ときぶーの時間

募金の受付先 東邦銀行 安積支店 普通0644994 名義がんばる福島
みなさんご支援宜しくお願いいたします。

アキの子供。

2012-03-15 08:25:50 | 日記
NO-100
小さな目標達成!やっと100話目に突入しました。これからも強制避難区域の富岡町や動物たちのことなど書いていきたいと思います。

 がんばる福島のマスコット。アキの子供

強制避難区域の松村は、只今、牛の柵を作るのに懸命に働いている。このまま天気が良い日が続くといいなあと思いながら書いてます。

昨日は午後1時半頃に電話をくれて「税金どうした?申告終わったのか?やらない訳にいかねえべ?」と僕に聞いて来た。その申告の期限が今日だから、彼は役場の税務課に行ってから富岡に戻る予定だ。

3月11日前まで取材そのものに追われていたから今は少し落ち着き、何やら一変した感じがする。電気も水も寸断された町で一年間過ごして来た彼には、この一か月間は凄く忙しかったと思う。

夜はろうそくを灯し缶詰めで食を摂り、情報収集はラジオとケータイのみ。話し相手は犬やネコに牛やイノブタたちだけだから、あれだけの取材に追い回されて、充分に喋った彼には本当にお疲れ様と言いたい。

 いたずら大好きの子犬たち。

上の写真の子犬たちは、勝手に家に入って来ては彼が愛用している靴とか長靴をおもちゃにして遊ぶので、松村が出かける時にいつも彼の靴が見当たらなくて困っているらしい。

靴ひもは子犬たちが噛んで遊ぶためボロボロになっているらしく、集めておいたゴミまで噛んでは引きずり出すから、掃除が大変でもう諦めたと言っていた。(笑い)

ペットボトルの空容器でも何でも彼らにとっては遊び道具らしくて、「これには参ったよ」と笑いながら話した。それでも強制避難区域でたった一人で生きる松村を癒してくれる子犬たちである。

 松村の指を噛んだり舐めたりする子犬。

去年の今頃は、僕も避難所になった体育館で毛布にくるまって生活していた。配給のおにぎりをもらい、惨めな気持でいたなぁ~。もう思い出したくもないし、あのような体験は二度とごめんだ!

松村が昨日、変な事を言っていた。放し飼いにされた牛の数が見ないうちに減っているような気がするというのだ。

まさか人知れず殺処分されているのか?富岡町は殺処分をしていない唯一の町。富岡町でそんなことはないと思う。

それでもこれだけは言っておく。殺処分はやめてくれ!と。全国のみなさん、これからも富岡町に残された動物たちの保護にどうか力を貸して下さい!本当に宜しくお願いいたします。











コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボスが脱走?

2012-03-14 08:14:02 | 日記
NO-99
昨日、松村直登から昼の1時半頃に電話が入った。その時に彼は、隣町の大熊町のダチョウ園にいた。

インターネットでも流れたダチョウの捕獲シーン。あの時に捕獲されたダチョウたちは、元の棲家である大熊町のダチョウ園に入れられた。

今まで彼は、ダチョウがちゃんと餌を食べているか?水を飲んでいるだろうか?と心配して時々見に行っているのだが、柵の中にいたはずのあのボスダチョウがいないのだ。

 松村から餌をもらう駅前のボスダチョウ。去年の11月アントニオ氏撮影。

今まで6羽いたのが昨日見た時に、5羽しかいないのに気付いて僕に電話をくれたのだが、餌も水もたっぷりとあり、間違いなく死んでいないと彼は確信していたが、それなら何処に行ったのだろうか?

