だった。
しかも台風が低気圧に変わったので、福島も本当に暑かったです。
じっとしているだけで汗がしたたり落ちた。
富岡に着いたのが10時45分。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/c8/b6c1703e38ce1247b4bbd1c39e04950e.jpg)
このトラックも彼の軽トラックも無かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/72/dae483b5d6ba468547a7b73af6d1f402.jpg)
第一の柵に降りて、その日の彼の作業を見た。
こうして手作業で餌を均等に分けて与えていた。
三つ目の柵は足場も悪いし、手作業で分け与えるのは重労働だったろう。
午前中に郡山に向かうと言っていた松ちゃんが、汗びっしょりになって12時30分頃家に戻って来た。
牛の餌やりに手こずったのか?作業が長引いた事は間違いない。
彼の「よっぽど川に入ろうかと思った。」の一言に、震災直後の松ちゃんを思い出した。
シャツからズボンまで汗が染みて、餌やりの時に汚れた作業着が物語っていた。
この日の暑さを。。。。
買って持って行った昼飯にも「食べる気が起きない」と、手を付けず彼は急いで郡山へ。
この日に帰還困難区域の通行証を手にしなければ、9月1日からの餌やりが出来ない。
だからこの日僕は、松ちゃんと3分くらいしか話せなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/aa/54f34ad1096fa103252560d198884261.jpg)
母牛に食べ方を教わる子牛。
本当に過酷な仕事だと僕は思った。
もうすぐ、過ごしやすい秋が来るが、今度は餌の確保などの重大な仕事が待ち構えている。
みなさん、これからも松村直登のご支援、宜しくお願いいたします。
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No457
ドキュメンタリー『飯舘村 ─放射能と帰村─』予告編:土井敏邦 を見た。
離散した家族は元に戻るのか?
除染の実態はゼネコンの金儲け。
現実に実証された高い汚染データ。
村は元に戻らないとある先生。
幼い子供を持つお母さんの不安と涙。
等々、色々。
住民の生の声を聞いて本編を必ず見たいと思った。
予告編の最後に出て来た住民の方の「もっと大事なところが汚染されてませんか?心の汚染。これは絶対に消えないですよ。」と、同じ被災者のこの言葉にじ~んと来た。・・・・
詩人の言葉でもないのに、僕には深い言葉だった。
僕は昨日、この予告編を見て、すぐに富岡へ向かった。
松ちゃんに電話をしたら予定があり会えないと分かったが、何故か無性に富岡の行く気になった。
改めて今の富岡町の姿を見ておきたいと思ったから。。。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/60/6d3ad9ea7f079ce3eb956e6ff1e10d9d.jpg)
隣の楢葉町は、日々この放射能汚染物の黒い塊が増えていて、見慣れてしまったのか?自分の感覚を狂わせていく。
故郷富岡町も同じ風景になるだろう。
見ておくには今しかないと切羽詰まった感があった。
昨日は除染作業をする人たちの姿が見られ、いつもの土曜日と違う一日だった。
しかも台風が低気圧に変わったので、福島も本当に暑かったです。
じっとしているだけで汗がしたたり落ちた。
富岡に着いたのが10時45分。
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このトラックも彼の軽トラックも無かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/72/dae483b5d6ba468547a7b73af6d1f402.jpg)
第一の柵に降りて、その日の彼の作業を見た。
こうして手作業で餌を均等に分けて与えていた。
三つ目の柵は足場も悪いし、手作業で分け与えるのは重労働だったろう。
午前中に郡山に向かうと言っていた松ちゃんが、汗びっしょりになって12時30分頃家に戻って来た。
牛の餌やりに手こずったのか?作業が長引いた事は間違いない。
彼の「よっぽど川に入ろうかと思った。」の一言に、震災直後の松ちゃんを思い出した。
シャツからズボンまで汗が染みて、餌やりの時に汚れた作業着が物語っていた。
この日の暑さを。。。。
買って持って行った昼飯にも「食べる気が起きない」と、手を付けず彼は急いで郡山へ。
この日に帰還困難区域の通行証を手にしなければ、9月1日からの餌やりが出来ない。
だからこの日僕は、松ちゃんと3分くらいしか話せなかった。
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母牛に食べ方を教わる子牛。
本当に過酷な仕事だと僕は思った。
もうすぐ、過ごしやすい秋が来るが、今度は餌の確保などの重大な仕事が待ち構えている。
みなさん、これからも松村直登のご支援、宜しくお願いいたします。