僕はその場所で死んでいないのなら、ボスダチョウが柵から脱走して松村と勝負をするために出て行ったのではないか?と思った。(NO-47/48/49話)

それを彼に言ったら「いつでも受けてやるぜ!」と松村が返し、二人で笑ってしまった。今年のお正月の富岡駅前でのバトルは、読者のみなさんもお分かりだと思うが、本当に脱走したのならいいのだが少し心配だ。

 彼の家に居ついてしまい松村に保護されているメスのダチョウ。

昨日、驚いたのは彼が持っている線量計が、ダチョウ園のある大熊町のその場所の空間線量が高い数値を示したことだ。

空間線量で9マイクロシーベルトだから、年間の線量が80ミリシーベルトで国の基準20ミリシーベルトをはるかに超える高い汚染度を示した。

空間線量でこんなに高いなら、地上の線量はとんでもなく高いことになる。僕は松村に、「癌になるからいつまでもいないでそこを離れてくれ!」と言った。

松村も「うん、危ねえから避難するよ。この泥はすげえ数値なんだべなぁ~」と靴に着いた泥を取り払い、トラックに乗り「今から、買ってきた牛の餌を牛に与えに行く」と言って電話を切った。

ダチョウたちも富岡にいた頃は、放射能汚染が低い場所にいられたのに、大熊のような高い場所に保護されて気の毒に思った僕がいた。

 雑誌フライデーから、ボスダチョウに餌をあげる松村直登。アントニオ氏撮影。

彼らは完全に被曝してしまうだろう。もっと線量の低いところで保護すればいいのになぁとつくづく思う。・・・・それでも、あのボスダチョウが松村の前に立ち、勝負を挑んで来たならボスにOK牧場!って言ってあげる。かなり古いか(笑い)





コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里子が決定!

2012-03-13 08:20:32 | 日記
NO-98
今年になって、強制避難区域の富岡町で生まれた可愛い6匹の子犬がいるのだが、この子たちの引き取り先が決まったと僕に話してくれた。

 あと10日もすれば乳離れするから安全で安心な場所へ

彼の親友のアキも子供を産んで、子供が5匹いるがとても可愛い。カイ犬という犬種らしいが、僕も普通に富岡町の自宅で生活出来たなら、アキの子供を一匹譲ってもらって大事に育てたいと思った。

 きょとんとした顔が何ともかわいい。

この子らは、今年の冬は特に寒かったから雪が降り、雪が積もって寒くないのか?5匹とも喜んで走り回っていたと彼から聞いたが、子犬は元気である。

 子犬たちのお昼寝の時間

それでも富岡町の中では囲われた牛たちが餓死させられたり、研究の名のもとに変な水を飲まされたりして苦しみながら死んでいる。

昨日も僕のところへある団体の方から電話が入り、「牛の事、何とかならないか?どうにか出来ないか?もし、何とかなるなら一緒に国の機関へ行こうか?」と、応援の電話が入った。それが、嬉しかった。

 3月4日に動物たちの供養をしてくれた二本松市の善弘寺での供養祭前の写真

3月に入ってめまぐるしい活動の中、強制避難区域富岡町の松村には応援してくれる人も増えてきて、少しづつだけどその活動も前に進んでいる。

 数百本のパイプを運んでくれたエム牧場の吉沢さんと。

吉沢さんが運ぶのを手伝ってくれておかげで柵作りに入れたし、皆さんからの募金で柵用パイプと餌を買えたのと、本当に少しづつ前に進んでいる事を感謝します。

 囲われた牛にわらを与える松村直登。

しかし最初の一歩です。残された牛を助けるには全然資金的に足りないのが現状です。みなさん、強制避難区域の富岡町で、動物の命を守る松村直登をこれからも応援して下さい。

















コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みなさんにとって。

2012-03-12 08:08:36 | 日記
NO-97
みなさんにとっての3.11ってどんな一日でしたでしょうか?福島の各地を回ってきましたが「あれから、一年。」のタイトルで、どこもかしこも慰霊祭だのなんだのと色々なイベントが開催されていました。

各地の仮設住宅へ

各地でボランティアの人たちがテントを張り、炊き出しで参加したり有名な歌手が歌を歌いに来てくれて、それなりに盛り上がっていたようにも思えるのですが、僕にとっての3.11は一日ずれた3.12の今日が本当の意味でのメモリアルになっている。



あの原発事故さえ無ければ、家も仕事も将来の夢や希望も失わずにすんだのに・・・・原発事故が憎い!これは、この体験をしたものでなくちゃ分からない苦しみだと思います。

いわきと三春と郡山の仮設住宅へ、被災者の現状を知ってもらいたくて香港のメディアの人と一緒に回っていたら、顔見知りの元顧客の奥様に会って、「うちの主人、去年の11月に亡くなったの・・・・・」と、言葉がなかった。

仕事を失い身体も思考もその動きを遮断され、途方にくれたのか?すべての事に絶望したのか?先の見えない補償に失望したのか?仮設住宅に入ってから急にふさぎこみ、病気を発症してお亡くなりになったと聞いた。

会社に行き同僚とともに懸命に働き、仕事が終われば家に帰って家族との団らんが待っている普通の暮らし。ごく平凡でありながらも小さな幸せで満足していたのに、それを奪っていった原発事故。

家に帰りたいのに帰れない。いつ戻れるのかも分からない。この不安をいつまで持ちながら生きなければならないのか?

涙を浮かべる奥様をとても見ていられずその場をすぐ後にしたが、その住宅の2件先の方も同じくご主人を亡くされた人に会い、とてもショックを受けた。

いわきでも郡山でも、仮設暮らしをして病気を発症している人が多いと住人の人から聞いてはいたが、何人もお亡くなりになった人がいると聞いて本当に、この事故が恨めしいと思った・・・・

松村は、「あんなところにいたら、誰でも病気にならあ!」と僕に言ったが、あの仮設住宅の中にみんなこもっていて、寒さもあって出てこないからコミュニティーなんて作れるものじゃないと思った。

 開成山野球場で

昨日、福島県民の原発反対デモが郡山で野球場で開催されたが、大きな規模の集会だった。開成山球場の内・外野席に2回スタンドまでびっしりの人数に、これを東京でやってくれたらいいのにと強く思った。

 たくさんの人が集まった。

この会場で、歌手の加藤登紀子さんがステージに立って歌っている時に強制避難区域の富岡町の松村から電話が入った。金曜日にインチキ水を飲まされて瀕死の状態でいた牛が死んだと・・・

二日続きの雨のせいで、彼らの歩いた元だった田んぼの中は泥だらけになり、沼のようになった田んぼに体の半分以上が沈んでいて探せなかったほどだと言った。

予想はしていたが、このことも失意の一つかも知れない。自分の無力感を感じた。松村と一昨日会った時には、まだ生きていたのに・・・・原発事故さえなければ、人間にも動物たちにもこんな不幸は訪れなかったはずだ!

また、苦しい避難生活の2年目がスタートする。家に帰れるのか?帰れないのか?補償も何も先の見えない不安の中で暮らす日々を、また今日から始めなければならない。








コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いい加減にしろよ!

2012-03-09 07:36:11 | 日記
NO-96
昨日、強制避難区域の富岡町役場が許可を出したある研究機関の業者が飲ませた水で、囲われた柵の中でまた一頭の牛が瀕死の状態でいると松村から連絡が入った。

松村がその業者に「おめえら、何飲ませてんだ!」と、業者に文句を言ったら「何言ってんだ!俺たちがいなければ、この牛らはとっくに殺処分だ!」と言い返してきたらしい。

松村も頭にきて「おめえら、ブログに書くぞ!。お前らの会社の実名を出すぞ!」と言ったら「勝手に書けよ!」と言い返し、横浜にいる僕に彼から怒りの電話が入った。

 こいつらは牛を殺しておいて10日間くらい放置したまま平気な顔していた奴らだ!

今回だけは僕も我慢してやる。前回にも書いたからこれで2度目の我慢だ。3度目は許さねえ!僕にも限界はあるし、徹底的に排除してやる!

彼があの原発事故から、「自分が被曝しても構わねえから、残された犬や猫など町に残された動物を助けたい!」と行動してきた男の一年後の町の状況がこれである。牛や豚は商業動物だから、手を出せないってこんな話があるだろうか?

彼は自分で言う通り内部被ばくをしていて、実際に残された犬や猫をたった一人で助けてきた。これは誰もが出来ることじゃない。そして今、牛を殺処分から助けようともがいている。

僕のところに、外国で暮らす日本人の方から「日本は最低最悪の国になりさがった」とメールが来た。「これが母国日本の姿か?」と・・・・彼女は、「先進国のすることじゃない」とも・・・。

 頭にくる!我慢も限界に近い!前回は牛の顔をブルーシートで覆って何日も放置していた。

囲って餓死させるか?インチキ水で牛を殺すか?こんな業者を許可した町は責任を取らされると思う。そう、世間の人に避難ごうごうと責められる日々が必ず来るだろう。

ある博士も「あんなのインチキで、あの水を作るなら30万円出せば機械は簡単に作れますよ!」と言っていたから、本当にがっかりだ。もう一人の博士も「あんなの嘘だよ!」と言ったと松村から聞いた。

全国のみなさん、この実態を知って下さい!こんなインチキ研究で牛が殺されているこの現実を知って下さい。「癌まで治る」とセールスしたらしいが博士曰く、「そんなのあったら世界の大発明でしょ!」に僕も納得した。

全国のみなさん、被災地の残された動物の命を守ることに、どうか協力して下さい!今、みなさんの協力とご支援が本当に必要なのです。

まず初めに、このインチキ業者を排除したいのです。時には牛を餓死させ、変な水を飲ませて牛を殺しているこの会社を排除したい!全国のみなさん、力を貸して下さい。宜しくお願いいたします。

僕は明日、福島に帰りますので12日か13日のブログでお会いしましょう。本日発売のフライデーに松村直登が掲載されてますので、よかったら読んで下さい。










コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

炭炬燵の前で。

2012-03-08 08:22:02 | 日記
NO-95
6日の夜の11時50分頃に強制避難区域の松村から電話をもらい、寝ていた僕はその電話で起こされ今度は朝の4時半まで寝られずにいて、昨日の7日は寝不足を感じて1日を過ごした。

 イタリア人アントニオ氏の写真でフライデーに掲載された松村直登。

昨日の1日で変わった事と言えば、この頃連絡が取れない松村と2回だけ連絡が取れた。6日の夜、電話をくれた12時過ぎにクゥーン、クゥーンとまとわりついていた子犬と彼は、炭炬燵の前で寝てしまったらしい。

朝、何やら自分の耳がなんか痛いような、チクチクするような違和感を感じて起きたと言った。笑っちゃったけど、勝手に家の中に入って来た生まれて3週間の子犬が、彼の耳を舐めたり噛んだりしていたのだ。

それで起こされたと、犬好きな僕もその光景を想像してほのぼのしたよ。少しくらいこんなのがあってもいいよなぁ~。松村も僕も今になって、ちょっとだけ休みたいと思う時がある。

 このアキの子供が松村の耳を噛んだり舐めたり。子犬の写真、今週末もらってくるつもり。

彼は今日、被災家畜を守る会を立ち上げた二本松市の山本志流さんと、愛護団体の人たちが牛の事にとても理解のある人だと言う渡辺ひろみちさんが、彼を訪ねてくるとのことで富岡町で、朝8時から待機している。

彼も数々の取材を受けて、日常の業務をこなさねばならないので超多忙状態なのだが、人の事言ってられない自分がいた。何気に昨日、自分の腕時計を覗き込んだら時計のカレンダーが3月5日になっていた。

クォーツであるがカレンダーは手動で合わせるタイプの時計で、1ヶ月31日分のカレンダーが内臓してあるから2月は29日なので、2日ずれていた。

一週間経った昨日、時計のカレンダーに気がついた自分に、何やってるんだろうと思った。近年、こんなことなかったな~。今週は僕も、土曜と日曜に福島に帰る。

3月11日の慰霊祭に行くためで、あの震災から一年の日を福島の各地でその祭事が行われる。僕は1か月前約束をした香港の取材の人を連れての帰省になります。

一か月前にこんなに忙しくなるとは全く思わなかったのがそもそもの原因で、これは強制避難区域の松村も一緒かも知れない。だから、二人とも勘が鈍くなっているのだと思うので、この辺で修正していかなくちゃ・・・








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冷たい雨の中で。

2012-03-07 07:58:36 | 日記
NO-94

昨日、強制避難区域の松村に3度連絡をとったが、彼から電話がきたのは夜の11時50分頃だった。僕はもう寝ていたのでその電話で起こされた。

昨日の横浜は雨も上がり、温かく時折晴れ間がさす良い天気だったが、福島の浜通りは雨が降っていてずぶぬれになり、牛用柵のパイプの受け取りから搬入まで無事に終えたと彼は話した。

横浜の温かい所の雨と違って、まだ寒い福島の雨にずぶぬれになったのだから、とても身体が冷えたと思うのだが松村とずぶぬれになりながら搬入のお手伝いをして下さいましたエム牧場の吉沢さんに感謝します。

富岡町の殺処分されようとしている牛と松村のために力を貸して頂きまして本当にありがとうございました。僕からもお礼申し上げます。

 町を歩く放たれた牛。

これから先も是非、お力をお貸し頂きたいと思います。こうして、強制避難区域の動物を助けようとあちこちの団体様やボランティアの皆様から、個人の方や組織の皆様に支援して頂くことを嬉しく思っています。

みんなの協力で一つづつ前に進んでいる状況を素直に喜びたい。これから彼は毎日、一人で柵を作らなければならないのだが、僕も許可証がもらえれば避難区域の中に入って柵作りを手伝いたい。

 東電本店前で撮った松村直登。

彼にこれから大変だな?って言ったら、「柵は一人で出来るから大丈夫。心配ねえよ」と軽くあしらわれた。彼は僕と違って職人だからいい仕事をするだろう。その点は安心している。

昨日の彼の電話から「クゥーン、クゥーン」と犬の鳴き声がしたので、僕がアキが騒いでいるのか?と聞いたら「子犬が一匹勝手に入ってきて、俺のそばにいるんだ。今が可愛いさかりだ」と話した。

アキの産んだ5匹の子犬の一匹なのだが、僕も避難していなければその中の一匹をもらって飼いたいと思った。今、生まれて3週間くらいで本当に可愛いだろうな~。写真をお見せできなくてみなさんごめんなさい。

今度、一時立ち入りの手続きをして富岡に帰った時に、彼の家に行って子犬を抱かせてもらおうと思っている。だから早く申請しなくちゃと思っている。














コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土の中のミミズ。

2012-03-06 09:02:16 | 日記
NO-93
強制避難区域の松村直登は、昼の時間はほとんど連絡がつかなくなった。こちらから電話を入れても電話に出られない状況なのだと思う。もちろん雨が降っても嵐が来ても餌やりを休まず、とにかく忙しく働いている。

彼を、国内外のメディアの人たちが追いかけているのは間違いないのだが、あまりにその取材の依頼件数が多くて僕のところに連絡が来ても、すぐに返事が出来ない事をまずはお詫びしたい。

フランスの雑誌に掲載された松村直登。

一昨日も、二本松の善弘時の山本志流さんの「被災家畜を守る会」の写真展会場へ出向いたら、外国人ジャーナリストが待ち構えていて「約束していないのに取材された」と彼は言っていた。

 この放たれた牛たちを保護しようとみんなが集まってくれた。

今日は、牛の柵用のパイプが届けられる日で雨でも何でも、先週の雪の影響で遅れた分を少しでも挽回しないといけないと、彼は言っていた。

 外国の新聞の一面を飾った松村直登。

松村に手を差し伸べてくれたエム牧場の吉澤さんも、3月11日まで取材がたくさん入っていると松村に話してくれたそうだ。あれから、もうすぐ一年になるのだが、わが町富岡は震災時のままの状態で何も変わっていない。

瓦礫がかたづけられただけで、車での移動が出来るようになっただけなのである。人の住んでいない町の強制避難区域制限を国は3つに分けて解除する方向らしいが、解除したところで居住出来ない町に誰が戻るというのだろうか?

昨日、会津に避難している友人から電話が入り、全村民帰還宣言を出した川内村で土の中のミミズの放射能汚染度を計測したら、2万ベクレルもの高い数値が出てこのミミズを飛来してきているハクチョウが餌として食べていると・・・・・

白鳥が被曝してしまっているのではないか?と僕に言ってきたが、科学者でもない僕はその答えを出せずに困ったけれど、カエルや蟻やすべての昆虫・野鳥などが全部汚染されてしまうのだろう。

全ての生態系に放射能の恐怖が忍び寄っていて、とても帰れるものじゃない!国はその恐ろしさを体感させられる住民がいるのに、人の苦しみを理解できないのだろうか?

原発被災者の事などどうでもいいと思っているのか?被災者の賠償も進まず約16万人に及ぶ多くの住民が苦しんでいるというのに、消費税の話をする前に、東北3県の被災者を救うのが先だと僕は叫びたい!











コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地の揺れ、未だ収まらず

2012-03-05 08:06:50 | 日記
NO-92
昨日、強制避難区域の松村直登は二本松市の善弘時に行って、住職山本志流さんや家畜を殺処分から守ろうとしている人たちと会っていた。僕も行きたかったが、今回僕は断念した。

彼にとってはいい出逢いだと思う。放し飼いになっている牛を助けようと立ち上がった団体、個人、または組織の集まりで、今の問題解決に対して協力しあい、それを実行するにあたっての話し合いをしたわけだから実りあるものにして欲しい。

 この牛たちを守る会が立ち上がった。

僕はいわきの仮設住宅に避難した師匠から、いわき健康を守る会の井浦満男さんの災害記録「地の揺れ、未だ収まらず」を届けられ、一日中読み返していてあっという間に時間が過ぎていた。

数十年前から東電の福島第一と第二原子力発電所での設計ミス、施工ミス、加わえて操作の未熟などを訴えて東電社長や総理大臣に、県知事と原発立地町村長をたった一人で訴え、戦ってきた人物である。

いわき健康を守る会という名称からも分かるように、放射能汚染の恐ろしさに人間の健康や自然破壊に対する警告を発していて、チェルノブイリの事故後に産まれた子どもの写真が掲載されていた。

 ただ死を待つだけの子供たちと書かれていました。

 あごの下に両耳がつき目は一つ目の子供の写真(奇形児)と、この上の写真は顔全体がただれた顔のお母さんの写真。

原発被災者の僕は、井浦さんの存在を原発事故の一年後に知った。原発の立地町村の富岡町に家を建てた僕には、強烈な一冊だった。僕ら住民が政治に無関心なのがいけないとお叱りの言葉も書かれていた。

そして国の役人や嘘をつきまくってきた東電を本当に哀れに思う井浦さんに、共感するのも当たり前の内容だった。

原子力発電所においての施工ミスを絶対認めなかった東電。その問題をマスコミには何の問題の無かったことにして偽りの報道をしたと書いてある。それを井浦さんは追及したが調査もしてないのに、調査をしたと言い切ったと書かれていた。

去年のあの事故で東京電力の驕りを証明し、今、地の果てに落ちた隠ぺい体質のとんでもない会社だった事を白日の元に晒す事になり、起こすべきして起こった事故だったと井浦さんは書いている。また、マスコミにも大きな責任があるとも書かれていて納得した。

利益追求の独占企業東電に群がる政治家たちの驕りと欲望。国(官僚)と東電の癒着による隠そう主義が成り立ち、馴れ合いと怠慢が常習化していると。

地元でも、あの原発で働く人たちが被曝して癌になって何百人も死んで行った人がいると囁かれていたが、この本を読んで、東電がどれだけの事を隠してきたか?またどれだけの事を握りつぶしてきたかが分かる。

この災害記録本は、同じ被災者の師匠から譲り受けたものであるが、これをいわきの被災者みんながいわき市からか?贈呈されていたのだ。

井浦さんは僕が、是非ともお会いしたい人の一人になった。今日はいわき市の井浦満男さんの本で、災害記録 地の揺れ、未だ収まらずを紹介させていただきました。井浦様には、断りもせずに勝手に紹介させていただくご無礼をお許し頂きたいと思います。








コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

殺処分反対!

2012-03-03 08:12:37 | 日記
NO-91
昨日、松村は憤慨して僕に電話をくれた。今度は何のことかと思ったら、富岡町で囲っている柵の中にいる牛80頭に、また餌や水を与えていないから彼は怒って電話をくれたのだ。

 去年6月牛に餌をやる松村直登。

松村が2月26日に農水省に電話をしたら、「そんなことはありません。ちゃんと餌を与えています」と言い張ったお役人さん、現場に行って自分の目で見てきて下さい。

  震災後の5月、牛舎の中は死骸だらけであった。

僕は80頭に増えていたことに驚いた。今までは40頭くらいだったと聞いていたのに、こうやって牛をどんどん囲い餓死させていくのか?殺処分よりきたない殺し方だ。

彼は全国のみなさんに募金して頂いて家にストックしていたトウモロコシや麦をたくさん積んで餌をあげに行って「今、終わった。」と電話をくれたのが夜に入る7時だった。

 去年の6月。むごすぎる死骸。言葉がなかった。

今まで、放たれてから自分の力で餌を求めて生きぬいた牛を囲って餓死させる。こんなやり方は動物虐待の何物でもない!富岡町の産業振興課の人たちに言いたい。

今すぐ止めてくれ!松村が提案したJAXAと日本原子力機構で牛を使っての放射能減容の研究が確立するまでもう少しだけ待ってくれ!牛が全頭殺されてしまってはこの研究もみんな無駄になってしまう。

 機械設置を確認する山下博士と長谷川博士。

 攪拌装置が作動する前に立つ松村直登。

再度実験をして有効性が認められれば実用化への見積もりや積算まで進む段階に入っている。だから、もう少しだけ殺処分を待ってくれ!今のやり方は納得できない。去年の3月12日の原発事故で牛舎で餌をもらえずに死んで行った牛と同じ殺し方はやめてくれ。

肉牛としては価値の無くなった牛だけど、生かす価値はまだあるのです。この減容システムが実用化するまで何としても生かしたい。全国のみなさん、一緒に牛の殺処分に反対してください。ご協力をお願いいたします。

明日はブログお休みいたします。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何かが吹っ切れた。

2012-03-02 08:02:10 | 日記
NO-90
昨日、強制避難区域の松村直登は道路の雪解けを待って、動物たちに餌やりを始めた。前日に雪でひどい目に遭った彼だが今週末に、富岡町から出て二本松へ行く予定がある。今回の雪で色々と動きを阻まれたのに、今日も予報では午後から二本松は雪模様である。

ある人の紹介なのだが、被災地域の動物に理解のある方だから是非あってくれということだったが、何でも死んで行った動物たちのために、お経を唱えてくれる住職さんと聞いて僕もそれはありがたいと思った。

みんなも知っている通り、去年の3月12日の原発事故で放射能汚染により強制避難区域になって、僕たちの町でもたくさんの犬や猫などと鳥に牛が死んで行きました。

 餓死して死んで行った牛の姿です。お腹が膨らんでいるのは中で腐ってガスだまりになって膨らんでいるのです。

また、鳥舎の鶏は飢餓の中で人間のために、最後の力を振り絞って1個の卵を産み落とした後、死んだ鶏もいたそうです。鶏舎の数万羽の鶏も死んで行ったのです。この世の光景と思えない想像絶する世界があった事をみんなに知ってもらいたいです。

 こんな姿になり、彼らは僕たちに悔しさと無念さをこうして訴えています。彼らの亡骸は今でもこうして葬られずにいるのです。だから、供養をしてくれる住職さんにお会いすることは僕らにとっても大事な事なのです。

 先週、どこかの動物愛護団体の人がブログに載せたあの囲われた柵の中で死んだ子牛の写真です。2月7日に牛が死んでいると彼が憤慨して電話をくれたから、ずいぶん放置されたままになっていました。

 こちらは大人の牛の方です。ブルーシートで顔を覆われていて、この牛もそのまま放置していた。

今回、町の状況や現状の事。被災者と東電の事に関しては、自分ではっきりと物言う人間にならなければいけないと感じました。松村直登の外国人特派員での記者会見で、僕は何か吹っ切れたような気持ちです。

それではみなさん、またお会いしましょう。












コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今、立ち上がろう!

2012-03-01 08:56:02 | 日記
NO-89
昨日の雪に驚いた。横浜でも朝から降り続け、都会で積もった雪にまだ冬なんだな~と感じた。雪は大嫌いだから一日中家の中にいたが、昨日の名刺交換させて頂いたメディアの方からのメールや電話の対応に追われた。

 僕は自分の車の雪化粧を見て出掛けるのを断念。

その頃、強制避難区域の松村直登もやはり雪と戦っていた。富岡から20km離れた所で3km位の道のりを3時間もかけて、警察官の誘導を受け、右へ左へと誘導され前の車やトラックも動かずに午前中に出たのに、富岡に着いたのが夕方の5時頃だった。

鉄人の胃袋もエンジンの振動と身動き取れない姿勢できりきりしたそうだが、おまけの話がついて彼は雪のその道で側溝にタイヤを取られ身動きが取れなくなっていた。ガソリンの心配もしていた彼に、30分後にようやく通りかかった人の手を借りて助けてもらい、やっとの思いで脱出したらしい。

昨日の僕は、外国人特派員協会の記者会見場で松村の会見を友人に撮ってもらったビデオを家で見て、彼は確かに原発事故の被災者の代弁をしていたと納得。「今、被災者は、みんな疲れ切っていると・・・」

自分の言った事を通訳が話すのをじっと聞く松村直登。

「今までのコミュニティも、仕事も、家も失い、中には家族もバラバラに暮らしている人もいて、あの狭い仮設住宅で暮らし病気になって亡くなるいる人もいる」という。そんな被災者の代弁を彼はしっかりと言った。

「東電も国も何もしない!国と東電は補償のなすりあいをしていて住民の事など考えていない!」と。地元のみんなが言っていた「俺らの町で発電して電気は全部東京に送っていたのに、この原発事故のおかげで苦しむのも俺らかよ!」という地元被災者の恨みつらみもはっきりと言った。

あれから1年になろうとしているのに、富岡町は壊れたままの状態で何も変わっちゃいない。人も一人しかいない廃墟の町を彼は、除染をしてみんながいつか帰れる日を本当に夢見ている。

この1年、国と東電が何をしたのだろうか?彼は、「被災者の補償を早く何とかしろ!」と東電に言った。地元福島の被災者も「歳をとって死んでいく人が出ると金を払わなくて済むからそうしているのか?」と言わせるくらいひどい状況なのだ。

彼はこうも言った。チェルノブイリの次に、アメリカのスリーマイルの事故。そして今回はフクシマの事故で人間は3度の大きな事故を起こしたのに、その教訓を得ていない!だから、こんな事故はまた必ず起こる。危ない原発に絶対反対すると。

 この日は、最初から最後まで外国人記者に追いかけられた松村直登。

残された動物のことやこれからの事など、やらなければならないことがたくさんあるけれど、今の僕たち被災者は団結して自分の生活保障や帰れなくなった家や自分の財産を守るべきだ。我々、住民をないがしろにしている東電と国にはっきり言おう。

福島の被災者のみんな!一緒に立ち上がろう。みんなで立ち上がったら絶対に何か出来るよ。もう、我慢しないで声に出して言おう!今、被災地8町村が一つになって行動を起こす時だと僕は思う。




コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

YouTube